福山市、福禅寺対潮楼、客殿からの眺望は鞆の浦を代表する景観。
対潮楼扁額 日本一の常夜灯 復元されたいろは丸
市民活動団体の交流会に手を挙げて日帰りバス旅行に参加した。
一つには、行き先が広島県福山市鞆の浦であったこと。一も二もなく手を挙げた。
鞆の浦といえば、知る人ぞ知る歴史豊かな港町。瀬戸内海を航行するする船の潮待ち港として栄えた。今ひとつは、憧れの坂本龍馬活躍の跡がそこここに残る町であるということ。それだけの動機で充分である。期待に胸がふくらんだ。
先ずは、かつて朝鮮通信使を歓待するために、鞆の浦最高の絶景を選んだという、福禅寺客殿となる対潮楼。あいにくの小雨が、ここでは格別の演出効果を発揮。その絶景が、一段と心に沁みる思いで飽かず眺めた。眼下の潮流渦を巻く瀬戸には、坂本龍馬海援隊の初仕事である「いろは丸」が復元され、観光客を乗せて仙酔島への往復を重ねる。
慌ただしい日程に追われ、日本一の常夜灯、今で言う灯台に馳せ参じるのが精一杯。
いろは丸記念館も、龍馬と紀州が日本初の海難審判に及んだ交渉跡も、龍馬が宿泊した桝屋邸も見られずじまいであったのは誠に残念。
今一度、この足でゆっくり踏破したい夢を残す結果と相成った。いつか行こう!
昨年の朝ドラ「てっぱん」の舞台となった尾道。はるか頭上には、小雨にけぶる千光寺を仰ぎ見る。しっかりしたアーケード商店街も、至るところシャッターが降りている。
朝ドラ人気も一時のものらしく、かつては中心街として賑わった面影は遠い昔。
いずくも同じ秋の夕暮れに思いを致す。
次いで竹原。平安時代には京都下鴨神社荘園となった歴史から、安芸の小京都と呼ばれているだけあって、古い街並みには重々しい雰囲気を感じさせる建物が並ぶ。
江戸時代には、製塩や酒造で繁栄したという。当時の名残の豪商屋敷の街並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、大切に保存されている。
この町も、今一度ゆっくり歩いてみたくなる誘惑に駆られる。名前が竹原だけに、竹のアートはお見事、至るところで目を引いた。
大いに郷愁をそそる三箇所巡りであったが、欲張った感は否めない。期待が大きすぎたこともあって、いささか消化不良。いつか改めてしっかり噛みしめてみたくなった。
竹原の街並み安芸の小京都
初めて見る黒いポスト
注文は少し厳しく聞こえたり
盛り沢山のツアーじゃ駄目と知るばかり
それもよし雨に煙れる対潮楼
そこここに龍馬を偲ぶ跡がある鞘の浦となれば、期待に胸を膨ら増すのも当然です。
「いつか行こう!」と改めてお思いになるはずです。行って歩いてみたい所ですね。
思ったほど大きくはないなと感じたにほん丸です。
龍馬がこの上ではるかな異国に胸膨らませ大きな夢を見ていたのだと思うと感無量!??
「海に国境はない」という言葉を思い起こします。
豪商屋敷の街並みもさすが、黒いポスト、「言状集箱」とはいいですね。
これからもあちこち見て歩きたいよ。
あまり遠くもないので、プライベートにふらっと行ってみることにします。
小雨はまた違った風景が楽しめたようです。
欲張らずにゆっくり歩いてみたい場所でした。
復元のいろは丸、意外に小さいですね。
安芸の小京都竹原。豪商屋敷が残されており、製塩やお酒の町として賑わった江戸から明治への移り変わりが見えるようなたたずまいでした。
黒いポスト、珍しい光景でした。
知ったかぶりが出来るようにオベンキョーしておきましょう。
「鞆の浦」も「常夜灯」も言葉と写真では知っていましたが、いまだ足を運んだことはありません。
「百聞は一見にしかず」ですね。
いい一日でしたね。
でも、もう少し朝を早めに出発し、帰着を少し遅らせれば意外に日帰り充分かも。
ただ高齢者の多い団体でしたから時間設定は如何ともし難く、まあこんなものでしょうか。
兎に角今一度ゆっくり足を運んでみたくなりました。