ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

あれから5年、母の命日

2010-02-13 23:11:15 | 生き方
今年の新潟は、久々に豪雪となった。
例年、1月下旬から2月初旬にかけて最も冷え込み、大雪となりやすい。
今年も、2月の第1週が大雪となった。地吹雪で車が何十台も身動きがとれなくなったりもした。

大雪と言えば、父が亡くなったばかりの冬もそうだった。
そして、5年前、母が危篤の状態となっていた時の冬もそうだった。
「あと1週間もたない。」
と言われていたのが、この時期だった。
すでにもの言わぬようになってからの数日間、母の病室から街にたくさん雪が降っているのを見ていたのだった。
そして、亡くなったのは、5年前の日曜日、2月13日だった。
その日の真夜中、午前2時。病院から電話が入った。
母の血圧が下がってきた。いよいよだ。そう告げられた。
寒い病室の床で、妻と弟と私の3人で、肩を寄せ合いながら母の命を見守った。
やがて、朝が来て明るくなった。気づくと、母の息の間隔が少しずつ次第に長くなっていった。
3秒間隔から5秒間隔へ。そして10秒、…30秒。やがて1分…。
やがて、午前9時台には、3分以上息をしなくなった。
午前10時過ぎ、医師から確認された。本当に別れの時が来てしまった。

今日は、そんなことを思い出しながら、墓参りに行った。
墓のあるところは、新潟県では雪の比較的少ない海岸に近いところなのだが、今年は、20cmくらいの積雪があった。
誰も通ることのない、墓への坂道。
長ぐつにはき替え、道をつけながら、母の眠る墓へと坂を上った。
雪の時期の新潟は、湿った風が吹く。
線香に火をつけようとしても、ろうそくの火が風にあおられて、すぐに消えてしまう。
それでもなんとか、悪戦苦闘しながら線香に火をつけ、家族とともに、祈りをささげた。

今日は、バンクーバー五輪の開会式があった。
前のトリノ五輪は、4年前。
母の死が5年前、ということは、母は、浅田真央も、荒川静香の金メダルも知らずに亡くなったのだなあということも、改めて思った。

墓参りを終え、雪に足を取られる下り坂を、その鳴き声に振り返ると、カラスがすでに数羽、供えた団子をくわえて飛び去って行った。
枝だけが暗い空に向かって立っている木々。
冷たい雪の上に立つ墓石。
静寂を破るようなカラスの鳴き声。
新潟の冬だなあ…と思いながら、もう一度母の眠る墓石の方角に目をやり、「また来るよ。」と心の中でつぶやいた。
コメント
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