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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「薮の中、笑顔はじける…」

2009年04月18日 | つれづれ噺
昨夜は、中学校仲間25人が集まるミニ同窓会。10月の本番同窓会に向けて気勢を上げる同盟会みたいな飲み会。
今日は朝早くから、薮の中のクラス会。高校仲間男女8人が集まって、竹の子掘りに汗を流す。その後バーベキュー大会に打ち興じる。 年に一度、楽しみに待つ一大イベント。それはそれは楽しい一日を、薮の中で過ごした。

薮の中といっても、鶏糞・牛糞などの肥やしを入れ、下刈りをし、間伐してひだまりを作るなど、竹の子栽培のために一年間守り通した竹林。そのすぐそばに、小屋を建て山水を引き、流し場からトイレまで、廃品活用や手作りで全てを完備した遊び場を提供してくれる友の存在がある。

直径1㍍もある大きな平釜で、竹の子をゆで上げるかまども、ご飯炊きようの小さなかまども。グルッと輪になって焼肉に舌鼓を打つコンロ・テーブルetc それらの設備たるや完璧である。

すっかり上手になった3人掛かりで1時間ばかり。100本近くを掘り上げるのに造作はない。その場で押し切り・包丁で皮を剥く。ひと釜を2時間あまりグラグラゆで上げる。それを二釜分。冷たい山水で冷やす時間も含めてトータル7時間あまり。ゆっくり飲んで騒いで語り合うには十分な時間がゆったりと流れる。

日に日に上手になるウグイスのさえずりを聞きながら、50年をタイムスリップし、恋物語や失恋話に花が咲く。そして、ゆで上がった竹の子の全てをみんなで分け合いお土産にもらって帰る。

中には遅刻してくる奴、途中で急に仕事が入り、2時間ばかり抜ける奴もある。それでも再びもどってきて、人一倍ビールを煽る。終始はじける笑い・飛び交うジョーク。女性は3人ながらかしましい。5人の男を煙に巻く。それでも、ヨモギ・タラの芽など山菜の揚げたてアツアツ天ぷらを作って食べさせる。ベテラン主婦揃い。

他愛もない同級生の懇親会ではあるが、これほど優雅な一日を過ごせる幸せを感じずにはいられない。それが明日への活力となってまたひとつ、やる気が湧いてくるから不思議である。間違いなく迫り来る老境を、少しでも遅らせるパワーとなればこの上ない。 有り難う友よ!有り難う同級生!

        ( 写真:地下足袋姿も凛々しく、竹の子を掘るyattaro- 左側 )
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「頼りにしてまっせ~・・」

2009年04月16日 | 家族・孫話
弟のカー君が、小学生という未知の生活を始めて1週間過ぎた。その間1日だけ雨が降った。真新しい黄色い傘の骨が1本、早くも折れ曲がっていた。

毎日、放課後児童教室へ二人を迎えに行く。 兄ちゃん一人の時は、少しでも長くお友達と遊ばせよう…という配慮で4時半出発だった。 弟が入学してからは30分早めに迎えに行っている。

一つは、放課後教室の先生との対話時間を設けること。昔取った杵柄、先生との対話や子供の問題点など聞き出すのは得意中の得意。 「遊び方は兄弟でもまるで違いますね……」 性格の違いや趣味・興味の違いを説明しておく。「お弁当を食べるのに少し時間が掛かります……」これは母親にしっかり報告して軌道修正を図る。
これら、よくも悪くも、新一年生に関する正味の情報を仕入れるのも、迎え役の仕事だろう。

ところが「この頃、お兄ちゃんの方が少し不安定な様子が見られる、これまでにないイライラを感じる……」と、予期せぬ問題提起がなされた。

これには正直驚いた。勇猛果敢、根っからのスポーツマンであることを過信して、何かにつけて「弟の面倒をみるんよ……」 「弟をしっかり守ってやれよ……」と無責任な発言をしてきた。 それらが兄ちゃんにとっては意外な負担になったのだろうか。はたまた、3年生で放課後教室では最年長となり、兄ちゃん達の勝手な振る舞いがまかりとおるせいなのか…。 いずれにしても情緒安定に努める。

