「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「世界の祈り」

2019年08月06日 | ニュース・世相

          

令和という新たな時代を迎えて、初めての「広島平和祈念式典」が、小雨の中、広島平和公園で行われた。
午前8時15分。ここ岩国市でも、人類史上初の原子爆弾投下という悲惨なメモリアルタイムに合わせて、哀悼のサイレンが吹鳴された。
それに合わせ、人として当然の義務と感じて、広島方面に向かって黙とうを捧げた。
折よくやって来た、夏休みじいちゃん学校の生徒も一緒に目とうを捧げた。そして、平和記念式典とは何か。原子爆弾とは、戦争とは・・・・・・。
そんな話を少しした。どこまで理解したかは、本人がこれから歳を重ねる中で少しずつ気付いていくであろう。

昭和20年8月6日といえば、まだ3歳6ヶ月10日であった私には、残念ながら確たる記憶はない。
でも、周囲の人たちの声高な、怒りと心配が入り混じった喧騒の中で、何らかの重大事発生を肌で感じたような、かすかな記憶があるにはある。
それから物心つくまでの間に、どれほど多くの、悲惨な物語りや体験談を耳にしてきたことだろう。

          

身内に原爆投下による直接的被害者がいなかったことは不幸中の幸いであるが、同級生の中に今も「原爆被爆者手帳」を手放せず、放射能の脅威に
直面しながら生きている友もいる。あの日から74年の歳月というのに、今も、これからも苦しみ続ける多くの人がいることを忘れることは出来ない。
まさに人類史上初の未曾有の大惨事。それが、戦争という愚かしい人災なのである。人災なのだから、今後二度と起こさないことは可能である。

と口で言うのは簡単なのに、現実世界は「いつでもこの過ちを再現させる」用意をしている。
それが、大国という名の少数の国家が独占的に保有する、核兵器の数々である。
「自分たちは持ってよい」だけど「発展途上国やは少数の大国以外は持ってはいけない」と、わけの分からぬ勝手なことを云う。

アジアの小国が、大国に抹殺されないための自衛手段として「核開発」というアドバルンを上げると、世界中が右往左往してご機嫌取りしながらすり寄る。
相手が全く了解も承知も示さないまま「核交渉はうまくいっている」「良い関係は保たれている」と、まるで自分の手柄にして選挙戦を有利に戦おうとする。
そんなよその国の威力を借りている我がNIPPONが、真実の独立国家といえるのか。といつも疑問に思う。

核兵器は、小国はダメよ、でも大国は保有してもいいという世界の矛盾を糾す方法はないのだろうか。あるような気がするけどね~。
それと今ひとつは、この地球上から核兵器と名のつくものは一切合切完全に無くしてしまうなら、それこそが世界の平等というものであろう。
いずれにしても、毎年この時期になるとこんな悩みにアタマを痛める。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「暑さと汗の向こうに」

2019年08月05日 | 季節の移ろい・出来事

             

一つ動けば首筋から、二つ動けば背中から、タラ~リタラリと流れる汗。これまでにない暑さを感じさせる今年の夏。
そんな暑さと汗の向こう側に、夏ならではの楽しみもある。大きくなった孫娘二人。いろんな仕草でジジ・ババを慰めてくれる。

普段はお父さんの勤務に合わせて里帰りする姫孫二人。今年は、長女が幼稚園最後の夏休みで、小学校に上がる前の「いっぱいの思い出作り」ということで、お父さんの勤務に関係なくやってきた。お母さんと3人で1週間の長逗留。その間何日かお父さんもやって来た。
ジジは海の公園などもっぱら遊び相手や、お散歩のお付き合いで楽しめる。錦帯橋花火大会に出かける前のあどけない浴衣姿もまた可愛い。

ところが1週間に及ぶ三度の食事を受け持つババ殿は、呑気なことなど言っていられない。出来れば日替わりメニューをテーブルに載せたいとアタマを悩ませる。老いかけ夫婦二人きりの食事とはわけが違う。
「今日のお昼は外で」とか、「夕ご飯は実家の家族で・・・」となると、ホッとする一場面もある。
そこには、ババ殿も「ここ数年、特に歳を感じるようになった」という気力・体力の衰えを訴えるようになった。     

 

そうは云いながらも、片時も離れず「ばあちゃん、ばあちゃん」と付きまとう二人には勝てない。
やはり「この子らの喜ぶ顔」は、年寄りのエネルギー源であることに変わりはない。

と思いつつも、そろそろ「ランドセルの色は紫色にしたいな」とか、「机は小さくていい」などと独り言みたいに云う希さん。
甘えられて喜んでいたジジの首や背中にまた一筋、おおきな汗の玉が転がり落ちる。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「なつ、真っ盛り」

2019年08月02日 | 地域活動

 

もう1週間もすれば「立秋」が訪れるというのに、この暑さはまさしく半端ではない。文字通り、なつ真っ盛り!!
小学生の夏休みも10日あまりを経て、8月1日は登校日と決めている学校も多いようである。

そんな夏休み登校日を活用して「夏休み竹細工教室」を開くのが、我が住む町の地域活動の一つとして毎年行われている。
今年もまさに汗だくになりながら、地区内にある二つの小学校で、3年生以上合計130人を相手に、我々指導者述べ60人が手を取り足を取って教える作業は
大変な作業には違いない。しかし、竹笛、ガリガリトンボ、竹とんぼなど、時分の作品が完成した時の笑顔を見せられると、やっぱり汗を流しながら、朝早くから二日連続でお付き合いすることになる。

殊の外暑いこの夏、一つの小学校では学校側からのお気遣いを頂いて、蒸し暑い講堂から、エアコンの効いた教室で学年別に実施しましょうとのご提案。
これは正直有り難かった。しかも広い講堂に分散するよりは、教室という狭い空間が却って親近感を持たせる雰囲気がある。
教室ごとに閉会式を行う中で子ども達に「何か感想がありますか」と担任が声をかけると、「最初は難しくて何も出来なかったが、時分が手を出しているうちに
出来るようになり、作品が出来上がった達成感を感じた」という、ものすごい感想を述べる5年生に出会った。

 

普段使ったこともない、のこぎりやナタ、木槌に切り出しナイフなど、切れ者を使う教室故に、我々の方も慎重になる。
まさに手取足取りで教えることになる。そんなときふと思うのは、家庭でホンの少しでもそういったDIYをやった経験を持つ子は、飲み込みが実に早い。
実にはっきりと態度に表れる。

世のお父さんお母さん、全て既製品を買い与えるのが簡単解決ではあるが、ときに、子どもと一緒に工夫しながら、汗をかいてみるのも、家庭教育の基本
であり、子ども自身にとって大いにプアラスになることを知ってほしいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい