春の桜に対して、秋の桜といえばコスモス。色鮮やかに咲き誇っている。
春には春の色があるように、秋には秋の、春とはひと味異なる色んな色がある。
目に入る周囲の山肌を、やがて赤や茶色に染めていく紅葉。これは別格といっていいほどの、秋の色の代表格である。
もう一つの秋の色。今でなければ・この時期でなければ見られない色があちこちに広がっている。
黄金色である。真夏の灼け付く太陽の恵みを受けてしっかりと株を張り、二百十日の大風にも見舞われず、順調に育った稲穂の色である。
幸い今年も豊作のようだ。こればかりは自分で耕作したことがないだけに、天候や気象に一喜一憂するほどでもないが、出来映えに対しては毎年目が行ってしまう。
大きく太ったワラの先に重たそうな穂が実る。黄色から黄金色に変わる。そうすると段々穂先を下げてくる。
“実るほど こうべを垂れる 稲穂かな”
生まれてこの方60数回、毎年この景色を目の当たりにしてきた。そして毎年、この教訓を胸に刻んで来たと思う。なのに、どうも自分の中では実践されていないようだ。
ちょっといいことがあったり、褒められたりすると、お山の大将になって、この世の中で取りあえず自分が一番賢い…などと思ってみたくなる甘さを禁じ得ない。
修行が足りぬ。まだまだ。
世間では、農薬やカビに汚染された事故米の食用転化問題が、次から次へと露見されている。こういう悪事に手を染めた人間に限って、出来立て・取れ立ての美味しいお米を食べているのに違いない。
そして社長と名の付くトップが、簡単に頭を下げて白々しく「申し訳ない…」と言う。
本当に頭を下げるのは、成熟して実った田んぼの稲穂なのだ。
実ってもいない、欲に固まった頭を何回下げられても、生きる参考などには全くならないことを、暗い部屋から四角い窓を眺めながら反省してほしい。事故米と知りつつ、黄金に目がくらんだことを心底謝りなさい。
「黄金色の稲穂さん、申し訳ない…」と。
( 写真:実るほど 頭を垂れる 稲穂 )
春には春の色があるように、秋には秋の、春とはひと味異なる色んな色がある。
目に入る周囲の山肌を、やがて赤や茶色に染めていく紅葉。これは別格といっていいほどの、秋の色の代表格である。
もう一つの秋の色。今でなければ・この時期でなければ見られない色があちこちに広がっている。
黄金色である。真夏の灼け付く太陽の恵みを受けてしっかりと株を張り、二百十日の大風にも見舞われず、順調に育った稲穂の色である。
幸い今年も豊作のようだ。こればかりは自分で耕作したことがないだけに、天候や気象に一喜一憂するほどでもないが、出来映えに対しては毎年目が行ってしまう。
大きく太ったワラの先に重たそうな穂が実る。黄色から黄金色に変わる。そうすると段々穂先を下げてくる。
“実るほど こうべを垂れる 稲穂かな”
生まれてこの方60数回、毎年この景色を目の当たりにしてきた。そして毎年、この教訓を胸に刻んで来たと思う。なのに、どうも自分の中では実践されていないようだ。
ちょっといいことがあったり、褒められたりすると、お山の大将になって、この世の中で取りあえず自分が一番賢い…などと思ってみたくなる甘さを禁じ得ない。
修行が足りぬ。まだまだ。
世間では、農薬やカビに汚染された事故米の食用転化問題が、次から次へと露見されている。こういう悪事に手を染めた人間に限って、出来立て・取れ立ての美味しいお米を食べているのに違いない。
そして社長と名の付くトップが、簡単に頭を下げて白々しく「申し訳ない…」と言う。
本当に頭を下げるのは、成熟して実った田んぼの稲穂なのだ。
実ってもいない、欲に固まった頭を何回下げられても、生きる参考などには全くならないことを、暗い部屋から四角い窓を眺めながら反省してほしい。事故米と知りつつ、黄金に目がくらんだことを心底謝りなさい。
「黄金色の稲穂さん、申し訳ない…」と。
( 写真:実るほど 頭を垂れる 稲穂 )
今朝のチャットメール、何回返信しても送れなかったよ。ごめんね。
「頭を垂れてかな?」と拝見しつつ…
まあ、自戒のお言葉が…
次はどうされるのかな…
ほ~ら、きたきた…
私がいつもいつも楽しみにしていることがあります。
期待していることがあります。
今日はどこかなあって?
個性的な見方、見解その表現力と申しますか…
yattaro-さんのお人柄などを、少しでも想像できるような“ところ”をつい期待しています。
ありました、今日も!
なんか、やはりこれって一つのセンス(才能かな)ですね。私などには到底真似できません。
今が刈り取りの時期でしょうか?懐かしい光景です。
此方オレゴンでは見かけない景色です。CalRoseというお米を栽培しているカリフォルニアでは見かけられる景色かな?と思っていますが。
「ちょっといいことがあったり、褒められたりすると、お山の大将になって……」
まさにこの言葉通りの心境になってしまいそうです。
激励を戴いたと解釈して、益々がんばりたいところですが、これ以上のものはありませんので、これまで通り、心にうつるよしなしごとを、そこはかとなく書き綴って行きたいと思っています。よろしくお付き合い下さいませ。