水泳部(金槌がチャンピオンになった)(その1)
娘は小学校4年まで泳ぎができなかった。
いわゆる「金槌」である。これは父親である私の遺伝子が原因だったのかも知れない。
娘が5年生になっときの事である。学校から帰ってきて「水泳部に入る」なんて言い出した。
親は驚いた。4年生までは泳ぎが不得手、泳げない子供たちが集まる「皆泳教室」の常連。
いつまでも泳げない娘の姿に心配を持ち続けていたのでしたから。
「泳げないのに水泳部に入るなんて良いのか」と聞くと「だって、5年生は全員が入る」と言う。
母校の小規模校「宇賀地小学校」の良いところでもある。
夏は全員が水泳部。そして冬は全員がスキー部だということを親は知らなかったのでした。
そして、いよいよ水泳部としての練習が始まった。小学校のプールなんて25メートルの規模の小さい、
そして低学年のことも考えて深さもさほどない。
見学に行って驚いた。なんと泳げなかった娘がみんなの間に入って泳いでいるではないか。
クロール、バタフライ、背泳、平泳ぎとそれぞれの泳法を器用にこなす子供たちがトレーンと呼ぶ、
一列になってプールの外周を回る姿には感動さえ覚えた。
娘の資質を見抜いた先生は、平泳ぎ「ブレスト」の選手として娘を鍛えた。
一度練習を見に行っただけでそれからは一度も行かなかったが、
娘はめきめきと上達している様子が話しの端からうかがえた。
(続く)