「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「定年という制度」

2024年09月08日 | ニュース・世相

           

❝ 一年を十日で暮らすいい男 ❞ などと羨望や揶揄で語られたこともある日本の国技『大相撲』。
かつて大相撲興行団体などと呼ばれたり、紆余曲折を経て現在は、公益財団法人日本相撲協会として定着している。その大相撲令和6年秋場所が東京両国国技館で始まった。相変わらず調子が悪ければ休場が認められる特権を持つ横綱照ノ富士は休場である。まあそれは置いといて。

今場所限りで大相撲の世界から引退する大御所がいる。一瞬の勝敗を見極め東西どちらかに軍配を上げ勝敗を判定する行司さん、それも行司最高位の立行司第38代木村庄之助その人である。
今場所千秋楽に65歳を迎えるため定年退職するのだという。確かにルール・相撲協会規則なのだから、当然と言えば当然なのだが、永年行司一筋に努めあげ協会への貢献も大なるものがあると思うし、個人的な見解としては、心身共に大丈夫という証明があるなら、少しの延長を認めるゆとりがあってもいいんじゃないかな、などと勝手に思う。

微妙な勝敗判定に迷う時、検査役が土俵に上がりビデオ判定で勝敗を決する。そこには、最初に判定を下す軍配を上げた行司の弁明や説明は取り入れられない。古来の行司さんは腰に刀を差していた。これは、勝敗について行司の判定にケチをつけるのは許されないことで、行司は刀にかけてでも自らの判定を押し通す権限が与えられていた。その一方で、行司の判定が間違っていたら、自分の刀で自らの命を絶ってお詫びをする。そんな諸刃の刃であったという話も聞いたことがある。

いずれにしても一瞬の勝敗を判定する審判役は、間違いがなくて当たり前。一つ間違えば降格させられる厳しさを持っている。
何かと物申したい大相撲会ではあるが、65歳という定年を全うした第38代木村庄之助さんの勇退に拍手を贈りたい。


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