今年に入って新聞が3紙入るようになっている。全国版2紙、地方版1紙。
何故そんなに、家計を圧迫するほどの新聞購読なのか?
よくぞ聞いてくれました。 ンン?誰も聞いていない? そっか~。では仕方なく自ら事情の説明を、許される範囲で・・・。
早い話が、気の弱さと、ええかっこしいが災いしただけのことである。
とはいえ、さかのぼってあれこれ思うみるに、気の弱さとお人よしの部分は認めるが、ただ新聞勧誘員の強引さに負けて仕方なしに購読に至った・・・というだけではないことを釈明しておきたい。
1紙目は、早い話が数十年来の長い付き合いで、わが愛するカープのスポークスマン的な地方紙。さらに大きくて大切な理由もあって、これはなかなか外せない。
2紙目。これは趣味としているエッセイの同好仲間の動向を把握したり、時に参考とする作品に出合うことがあるのを楽しみにしている全国紙。こちらは購読歴4年。
問題はこの1月1日から入り始めた3紙目。決して好きではないジャイアンツのニュースを大々的に取り上げる全国紙。
何故この3紙目を購読に至ったのか。実はこの全国紙は本紙のほかに、ローカルに密着した「〇〇かわら版」という、小さな町の小さな人の動きを上手に取り上げて報道するミニコミ紙がある。
昨年のある時期、その「〇〇かわら版」に、小生の個人的な趣味の積み重ねが取り上げられた。
つまり、少なからず反響を得た。それに乗じて?知己の新聞勧誘員が、ここぞとばかりに売り込みに来た。断りきれなかった・・・ということだったような。
そんなわけで、朝食のテーブルには新聞紙がゴロゴロしてお茶碗が隠れてしまいそう。
その割に、じっくり時間をかけて読み込むのはどうしても1紙に偏る。さてそれはどれでしょう??
答えて頂かなくて結構ですが、あとの2紙は1~3面の見出し拾い読みが多くなる。
新聞を3紙も取っているのだから、もう少し賢くなってもよさそうなものだが、全く変化の予兆もないので、新聞の購読量と、知識取得量は正比例しないことだけは分かった。
そして、新聞社によって、日本国内の動向を常に批判的に眺め、反対意見を述べることが得意な社と、少し穏やかに、政治のありようを伝えようとする社との差が、なんとなく見えるような気になっている。
総理大臣の靖国神社参拝が、世界を敵に回すほどの悪いことなのか? 戦争の愚かさと悲惨さを思い起こし、戦禍に斃れた人の冥福を祈り、不戦を誓うのはいけないことなのか?
新聞によっても色々論調は異なる。ややこしや、ややこしや。
かわら版、それなりに足を使って汗をかいて、いい記事書いてね。
期待してますよ。
あまり偏り過ぎると、世の中が曲がって見えるし、何でも間でも反対するのが当たり前みたいに見えてくるよね。
世の中やっぱり、ややこしいことが多いね。