「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「13回忌法要のご馳走」

2012年06月07日 | つれづれ噺

           

今日は、義母の13回忌法要に早くから案内を頂いていた。
11時法要開始、仏前での読経・焼香。卒塔婆という、仏塔の一種である五輪塔を簡略化したものと言われ、戒名などを書いた板をお墓に備える墓参もすませた。
12時から会食。昼間のお酒となるので、運転はアッシー君にお任せ。ということは、今日ばかりは亡き義母の法要に丸一日を捧げることになる。

ビールを少々。解禁なったばかりの天然アユの塩焼き。まだまだ小ぶりながら、贅肉のないスリムな姿態、あの苔の匂いはまさしく天然。先程まで川を泳いでいた雰囲気がある。

そんな、舌鼓を打ちお腹を太めるご馳走もさることながら、法要読経の席で配布された般若心経に続く、ご先祖について書かれたこと、自分の気持ちのあり様を見詰め直す箇条書きなどに出会えたことは、心を豊かに満たし腹ふくるる心地の大層なご馳走であった。

少しだけ書き留めておきたい。
『 あなたの命はお父さんとお母さんの命があったから生まれた。そのお父さんお母さんもそれぞれご両親の命があったから。あなたの命のためにわずか二代前にさかのぼるだけで、6人の命が必要。ちなみに十代前にさかのぼると1024人。二十代前だとなんと104万8576人と言うものすごい数になる。この中のたった一人の命でもなかったら、あなたはこの世に生まれては来なかった。命は脈脈と続いている、この命の源のことをご先祖と呼ぶ。自分の命も他人の命も尊いたった一つの命、かけがえのない大切な命を大事にしましょう・・・・・・』

今がしあわせと思わないと 一生しあわせになれない。
苦労はない方がいい しかし苦労した人は輝いている。
耕しもせず種まきもしないで 他人の収穫をうらやむな。

善いことでもまわりをよくみてやりなさい 本当のことでも相手のことを考えて言いなさい。
時おり来て涙を流してくれる人よりも 毎日そばにいて汗を流してくれる人に もっと感謝しなさい。
屏風は折れるから立つんだよ 突っ張ってると倒れるよ。

まだまだ沢山の言葉が用意されている。こういった言葉に飢えて来たわけでは決してない。ただこうして改めて目の前に調理して並べられると、取敢えず食いついてみたくなる。よく噛んで味わい、お腹に流し込むとそれはそれは至福の満腹感に浸れる。

13回忌法要という、近いご先祖様を敬い偲ぶ日。
呑んで食って満腹感を楽しむのも悪くはないが、ただそれだけではね~。

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「あじさい咲いて」

2012年06月05日 | 季節の移ろい・出来事

        
                     見事に咲いた庭のあじさい「墨田の花火」

ここ2・3年、いっぱい咲かせようと躍起になって剪定してきた我が家のあじさい。
花の時期が終わったらそそくさに翌年の花芽のために、短く剪定してきた。
いくら頑張っても年々花の数は減り、昨年一昨年はほんの申し訳程度しか咲かなかった。何かある、咲かない理由が何かある。 

思い切って昨年の花の後、いつもやってきた剪定を一切やめた。
伸び放題伸ばしてやろうとほったらかした。その結果、どこに出しても恥ずかしくない本来の「墨田の花火」と言う名にふさわしく咲き乱れた。

おかしいものだ、丸坊主にして下から出た芽に花を付けさせようと、精一杯剪定してきたのに・・・。狭い庭に不釣り合いなほど大きく伸ばしたら見事に花を付けた。
大きく伸びた枝の下を覗いて見ると、明らかに今年出た芽があちこちに枝分かれして花を咲かせている。つまり、剪定するには切る場所があるということ。それも知らずに勝手気ままに縮めればいいという素人判断で剪定ばさみを振るう。これが大間違いの元。あじさい君すんません。 これがあじさいだからことなきを得た。

一つの趣味として取り組んでいるエッセイの世界。
昨年までのあじさいのような愚を何度も繰り返していることに気付く。

原文を書いてみる。切り貼りする。さらに贅肉を落とす。落とし過ぎて付け足してみる。
締まらない。もっと練る。益々わけわからなくなる。字数が足らない。何かをくっつけよう、落ち狙いかそれとも巧まざるユーモアか。足したつもりが蛇足も蛇足。

単なる情景描写に終わらぬよう感情移入を試みる。なんかよそよそしい。取ってつけたように浮いている。人真似か、そんなことはないと自分で思う。
何が言いたかったのか再び原点に戻る。これが言いたかったのだ・・・と気付けばそこからが今一度のスタートになる。
やっぱり書くって難しい。あじさいの剪定どころではない。

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「6月3日、大安吉日」

2012年06月03日 | 家族・孫話

 

6月3日、大安吉日。跡取り息子結婚!!
晴れの門出の花向けか、スックと伸びたアマリリスが純白の大輪を咲かせた。
未明からの静かな雨に、一層の精気をみなぎらせ存在を強調している。
何かを予感させる立ち姿。親のひいき目だろうか。そればかりでもあるまい。

不肖ながら我が家の跡取り息子、かねてからお付き合いしていた意中の女性との婚約相調い、本日婚姻届提出。実質的な新婚スタートと相成った次第です。
お披露目の儀は、諸般の事情により、8月に予定しています。

