田植え休み、稲刈り休み(その2終わり)
でも、その頃よく交わされた会話の内容で、今でも忘れられず思い出す会話がある。「いくら世の中が進歩しても、稲刈り機ならまだしも、田植えをする機械なんてできるはずが無い」なんてやり取りです。その頃は稲を刈り取って束ねる「バインダー」などという機械がようやくみられるようになった時代でもあった。
田植え仕事での楽しみは、十時と三時の一服だったかな。時によっては牡丹餅や、黄な粉おにぎりが出たりした記憶が残っている。
そして、恥ずかしいような記憶の極めつけは昼食。「まんまだけは、いっぱいあるから、たくさん食べて」なんてお代わりを促されます。それがまた自分自身が恥ずかしくなるほど食べられる。江戸川柳の「居候三杯目はそっと出し」を彷彿させる光景だったでしょうか。
一日、腰をかがめて田植えをしていると、その実績はともかくとしても、顔だけは一丁前にむくみ、二重瞼が一重になるほどだったことも思い出す。
(終わり)
田舎ならではの行事、慣習だったのでしょう。夏休み、冬休みは授業の穴埋めで短かった。