DNAで、生体の設計図を記録させている比率は全体の僅か2%程度。この2%以外の殆どのDNAはジャンク(ガラクタ)とされていた。これに対して、私は経験した情報などをジャンクと呼ばれていた部分に記録させているとする仮説を2011年の電気学会(全国大会)で発表した。
何故電気学会なのかというと、指導を受けようと生物関連の大学研究者に私の新たな進化論(2003年発表)を説明したが、いずれの若手研究者も全面否定で議論さえできなかった。(余計なことだが、若い世代は保守的ですね)場違いの電気学会であっても、発表した内容は永久に残されるので、公的な証拠記録づくり。
その後、この仮説を一部証明するような論文が発表され、2013年3月に名古屋大学で4回目の進化論発表となった。私の進化論は、生物が需要や環境などに合わせて戦略的に、あるいは創造的に進化したとするもので、そのコアなツールとして「循環論理の評価システム」を仮定している。結果として「獲得形質の遺伝」が起こるが、生物専門家はガンとして受け入れない。
生物が戦略的に、あるいは創造的に進化したとする私の仮説は多分100年を経ないで証明されるだろう。何故なら、様々な実例が支えてくれる。例えば、代々農家だった人の指は力仕事に耐えるよう太く、爪は横広である(「戦争と平和」の一節でも出てくる)。生まれたばかりのウミガメは誰にも教わらないのに、海に向けて一直線にバタバタ走る。
人類は生物を研究することにより、様々な技術を得、製品を開発してきたが人間の目はその中でも最高峰だろう。人類はカメラが発明される遥か前から、大自然の美しい風景を高精度で見ることが出来た。もし進化が突然変異だけで生じるなら、皮膚が変化して電磁波をとらえ、その器官が継続的に進化は出来なかった(発展を実現する一方向の進化)、レンズや網膜、映像認識システムなどの適正な材料選択も無かった。
目に関しては、例えば、怪獣も、魚も、昆虫も、哺乳類も目は二つで、頭の近くについている。もし、従来説のように突然変異などで進化するのだとすると、他の感覚器官に変化したり、あるいは目が3個以上とか、位置も体の各部に配置されてもおかしくない。現状の個数、位置が最適と評価され続けたからこそ、条件が維持され、高度に進化してきたのだ。
花と昆虫の世界は、相互の協力関係を進める形で進化し、双方が大繁栄を招いた。経験の記録と分析、発展を目指した創造性が駆動力となっている。
ミトコンドリアのDNA分析で人類の始まりは8万年前だか アフリカに生まれた一人の女性であることが分かった。過酷な自然環境に耐えて子孫を増やし、一団が砂漠の地アラビアに渡り、そこから世界の大陸へと歩を進めた。
それぞれの民族が自らの住む環境に適した体になっていることを知ることが出来る。灼熱の太陽にさらされたアフリカ人は黒く精悍で、北方民族は色が白い狩人であり、アジア人は中間色で日本人は穀物を黙々と耕すに適する。
生物には等価的に循環論理の評価システムが有るとの仮説を立て、傷などの再生メカニズムを検証すれば評価システムが無いはずはないと思えるが、それが具体的に何なのかは特定できなかった。しかし、遺伝子とたんぱく質などとの相互システムでシミュレーションのような機能を持っていたのではないかと考えてはいた。
細胞内にはDNAから作られるRNAが山のようにあり、確かにジャンクのように見えなくもないが、実は、この圧倒的多数のRNAが生体の日常的な記録を残し(頻度と重要性の高いものほど残りやすい)、過去の記録を利用してシミュレーションや評価を実施するとすれば、私の仮説はより現実的に理解できる。
また、私は宇宙に関しても、ビッグバンを真っ向から否定し、「始まりも終わりも無く、非常に稀に巨大ブラックホールが衝突することにより、新たな天体や銀河系などを創出する宇宙モデル」を仮説として唱えている。
自然界における最も大きな二つの謎、テーマに関して自分で確信を持てる仮説を打ち立てることが出来たことは大変幸せである。(どう考えても私の仮説の方が有力)
予算も設備もスタッフも時間も持たない素人が有力な仮説を立てられるのは、あまりにも天才たちが硬直的で従来説にこだわり過ぎているせいだ。しかし、私は宝の山の中にいながら、宝を掴み切れない。