柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 子規
一つ減り二つもがれて、残り少なくなっていく柿の実。暮れゆく秋の象徴を思わせる。
店先に並べられた柿の横で、段ボールに「柿食えば金がなくなる法隆寺」と殴り書きしてあった光景を思い出す。そう言えば、中学校の日帰り遠足だったと記憶する、瀬戸内海生口島(いくちじま)にある、浄土真宗本願寺派、耕三寺を訪れてしばらくは「柿食えば鐘が鳴るなり耕三寺」と囃し立てたものだ。
刈り取られた田んぼを見ても、柿の実が減っていくのを見ても、山肌が色づき始めるのを見ても、目に入るもの全てに晩秋を感じずにはいられない。
そんな時季に恐縮ながら、秋真っ盛り、小学校運動会風景を思い出して頂く仕儀と相成った。“またか・・・”と思われる向きもあろうが、片目をつぶってお付き合い頂けると有り難し。
「熊手のかすがい」
『 朝6時、ドーンと花火が上がる。小学校運動会決行。我がことのように色めき立つ。
手作りのいなり寿司や煮しめ、冷やした果物などをひっさげて決められた見物席へ急ぐ。
プログラムと首っ引き。カメラ構えて右往左往。
やがてお昼。2人の孫を囲んで両親と双方のジジババがそろって大人が6人。
お隣は子供1人に大人が7人。そのお隣も大人が9人。会話がはじける。
「子はかすがい」とは両親をつなぐ役目をいうが、孫という名のかすがいは、ジジババに限らず親せき一同をも、熊手のような末広がりに つないでくれる。』
毎日新聞「はがき随筆」 掲載
お友達も孫ちゃんも色々な表現に寄って公表されて嬉しい限りですね。
孫ちゃんの力は計り知れなくたくさんのかすがいとなりますよね。
それが「熊手のかすがい」とは・・深いい~。
その熊手が一日でも長く多く残っていると尚嬉しいと感じます。
山里に柿の熟れるを医者は泣く
磨くほど味わい深く人と柿
よく辞書まで引いて・・・有り難う。
子供のいてくれる日常、やはり楽しいです。
孫の手というのは、背中を掻く時のためだけでなく、多くの大人をつなぎ合わせる役目も果たしているようで、苦し紛れの「かすがい」です。
出来るだけ長く、一緒にお弁当をパクつきたいものです。
この時期欠かせない秋の味覚。マッタケばかりじゃないよ・・・って柿が言いたそうです。
干し柿、大好きな物の一つです。
でもなんと微笑ましい風景でしょう。
熊手のように絆を集め、束ねてくれる大事な子ども達ですね。
一つ残った柿、正に「木守り」ですね。
現在は丸で逆です。
子供は1人なのに、大人が6人が普通。もっと覆い家族がいっぱい見られます。
子供にかかる期待も色々あるのでしょう。
一個だけ残してまた来年の実りを願う・・・。
奥ゆかしい習慣ですね。