一児のお父さんとなった長男。数え歳の42歳、男の厄年を迎えた。
色々あった。ただ現代の世の中では特筆に値するほどのことでもない程度の波風はあった。が、大過なくここまでの人生を送ってきた。
そして迎えた歳回り。なんとしても先ずは無事に、健康を害することなく向こう一年を乗り切って欲しい。と願うのは親としてごく普通であろう。
正月初詣での時に厄払いのお祭りをしてもらえばよかったが、「日を改めて」という彼らの意向に沿って、昨日お祓いをしてもらっってきた。
少なくとも私たち親の年代では、このような歳回りや星回りによる吉凶に対して、多少の神経を遣い、無病息災を神様・仏様にお願いしたものだ。
時代が移り、月にはウサギもいなければかぐや姫もいない事実が目の前に示され、どうかすると人間が足跡を付けようという今に至って、そのような神頼みを強要するのはどうかと思う。
思うから強要しないのかといえばそうではない。
氏神様のご神前にこうべを垂れて、神職による祝詞(のりと)奏上をお願いする儀式に、あまり深い興味を示さない様子ではあった若い夫婦。
それでも有無を言わせず、お祓いのお詣りをさせる親父である。これは、私たち夫婦の、彼らの安泰を願う切なる気持である。
お正月には初詣でをする。クルマを購入すれば無事故祈願のお祓いをする。
その気持ちと全く同じ線上に、歳の祝いや星祭はあるのだ、ということを理解してほしい。
親の心と子の心に多少のズレはあったとしても、無病息災、家内安全、家族の幸せ、を願う気持ちに変わりはない。
神頼みをしたからといって何の保証があるわけでもないが、気持ちの安らぎは得られると思って欲しい。
何はともあれ、親子三人楽しく暮らせている現実に感謝する気持ちを込めて、神前にぬかづく。
この気持ちを持ち続けることは、親も子も、夫も妻も、人間すべからく、小さな幸せの中に生きていると言えるのかな。
なんやしらちょっと年寄じみてきたのかな~
やっぱり親ばかじゃね。
「42は男の世だめし」とか言って、年男の中でも一番気を使います。
どんな丸い物を持たせようか、どこでご祈念していただこうか、数年後の我が子の行事に考えが及びます。
息子家族が、仲良く元気で暮らしていることが、私たちの一番の幸せですね。
生きてる間には色んな星回りや節目があります。
そんな時、昔から言われていることに逆らうのも大人げないし、むしろ無事息災を祈りたいのですから、神頼みも仏頼みもします。
渋々でも聞いてくれる内にこういったことを身につけさせたい、とつい思います。