「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「志を立てる」

2015年02月05日 | つれづれ噺

           

地元の中学校で催された立志式なるものに、カメラマンとして顔を出してみた。
立志の日とは『中学3年を前にした14歳の少年少女が、みずから将来にのぞんで志を立て、次代の社会をになう 者としての誇りと自覚、さらにはこれを実践するための健康な心身をつくるため青年への 新しいスタートに立つ日を「立志の日」として、少年、少女を祝い励ますもの』と定義づけられている。

いまさら言うまでもなく、昔の元服の儀であり「吾十有五にして学に志す。」儀式である。
無理に2月5日の今日でなくても、それぞれの事情に合わせて、立春を迎えた2月に、自治会や社会福祉協議会、青少年健全育成協議会などが実施している。
個人的には、小生自身の「立志式」というのがあったのかどうか記憶が定かでない。
シャキッとした志も持たない中学生活であったから、単に記憶が飛んでいるだけかもしれない。

今日の立志式で頂いたしおりには、2年生115人全員の一筆目標が書かれていた。
時代を反映してか、人と人とのつながり、絆を大切に生きて行きたいという意思が多く見られた。
特に、人にやさしく接すること、人から頼りにされることが、大きな生き甲斐になっているとみた。

中には「公務員になって安定した生活がしたい」とか、「イタリアの一流シェフになりたい」。その反面、プロ野球・サッカー選手になりたいという夢はごく少数派となっている。そして、これからいろんな人との出会いや、生きて行く中で、自分に合った夢を探したい、という傾向が強かった。
おもろいな~と思う。いずれにしても、何かの生き甲斐を持つこと、夢を追いかけること、にがむしゃらであって欲しい。とは思うが、彼らが実際の生活を通して現代社会を見る中で、やりたいこと、なりたい人間像を模索するのもいいだろう。

ただ、みんながみな心に描いた夢が実現できるわけではない。
いくら努力しても乗り越えなられない壁はある。その壁にぶつかったときにどう対処するか。如何に切り替えて他の夢を作り出せるか。この切り替えも大切な覚悟である。人生は長い。夢が壊れたときにやり直す勇気と、立ち直る気力さえ持っていれば、いつかきっと倖せは訪れる。と、ちっぽけながらジジのアドバイスを贈りたい。 

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「初咲きの」

2015年02月03日 | 季節の移ろい・出来事

                       

決して広くない庭の一角に、いつの頃からか根を張り始めた寒アヤメ。あれは確か妹が苗を持ってきてくれたように憶えている。
たった一株であったのが、年々しっかり成長し、大きく頑丈な根を張り、清楚な中に凛とした美しさを楽しませてくれるようになった。
何度もエッセイのネタになってもくれた。そんな寒アヤメが今年も花を付けた。

初咲きの寒アヤメ。あまりにも寒さ厳しいここ2・3日の影響か、少し控えめに咲いているように見える。
この花が咲き始めると、今一度大きな寒波が押し寄せる。そのあとで確かな春の足音が聞こえはじめる、というのが例年のお決まりコースである。
それもそのはず、今日は節分。明日は立春。春を迎える役者はそろったと言っていい。

節分には豆をまいて家の中から鬼を追い出し、そして福を招き込む。おなじみの構図である。
誰もが追い出したがる鬼ではあるが、日本の鬼は古くから人間と共に生きてきた、言わば同居人的な可愛げがありさほど大きな悪役でもない。
その一番の例が「来年のことを言うと鬼が笑う・・・」というように、鬼さんだって笑うのである。
またどんなひどい鬼でも、同情するときには「鬼の眼にも涙・・・」というように、涙さえ流す優しさを持っている。

本来人間という生き物は、時に極悪非道もやってのけるが、所詮か弱い情も涙も持っている動物であると信じたい。
なのに、このところはまさに極悪非道、人の命をもてあそんだり、弱みに付け込んでなんでもやってしまう畜生にも劣る集団が横行する。
彼らは人間の皮を被ったハイエナにも似ている。というとハイエナが怒りそうであるが・・・。
おのれの信じる宗教のためなら、他の宗教を排斥するにとどまらず、根こそぎ葬ってしまおう、などという無法に神の天罰は下らないのだろうか。

節分の豆で、我が身の内に棲む邪気を追い払えたらいいだろうなと思ってみる。
鬼もいて福もいて、邪もあって善もある。みんなごっちゃ混ぜでバランスが取れているのだろうか。
さて今年は何粒の豆を拾って食べようか・・・。

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「春隣」

2015年02月01日 | 季節の移ろい・出来事

                     
                              真っ赤な実も、残り少なに

あっという間に1月が往った。
玄関先の石の陰で小さかったマンリョウが、いつしか枝葉を広げて石の背丈を追い越した。そして近年、特に今年は大量にまん丸い実を付けた。
まん丸い青い実はテカテカの光沢を放ち、やがて真っ赤に熟れる期待を抱かせた。

徐々に色づき、やがて真っ赤なルビーを思わせる光沢を楽しませてくれた。
言葉をおぼたての姫孫が、ハジ・・・お箸。 トウト・・・ちょうちょ。 コーキ・・・飛行機などに続いて覚えたのが、この真っ赤なマメである。
玄関を出るたび入るたびに「マメ・マメ・・・」といって一粒ずつつまんでいた。少しずつ減ってはいた。
が、まだまだ今を盛りだから、とほんの一瞬カメラに収めるのが遅れた。しまった!案の定、あれだけたわわだった実がほとんどなくなっっているではないか。

ヒヨドリ夫婦のせいである。ここら辺を縄張りにする一組のつがいが、ものの見事に真っ赤なルビーをかっさらっていった。
なけなしのおこぼれでなんとか写真にはなったので、まあ許すとしよう。ヒヨドリ夫婦も、今日まで完熟するのを待っていたのであろう。
食べ物にはすべからく「旬」という最もおいしい時期がある。その旬を逃さず食い荒らす彼らの味覚は、人間も遠く及びはしない。

そんなわけで、マンリョウの実が真っ赤に熟れて、ヒヨドリのお腹を満たすようになると、春近し。まさに春隣となる。
如月朔日(きさらぎついたち)。立春も節分も目の前。春到来を捉えた感さえする。
月が替わり、また一つ気合を入れ直さなければならない予定の行動も待っている。

ジジの手の平の半分にも満たないちっちゃなクックを履いて、♪ トウト、トウト、菜の葉に止まれ・・・♪ とジジに合わせて歌う姫孫との散歩や公園遊びがもうすぐできる。孫兄ちゃんは、体調整えて全国大会に備えている。

やはりこの時季 ♪♪ は~るよこい は~やくこい 歩き始めたノンさんが おんもへ出たいと待っている~ ♪ がピッタシ来る歌ではある。
そうして上手に遊んでもらいながら、ジジの頭の中では日めくりカレンダーを丁寧に1枚1枚めくって行くことになりそうである。

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