素敵なお嫁さんを頂いて、新たに娘が一人増えた華やいだ気持ちにさせられています。
こちらが華やぐ分、先方は淋しくなられたことだろうと想像しています。
そのような双方の家庭の思惑、両家の親の思いなどに心を致し、ささやかでいい、幸せと呼べる家庭を、これから二人で築いて行ってくれることを切に願うだけです。

たかだか5年目を迎えた拙なるブログだけれど、母見送りの記を残し、倅の華やかな門出を記し、外孫ながら娘の子どもたちの成長をここに記録していける今を感謝している。
それは我が人生の確かな側面として、喜びも悲しみもとり混ぜてこの胸で受け止め、噛みしめ、その深い味わいを楽しませてもらっているに他ならない。

孫3人の応援団長は言うに及ばず、またひとつ、新たな夫婦の応援団も買って出るのだろう。さてどこまでやれるのか・・・。
出来るときにやっておかないと悔いが残る。これまでほど永くは生きられないのだから。

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「時には振られることも・・・」

2012年06月02日 | 晴耕雨読

       
            この手で抜いたタマネギ

畑を踏み荒らしながら、歓声を上げて手当たり次第抜いて行く孫の笑顔を楽しみに植えた300本のタマネギ。
見事に?実って、ほとんどの茎が倒れるに至った。これ以上置くと中には腐ってしまうのも出てくるから、そろそろ抜かなければならない時季になった。

どうせなら予想通り孫と一緒の収穫作業にしたかった。
たいてい金曜日には「お泊まりに行ってもいい??」と電話を掛けてくるカー君が、珍しくなにも言ってこない。今日は母親も仕事が休みで、兄弟3人揃ってお出かけだったようだ。以前なら、カー君だけは二日続きでお泊まりしても平気だったのに。そして畑でこのような土にまみれることは大好きだったのに、それさえ興味を示さなくなったのか。

これが成長の証と言うことなのだろう。畑よりも海辺の散歩よりもジジ・ババよりも、兄弟3人が母親につきまとう方に魅力を感じたり、お友達との遊びを最優先することの方が、彼なりの価値あることと変って来たのだろう。それこそが紛れもない成長の跡である。

それだけではない。あの3歳児でさえ、この頃はお母さんに甘えることを憶えてきた。
ばあちゃんでなければ夜も日も明けないほどばあちゃんを追いかけ、我が家に来れば、ジジと二階のパソコンでユーチューブお神楽を2時間でも平気で見ていたのに。
あーそれなのに、何をお土産に釣ろうとしても「ダメッ!」と一言。そそくさにクルマに乗ってウインドウを開けようともせんようになってもうた。

ジジ・ババとしては少し淋しいが、まさに親の深い愛に目覚め、兄弟で遊ぶ楽しさに興味を持つほどまでに成長したことを喜んでやろう。
お陰で、タマネギも淋しく独りで抜き取る羽目になった。
まあこんな振られる日があってもいいだろう。またいつかもどってくるよ。

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「6月スタート!」

2012年06月01日 | 季節の移ろい・出来事


             鵜飼開き、屋形船出番
                      
                        かがり火の薪を積み込み、いよいよ開始を                       錦帯橋上流の錦城橋はカメラの放列

青葉若葉の「皐月」が慌ただしく往った。
替わって「水無月」・「鳴神月」・「風待月」と呼ばれる6月がやってきた。
ついたち、言わずと知れた鮎解禁日。気象記念日、電波の日、写真の日と続く。

アユ解禁とくれば、国の名勝錦帯橋を写し出す錦川の観光鵜飼が始まる日でもある。
写真の日とも言われる今日。何はともあれカメラを肩に夕方の錦帯橋へ一目散。
まだ西の空には陽が残る。鵜飼船に薪を積み込んだり、遊覧船の船頭さんが、水竿のチェックや船体水漏れチェックなどに余念がなかった。

ふと見上げる、生活道路の錦城橋の歩道には、カメラの放列。
野次馬根性丸出しのyattaro-が一番乗りかと思いきや、なんのなんの、もっと気の早い写真マニアが集団でそれぞれアングルチェックをしているではないか。
「アンタも好きね~」とは言わなかったが、錦帯橋鵜飼もなかなかの人気だ・・・と思いたいのだが、今日が鵜飼開きだからカメラの放列も出来る。
観光ホテルで行われる鵜飼開きセレモニーに続き、全遊覧船を満席の客で埋める地元有志のデモンストレーションが繰り広げられる。だから初日の今日だけは満席となる。

出来るなら今日から9月10日までの期間中、毎夜を満席の見物客で埋め尽くしたいものだ。が、為替相場は78円半ば。日経平均株価は8500円割れ。これでは観光産業などは大きな期待は持てそうもない。なんとか観光鵜飼を持ちこたえて欲しいと願う一人ではあるが、果たしてどうなるのだろう。

さー!!気持ちを切り替えてスマートな6月にしたい!!と思う傍らで、このような厳しい現実が待ち受けている。岩国自慢錦帯橋下の鵜飼を『あの人に見せて上げたい』と思っている人も多くいるだろう。その夢を壊さないで欲しいと願うばかり。

やはり世上厳しい6月となりそうだが、せめて自分の気持ちは自分でコントロールして、計画的な日々の中にゆとりを持てる一カ月にしてみたいものである。

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