春雲りの空に向かって無心に花開く「ハクモクレン」
若干年下の旧い友を久しぶりに訪ねてみた。
東日本大震災の年に脳梗塞を発症し、9年目を迎えた今も後遺症に悩まされているという。
週2日のデイサービス通所。服用を勧められている薬は、血圧降下剤をはじめ片手では足りない種類を毎日欠かさないという。
最近では特に足が弱って、歩くのがおぼつかない、だから通所以外の日は、午前と午後2回、短い距離を歩く訓練をしている。という奥方の説明であった。
かつては、長年のマージャン仲間でありライバルであった。お互いの青春から中年、壮年まで、彼以上に長い付き合いの友はない、というほどの長い長い友であった。大きな諍いもなく延々マージャンで遊んだ挙げ句、彼の家の離れは恰好のカラオケスタジオに使わせてもらった。
裕福な家の一人息子として生まれ、姉と妹に挟まれた実におっとりした好青年である点は、私などと大きく違うところである。
一時期同じ職場も経験したし、結婚式の司会も仰せつかった。言うなれば若いころからの家族ぐるみのお付き合いであった。
そんな彼を何故病魔は襲ったのか。こればかりは誰にもわからない。神のみぞ知る不思議の一つである。
奥方の話では「段々記憶が薄れて、人の顔を思い出せなくなった」と言い、「この人は誰か分かる?」と私を紹介する。
ニコ~っと嬉しそうな笑顔で「〇〇ちゃんじゃ」とはっきり言う。覚えていてくれる。もっとも、1年半くらいの無沙汰なのだから、あの付き合いの長さから言えば、覚えていて当たり前である。と思うのは私たち健常者の言い分であるのだ。
介護する人の立場に立てば、日々大変なご苦労があるのだと分かる。先ず自分を捨てて寄り添う努力が要ることが透けて見える。
長年連れ添った夫婦ではあっても、辛いものは辛い。そこんところを、少し理解してあげられる旧友の訪れは、なにがしかのお見舞いになったようで、「また来るからね」という言葉に力が入った。
そんな彼の家の広い庭に、天を突くように咲くハクモクレンが見頃を迎えていた。
「自然への愛」という花言葉は、春の花が一斉に咲き誇る季節に、枝先に大きな花をつけ、自身も自然を謳歌しているようにみえることに由来する。と言われている。そして「崇高」「忍耐」という花言葉も。添えられている。
新型コロナウイルスの包囲網が狭められるような切迫した日々の中で、何かしらとても爽やかな気分の一日であった。