弟より図体のデカイ兄ちゃんを抱っこしたり、肩を抱いてやったり、優しい言葉で頭を撫で撫でしてやったり、スキンシップが欠かせない4月半ばである。 自分一人で気ままに騒いでいられた3月までと、弟が加わった4月では様子が変わった戸惑いを感じているとすれば、それはそれでちゃんと解決してやらないといけない。

ついつい「兄ちゃん、頼りにしてまっせ~…」となるところを、グッと抑えて、二人にとって最善の方法を模索して行こう。 とは思うが、あまり神経質になるのもどうかな~…大なり小なり壁にぶつかりながらの新年度スタート。大きな将来への小さな一歩の踏みだし。じっくり眺めていくのがよさそうだ。

       ( 写真: 兄弟仲良く……たのんまっせ~… 右:兄ちゃん3年生。左:カー君1年生 )
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「春爛漫、新緑の陰で…」

2009年04月15日 | 季節の移ろい・出来事
春爛漫、木々ことごとく新芽を吹く。そして花が咲く。それはよく分かってはいる。
今日また自分としては新しい発見をした。あの、秋の紅葉で一世を風靡するモミジに小さいながらかれんな花が咲くのを発見?した。当たり前のことなのかも知れないが、少なくとも初めて意識してモミジの花を見た。

「モミジ」という名の植物は、元々植物学上にはないのだ。紅葉する植物の総称として用いられていたことから転じて、「カエデ属」の紅葉を指して「モミジ」と呼んでいる。

カエデの代表種「イロハカエデ」は、手のひら状の葉先が、「いろはにほへと」と7つ数えられるように、7片に分かれているからだという。
「カエデ」の由来は、葉の形がカエルの手足に似ていることから「かえるで(蛙手)」と称されていることから来ていると言われている。

そよ吹く春風に揺れる、やわらかなモミジの葉緑に包まれて、よく観察しないと見逃すが、間違いなく花が咲いている。線香花火が最高潮に達したとき、四方八方に散らす可愛い火花にも似た2~3㍉の小さな赤い花である。

「節制・遠慮・自制」という、どちらかといえば自らを少し抑え気味に、他人をおもんぱかる言葉が続き「大切な思い出」で結ばれるモミジの花言葉。
自分の気持ちの奥に潜む、“今大切にしなければならないこと” を思い起こさせる花言葉でもある。

モミジの花に出会い、素敵な花言葉に出会う。理屈では語れない不思議な“縁”がそこにあるのだろうか…。

        ( 写真: やわらかな淡緑の葉陰に開くモミジの花 )
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「春の実り」

2009年04月14日 | 晴耕雨読
山川草木ことごとく新芽を吹き、花開く4月。
昨年11月に植えたスナックエンドウ・グリンピースが見事に実り、真っ白い小さな蝶を思わせる花が無数に咲いた。

このまま順調に行くと、塩ゆでの美味しいスナックエンドウにありつけそうだ。グリンピースも健在、こちらは豆ご飯・豆の甘煮など、食卓を楽しませてくれそうだ。
誰よりも喜ぶのはやはり二人の孫。彼らが飽きる頃にならないとこちらの口には入りにくいのだろう。

元肥を入れた畑作りが10月、種蒔きが11月。霜に耐え、冬を越し、ようやく芽を出す。 そーっと土寄せをして肥やしを入れる。しっかりオロギを立てる。その間草取りを何度か繰り返す。かれこれ半年かけてやっと花の今を迎える。

蒔いたタネが全部実るほど甘い世界ではない。元々元気のいい奴はグングン伸びる。しばらく間を置いてゆっくり芽を出す奴は、やはり成長も遅い。それでも同じように伸びようと枝葉をひろげる。中には、他の生育のいい茎の陰で横たわろうとする奴もある。

