一番大人しいと見えた琴子さんが その場を仕切っていた
巧みに会話の流れを操っている
それにはるみさんも香夜美さんも呑まれているのだった
職業は保母
子供の注意を引き付けてー相手が子供なら慣れているのだろうが
魚から人魚 また人間に戻った香夜美さん
この事をどう受け止めればいいのか
一度壊れた香夜美さんを 琴子さんが人間に引き戻した事になるのか
だが 目の前にいるこの美しい女性が人間でないとは言えない
となれば 後は はるみさんが 有沢聡一が どう折り合いをつけるか
「君は自分が人としての姿を保てなくなることが心配なのか
もしや陽一が人間でなくなるかもと」
再度 念を押すように有沢が繰り返す
「僕はさっき君が荒れる天気を鎮めようとするのを見た
同じ光景を昔 見たことがある
そういう力を持つのは 君達だけじゃない
気にすることは 無いんだ
そういう力はお守りとして 大事な時に使えるように仕舞っておけばいい
コントロールできるようになる
大丈夫だ」
有沢と琴子さんは目と目で会話していた
この兄妹にも何かあるのだろう
「あなた・・・」
涙を流すはるみさんを有沢はしっかり受け止めていた
それを見る香夜美さんはひどく辛そうだ
ああ この人は もしや義兄になる有沢聡一を愛してしまったのか
それゆえに恋が叶わぬと思いつめ 鬼となったのか
琴子さんは気付いている
はるみさんも薄々と
そういうことなのか?!
どうしても自分のものにはならない男
勝てない存在と思える姉
自分の理不尽 我が儘を知り それでも抑えられない心
陽一君が自分の産んだ子であれば
叶わないなら いっそ いっそと
その激しい気持ち
それを琴子さんは言葉でコントロールしようとしている
「田舎暮らしが嫌になったら 遊びに来ればいいじゃない
陽一の学校や聡一さんの仕事があるから わたしはまだここには住めないけど
でも夏休み 子供が遊ぶには ここは自然がいっぱいでいい場所よ」
はるみさんが姉輝世野としての言葉を香夜美さんに向けた
香夜美さんははるみさんに直接の言葉は向けられなかったが 琴子さんに向かって「合コンね」と小さな声で呟く
精一杯の冗談のつもりだったのだろう
「そう 合コンよ
一緒に買物にも行きましょう
美容院行って エステもね 」
で 琴子さんは 俺に声かけた
「香夜美さんを送って行くの
一緒に来て貰えません?」
くるくる動く大きな瞳
実に不思議な女性
強いのか弱いのか
香夜美さんを送っていく間 琴子さんは職場の子供達のこと お気に入りの店のこと 楽しい話題を選んで話していた
ただ 別れ際「きっと会いに出てきてくださいね 出にくかったら 私が迎えにきます」はっきりと琴子さんは言った
少し歩いたあと 「今日は色々と有難うございました」
几帳面に頭を下げる
こちらは惚れた弱みで何も聞けなくなる
ここで君が好きだから気にしなくていいんだーと言えるほど厚かましい男じゃない
仕事ですーともとぼけられない
言いたい一番のことが言えず 聞けずに 有沢とはるみさんのいる家の前へたどり着いてしまう
有沢が家の前で待っていた
「倉元さん 有難うございました ちょっとだけ 妹と話したいのですが」
気になる ひどく気になる
俺は随分さもしいことをした
少し離れて 兄妹の会話を盗み聞いたのだ
坂を降り 車を停めた場所近くまで行って 初めて有沢は口を開いた
「思い出したのか」
「ん・・・ あの海は決定的だった」
「お前が気にすることはない お前は頑張ったんだ」
「私に力があれば! どんなに頑張っても止められなかったの」
有沢は妹を抱きしめた
「お前は小さかった 勝てなくて無理はない あの人は一番力を持っていたんだ
お前が頑張ってくれたからこそ あの人は お前を認め 俺達だけでも見逃してくれたのさ」
「でも私達以外は あの人も みんな みんな沈んでしまった」
「あの人はね 好きだった男を ある実験に使われてしまった それで とうとう心が壊れたんだ
何もかも無くなればいいーその一心に固まってしまった
忘れたままならいいと思っていたよ 俺達は最後の生き残り 」
「だからね 私 ここは守りたいの 新しい故郷にしたいの それはいけないこと?」
「いや この世に存在する限り 存在し続ける権利はある 世間の常識や法律外の存在であれ 何もかも法律で善悪を判断できるというのは 危険な驕りだと思っているさ」
兄と妹は暫く無言でいた
そして有沢は「お前の気持ちが ここの人達に 何より香夜美さんに伝わるといいな」
そう言って はるみさんのいる家へ向かう
俺はどうしたものか思いつかず動けずにいた
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