(1964年!体育館も小さいがその後大きな新体育館が出来、バドミントン部などがお家芸になっている)
友人の消息(その4終わり)
その後も、帰郷の都度実家よりも先に我が家に来て、帰京間際まで滞在し「いくら居ても良いけれど、
両親にも顔を見せて帰りなさい」なんて私の母に諭されたりさえしていた。
その後、叔母の店に一人の若い女性が手伝いに入った。彼はすぐに彼女を気に入ったらしい。
しかし、例の性格で調子よく彼女を連れだすことなど出来ない。
「切符を貰ったけれど、二枚あるから一緒に行きませんか」なんて、
不器用な見え見えの音楽会への誘いなどもしていたらしい。
ある時、居酒屋周辺に再開発の波が寄せてきて閉店、移転することになった。
事情は分からない。たまたまタイミングが無かったのか、彼にその話は伝っていなかった。
彼は、その女の子が嫌って教えなかったのだと思ったらしい。
傷ついた彼はあんなに親しく付き合っていたと言うのに、私には連絡さえくれなくなった。
武骨でシャイな男が、初めてとも言うべき恋で落ち込んだことは分かる気もする。
そのまま、何10年もの月日が経ってしまった。
ある日、彼が還暦を前に病気で亡くなってしまった事を知った。
後悔の念が沸き上がる。どうして、再度声を掛けられなかったのだろうかと。
せめて、彼の仏前にお参りに行きたいと思いつつ、果たせぬままに日ばかり過ぎている。
そう遠くも無い彼の実家は、彼の弟が守っていると言う。
ここの所毎年春のお彼岸にはお参りに行こうと、思いつつ何年もただ過ぎ去っている。
(終わり)