どれもこれも、みんなこの手で土に埋めた同じタネである。芽さえ出せば同じように成長させたい。分け隔て無く土を寄せ肥やしもやる。生育の悪い茎こそオロギを余分に立てて守ってやる。 そうやってまさに手塩にかけて育てて大きくする。順調に大きく伸びた茎が、ある日突然しおれている。夜とう虫に芯を切られている。

それも計算ずくながら、腹が立つやら悔しいやら……生き物を育てるとは所詮こんなことの繰り返しなのだろう。それでも兎に角、尽くせる手は尽くしてやらないと裏切られる。しかし、精一杯の手を尽くし、愛情の声かけなどしてやれば、豆の茎だって大きく裏切ることはない。 世の中、やっぱり面白い。

        ( 写真: 見事に真っ白い花をつけたスナックエンドウ・グリンピース )
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「名残のさくら」

2009年04月13日 | 季節の移ろい・出来事
ここんところの夏到来を思わせる行楽日和に乗せられて、隣接の町にある美術館に行ってみた。
開催中の「心のコトバ書道展」をゆっくり見学してきた。 地域生活支援センター「トライアングル」という障害者の支援団体が企画・運営して今回の書道展になったという。

日々、心に残る言葉を貯め込んでおいたものを、書道展に向けて毛筆でその思いをしたためる…そんな感じの力作揃い。 「書」としての値打ちはよく分からない。しかし、それぞれがそれぞれの思いを言葉にして、「書」というほとばしりで、思いを伝えたいという願いがよーく伝わって来る。

        花はもともと 美しかった
        空はもともと 広かった
        海はもともと 青かった
        山はもともと 高かった
        人はもともと 優しかった
            ぼくはそれが わかった気がする

その他にも珠玉を思わせる心の動きが伝わってくる。

        きれいな大きな ひまわりも 小さな小さな種だった
        
        本気で笑えるやつは 本気で生きてる

素朴にして明快。素直な心に宿る素直な言葉。 春風にも似たぬくもりある爽やかさをお土産にもらった。
美術館を出た道路向かいに庁舎がある。その一角の遊園地に、今年のさくらの名残を思わせる見事な枝垂れ桜が満開を誇っている。思わずシャッターを…。

“心のコトバ書道展”を見た余韻にひたる気持ちに、満開の枝垂れ桜の美しさと爽やかさがが見事に重なった。

         ( 写真: 咲き誇る満開の枝垂れ桜、見惚れる 2009.4.12 撮影 )  
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「ひ孫の読経」

2009年04月11日 | 家族・孫話
カー君、小学校入学式余話をひとつ……彼の幼い頃の行動を記録して、記憶に残す意味でここに記す。

両親やジジ・ババに囲まれて“おめでとう…よかったね~”などといわれると、恥ずかしさや照れくささが先に立って、今ひとつ素直になれないカー君。いい記念写真を撮ろうと思ってもなかなかポーズを決めてくれない。

どうにか数枚をカメラに納めて家に入る。
放り出すように背中から脱ぎ捨てていた幼稚園のカバンと違って、それこそ真新しい大きなランドセル。一年生の自覚があるのかないのか、ゆっくり慎重にランドセルをを降ろす。

“ばあばあ(曾祖母)に言っておかんと……” と言いながら仏間に駆け込む。 お膝を揃えて正座。
ローソクを灯し、お線香をくゆらす。ちっちゃな手に白玉の念珠を巻いてリンを打つ。何やらしばらくブツブツ…。 小学校入学を“ばあばあ”に報告したかったのだろう。
亡き曾祖母とは最も縁の浅い、付き合いの短いひ孫が率先して私たちを仏前に呼び寄せる。

いつもは、経机に置かれたお経本を開き、“きみょうむりょうじゅにょらい~~なもふかしぎこう~~……” 門前の小僧習わぬ経を読む…を再現。 なのにこの日はお経本に手を出さない。「どうして?」と聞いてみる。

“オレは小学校なんじゃけー、今度はちゃんと習ったら読む…。”と、のたまう。
ちょっと意味を計りかねるが、今までは幼稚園だったから、いい加減でもよかったが今度は小学生なのだから、ちゃんと教わってから読んで聞かせる…と言いたかったのだろう。

