千鳥破風(その1)
昭和30年に村の中心部、鎮守様の後ろにあった古い茅葺の家を壊し、
まだ一軒も家の無かった上越線「北堀之内駅」の駅前道路わきに我が家が新築された。
壊した藁葺き屋根の家は、築何年だったのか、その作りから見て江戸時代もかなり古い時代のものだったに違いない。
千鳥破風と呼ばれた様式だったらしいが、典型的な曲がり屋で前中門と呼ばれた玄関棟は天井に潜り込み、
材料を見ると勿論だかもしれないが鉄釘など一本使われていず、荒縄で部材同士は繋ぎ合わされていた。
柱類は本屋の座敷の柱にも見られたのだが、鉋(かんな)仕上げの跡は無く、チョウナ削りの荒々しい仕上げだった。
戻って、玄関を入ると右手に便所、そして奥手には木製の重い引き戸が有った。
その引き戸を開くと土間が続き右は厩(うまや)だが、物心つくころには馬の飼育はされていず、薪が大和積まれていた。
その土間の奥には釜土が置かれ、煮炊きができるようになっていた。
(続く)