宮島管弦祭 ネット拝借 遠い昔の私のアルバムから
今と違って、地震・カミナリ・火事という世の中の最も恐いものの筆頭に数えられていたオヤジさん。実際に怖かったし、あまり会話を交わすこともなかったように思う。そんなオヤジさんが何を思ったか「宮島の管弦祭に連れてってやろう」と誘ってくれた。私にとっては前代未聞の珍事である。あれは小学6年生の夏休みであった。ごった返す人混みの中、はぐれないよう父の手をしっかり握って歩いた。これもとっても嬉しい出来事だった。
表参道の居並ぶみやげ物店の一角に、金ピカに輝く管楽器を並べた楽器店があった。ガラスの陳列棚には喉から手が出るほど欲しかったハーモニカが鎮座している。「この際ダメで元々、甘えてみよう」。我ながら大胆な一大決心をして「あれが欲しいんよ」と言ってみた。陳列の中でも最も高価なブランド品である。意外や意外オヤジさんの返事は「そんなに欲しいなら買えばいい」だった。その時はただただ嬉しくて涙が出そうであった。
そっか~、管弦祭という伝統の大祭に連れ出してくれた時点で、幼い次男坊の甘えを聞き届けてやろうという気持ちであったオヤジさんの懐の深さを知ったのは数年後のことであった。ハーモニカは一日も手放すことなく吹いて吹いて吹きまくった。くちびるの両端が切れるほど吹いた。
時代は移って令和の今宵、旧暦の6月17日は「十七夜祭」と呼ばれる宮島管弦祭である。
平安時代に都では、貴族が池や河川に船を浮かべ、優雅な「管絃の遊び」をしていたという。嚴島神社を造営した平清盛はこの遊びを嚴島神社に移し、神様をお慰めする神事として執り行うようになった。そのため河川でなく瀬戸の海を舞台に雄大に繰り広げられるダイナミックな平安絵巻を思わせる海に囲まれた宮島ならではの優雅な祭りとなったと言われている。
いいおやじさんだったことだ。
やはりいいオヤジさんだったと言えるのでしょうね。