してみると、カー君の中では、小学校ではお経の読み方も教えてくれる教科に入っているのだろうか。

どんな成長を見せるのか、夢がふくらむ。 楽しみな掌中の玉、磨いてみたい。

         ( 写真: 念珠を手に巻き、曾祖母に向かってなにやらブツブツ… )
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「『夢の器』、新旧交代」

2009年04月10日 | スポーツ・観戦
プロ野球ファン待望。2009年ペナントレース開幕!!
4月3日、セ・パ両リーグ同時開催。本格的な熱戦が繰り広げられている。

我が愛する「広島カープ」は、本拠地球場が新しく生まれ変わった。まさに「夢の器」完成である。
1年4ヶ月の工期と、90億円を投じた一大事業が結実。広島170万都市のまちづくりを牽引する中核施設の誕生となった。

およそ60年前、カープ球団存続の危機を救った「たる募金」。今回の新球場建設にあたっても、同様に県内外のファンから1億2千600万円の「たる募金」が集まったという。カープ球団が、如何に多くのファンに支えられているかが窺える。

その華やかさの陰で、51年間の歴史を刻み、こよなくファンに愛され続けてきた旧広島市民球場が静かに幕を引いた。世界遺産「原爆ドーム」のすぐ近く、平和公園のそよ風を受ける、まさにヒロシマの中心地であった。

この新旧交代も、4月という出会いと別れの季節の、風物詩のひとつなのだろうか。 
それほど多く通ったわけではないが、思い出だけはいっぱいある。高校2年の夏、父が初めてナイター観戦に連れて行ってくれた。 熱狂的な応援の仲間に入りたくて外野席が目当て。 入り口から続く暗い階段。抜けたと思ったら目の覚めるようなグリーン一色の芝生、目を射るようなカクテル光線。内野の真っ黒い土。全てが強烈な印象として今もこの目に焼き付いている。

新しく完成した夢の器、その真価を問われるのも、涙を呑んで多目的広場に変身する旧市民球場を慰めるのも、全て、カープ選手のガンバリにかかっている。大いに期待しよう。そして今年は何度か応援に行ってみよう。

        ( 写真: 左・新球場、右・別れを惜しむ旧市民球場 )
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「天使の羽根を背負って…」

2009年04月09日 | 家族・孫話
“オレ、1年生になったよ~…” はじける笑顔で入学式を終え、晴れ姿を見せにやってきたカー君。
いくらなんでも、じいちゃんまでが入学式に顔を出すわけには行かない。ひたすらカメラのレンズを磨いて待っていた。案の定、いつもより更にHigh・テンション。振りまく笑顔がそこら中に笑いを誘う。いよいよ今日から小学生。 

彼なりの新たな出発。幼い気持ちなりに、夢と憧れに燃えているのに違いない。
「天使の羽根」という名前の割には、身の丈に余る大きな重いランドセル。多くの学用品と、小学生という宿命を詰め込んで、長い道のりを背負い続けることになる。兎に角、ピッカピカの1年生スタート。共に喜びたい。

これからどんな成長を見せてくれるのだろう。どんな子供に育っていくのだろう。
3年生になり、一段と逞しさを増した兄ちゃんと二人。すこやかな成長を願わずにはいられない。
そしてじっくり可能性を楽しみたい。

最初っから、みんなが喜ぶ甘さタップリの「ふゆう柿」ならそれもいい。8年たっても「渋柿」のままならそれはそれでまたいい。甘かろうと渋かろうと柿に変わりはありゃしない。同様に、人間に変わりがあるものか。己の持つ個性のままに成長していって欲しい。 

“人間の能力は、属している社会の質に影響される” となれば、彼らを取り巻く我々身近な大人にも、“質” に影響を与えられる生き方が求められるのか…これは大変なことだ。 待てよ、我々に出来ることは他にもある。
強く・優しく・逞しく、出来れば賢く……など多くは望まない。「元気な明るい笑顔」これだけを願うジジ・ババに徹しよう。 “ガンバレ兄ちゃん! フレーフレー カー君!! ”

