.
昨日の続きです
風土記の丘から ~ 山の中を通って 平石城跡へ向かう
山ン中から散策路に出て ~ 平石城跡へ向けて歩く

笹やぶ・竹やぶの中を抜けると右に視界が開け

金剛葛城山系が姿を現す


金剛葛城山系の濃い緑を背景にして 名残の黄葉 が冬の陽射しを受けて輝く

濃い緑の中に、まだ頑張ってる黄葉がある
もう少し進むと竹やぶ ~ さらに進むと

散策路脇に平石城跡の案内柱、右へ入って行く

落ち葉模様の、こんな階段を登ったら 平石城跡が現れた

写真中央に 「 史跡 平石城跡」と刻まれた石柱が建っている
隣の説明板には、次のように書かれている
楠木の支城 平石城跡
この地の豪族 平岩茂直が元弘元年(1331)・楠木正成の赤阪挙兵に応じてこの城に拠り、北条方と戦って戦死した。その後、正平14年(1359)楠木正儀が当城をかため足利勢と戦った。府史跡地して指定されている。
今から 664年前のことである

城址には石造りの小さな祠、そして両脇には自然石のような石
両脇の石と倒れてる石には何か? 文字が刻まれている

でも、残念ながら ワタクシの読解力では判読不能である
松風騒ぐ丘の上 古城よ独り何偲ぶ ♪
栄華の夢を胸に追い ああゝ 仰げば侘し 天守閣 ♪
崩れしままの石垣に 哀れを誘う病葉や ♪
矢玉のあとのここかしこ ああゝ 往古を語る 大手門 ♪
城跡を見てたら、三橋美智也さんの唄ってた “ 古城 ” という歌を想い出しました。
天守閣も大手門も、何も残ってないけど、 60余年前の昔の歌です・・・
平石城跡を後にして 風土記の丘 へ戻る

往路とは違うコースを歩く、路面は落ち葉の絨毯がつづく ~ 風土記の丘 第一展望台に出る

展望台からの眺め、真ん中にあべのハルカスが見えている
この展望台からは、「近つ飛鳥」一帯や古市古墳群、遠くには大阪市内や六甲の山並み、淡路島などが望めます。
と、書いてあるが 周辺の木々が繁って視界が狭くなってるようだ、
長い石段・階段を下って ~ 博物館横の駐車場へ戻りました。
途中で出逢ったのは、犬を連れた30歳代らしき女性一人だけ、河南町の山郷を独り占め、健康山歩きのひと時でした。
昨日の続きです
風土記の丘から ~ 山の中を通って 平石城跡へ向かう
山ン中から散策路に出て ~ 平石城跡へ向けて歩く

笹やぶ・竹やぶの中を抜けると右に視界が開け

金剛葛城山系が姿を現す


金剛葛城山系の濃い緑を背景にして 名残の黄葉 が冬の陽射しを受けて輝く

濃い緑の中に、まだ頑張ってる黄葉がある
もう少し進むと竹やぶ ~ さらに進むと

散策路脇に平石城跡の案内柱、右へ入って行く

落ち葉模様の、こんな階段を登ったら 平石城跡が現れた

写真中央に 「 史跡 平石城跡」と刻まれた石柱が建っている
隣の説明板には、次のように書かれている
楠木の支城 平石城跡
この地の豪族 平岩茂直が元弘元年(1331)・楠木正成の赤阪挙兵に応じてこの城に拠り、北条方と戦って戦死した。その後、正平14年(1359)楠木正儀が当城をかため足利勢と戦った。府史跡地して指定されている。
今から 664年前のことである

城址には石造りの小さな祠、そして両脇には自然石のような石
両脇の石と倒れてる石には何か? 文字が刻まれている

でも、残念ながら ワタクシの読解力では判読不能である
松風騒ぐ丘の上 古城よ独り何偲ぶ ♪
栄華の夢を胸に追い ああゝ 仰げば侘し 天守閣 ♪
崩れしままの石垣に 哀れを誘う病葉や ♪
矢玉のあとのここかしこ ああゝ 往古を語る 大手門 ♪
城跡を見てたら、三橋美智也さんの唄ってた “ 古城 ” という歌を想い出しました。
天守閣も大手門も、何も残ってないけど、 60余年前の昔の歌です・・・

平石城跡を後にして 風土記の丘 へ戻る

往路とは違うコースを歩く、路面は落ち葉の絨毯がつづく ~ 風土記の丘 第一展望台に出る

展望台からの眺め、真ん中にあべのハルカスが見えている
この展望台からは、「近つ飛鳥」一帯や古市古墳群、遠くには大阪市内や六甲の山並み、淡路島などが望めます。
と、書いてあるが 周辺の木々が繁って視界が狭くなってるようだ、
長い石段・階段を下って ~ 博物館横の駐車場へ戻りました。
途中で出逢ったのは、犬を連れた30歳代らしき女性一人だけ、河南町の山郷を独り占め、健康山歩きのひと時でした。