昨日は3月31日に満97歳の生涯を閉じた叔母の納骨式に参列しました。
叔母は若くして連れ合いと死別。以後一男三女を苦労して育てます。(子供心にも可愛かった三女は幼くして病没)
女一人で、社会保障制度も整っていなかった時代に子育てするのは容易なことでは無かったと想像できます。
そして、五反田に小料理屋「いと路」を開店し20年以上にわたってお客さんに親しまれていました。
(本文と関係ない写真ですが、菩提寺である普光寺の毘沙門堂に通ずる参道です。)
恵まれたとは言えない、そんな境遇でも持ち前の明るさと聡明さと器量の良さで苦難を乗り越えた。
そんな叔母さんはスベルべがいくつになっても「スベルべ君」なーんて、明るい声で電話をくださった。
結婚後もそんな叔母さんの明るさに随分と元気づけられ助けられていたようです。
一度、東京で働く友人に連れられ、「いと路」を訪れたことも有りました。
(参道の奥に鎮座する不動明王。有名な裸押し合いの際は真冬にこの手水鉢(うがい船と呼ぶ)に飛び込み身を清める)
「いと路」だと気づいたのは店の前に立ってから。友人は自分の眼鏡をはずしてスベルべに掛けた。
暖簾を潜ると「スベルべ」と大きな声。でも、少し黙っていると「失礼しました田舎の甥に似ていたもので」と。
スベルべと言うよりも、友人の悪戯にまんまと叔母を載せてしまったわけです。
もちろんすぐに白状して大笑い。大いに美味しい料理とお酒を楽しんだものでしたが。
(裸押し合いが開催される毘沙門堂です)
スベルべもそのDNAを引き継いでいるところが有るのだけれどそそっかしいところも有りました。
でも、そんな行動も周囲を怒らせるわけでも無く、「あ、またか」と笑わせる愛嬌だったと思います。
(毘沙門堂の外見です)
納骨の儀はこの毘沙門堂の裏手のお墓に収めて終わり。
55年ぶりだと言いますが、亡き愛していた夫と、可愛かった三女と一緒になれたのでした。
その後の会食では涙と笑いの叔母さんの話題で盛り上がました。
スベルべの亡母は叔母さんの長姉です。叔母叔父も亡くなり一人を残すのみとなっています。
大好きだった叔母に別れを告げる大切な儀式でした。合掌。