          ( 写真: ピッカピカの1年生、カー君 2009.4.9 )
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「旬のはしり」

2009年04月07日 | 季節の移ろい・出来事
今年初めてのタケノコ掘りに出かけた。気の置けない同級生の竹藪へ。
文字通り「旬のはしり」。完全に芽を出し始めるにはもう少し時間が掛かりそう。
それでも二人で探すと、1000平方㍍にも満たない小さい竹藪にもかかわらず、30本は軽く掘った。

地下足袋の足裏に触る突起をキャッチして…。まさに生まれたばかり、地表にやっと顔を出すのを待って掘る。
少し気の毒ではあるが、これがタケノコの宿命というか、この時こそが最も美味しく頂ける時期なのである。

取れ立てを、先っぽとお尻を取り除き、皮付きのまま大きな平釜に放り込む。ヌカ・タカのツメを浮かべてアク抜きのおまじない。2時間半たっぷりでゆで上げる。それはそれは柔らかいホッカホカの、今期初物の出来上がり。

次は、足下さえ危うい深い枯れしだをかき分けてワラビ取り。途中で、イノシシ対策のない竹藪にさしかかると、そこもかしこもタケノコというタケノコ、しかもまだ地中に眠っているのを掘り起こして食い荒らした惨状に出くわす。
やはり、お金をかけて、イノシシ防護柵を設置しなければ、人間様の口には入りそうにないことを思い知らされる。そうしてワラビも大いに収穫。炭酸一握りで真っ青にゆで上げ、お土産として頂いてきた。

娘のところに初物のお裾分けをしよう…と電話したら、後二日で1年生になるカー君が電話に出た。「お母さんと兄ちゃん買い物、オレ独りで留守番しとるんよ、もうすぐ一年生じゃけー」なんとも頼もしい。
ここにも「旬のはしり」を迎える力強い新芽が、確かな息吹を感じさせる。

タケノコは間もなく「今が旬」を迎える。カー君の「旬」はこれから始まる。手塩にかけて応援するゾー!!!

       (写真: 周りを注意深く掘り、全身を表したタケノコ )
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「さくら咲く錦帯橋」

2009年04月06日 | 季節の移ろい・出来事
この季節、満開のさくらに包まれる錦帯橋を、一度は必ずアップしたいと思っている。
まさにさくら満開の今朝早くクルマを走らせ、人混みのないうちにしっかりカメラに納めてきた。

昨日、会社のOBによる大花見が催された。今年の出席は160人あまり。例年に比べると40~50人少ない。
あちこちから、あの人は亡くなったで…、あの人は入院中らしい…とか。あまりいい話は聞こえてこない。
しかも世界恐慌の真っ只中、定年退職者といえども出席が難しい人も多かったのかな…などと勝手な想像をする。

会社も、今年はこのような会は見送るのかな…と思ってもいたが、「OBの皆さんを巻き込んで縮こまってはいられない、責めてOBの方から元気をもらいたい…」という工場長の挨拶で、少し気持ちが楽になり、風に舞う花びらを追いながら再びの花見酒に酔った。 ブルーシートに淡いピンクの花びら。お酒よりも何よりも風情に酔う。

日本人と桜は深い深い縁で結ばれている。桜をあしらって、人とつなげた言葉は数知れない。 花よりダンゴ・酒なくて何の己が桜かな・死んで花見が咲く物か、さらには「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る」と、坂本竜馬も言っている。 解釈はそれぞれの感覚にお任せしよう。

兎に角、桜が咲き、花見酒に酔った。さあこれから、年度替わりの忙しい時期に入る。愛する兄ちゃんは3年生に、カー君は入学式を迎える。浮かれた気分もここまででチョーン!

またひとつ気合いを入れ直して、あれこれ自分の今を大切に生きるよう、模索を始めよう。

       ( 写真:撮ってきたばかりの、さくら咲く錦帯橋。 2009.4.6、AM8:30 )
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