ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

鈴木孝司選手契約満了の報せが届く ~4年間ありがとうございました~

2024-11-26 21:46:50 | アルビレックス新潟

今日の夕方、「モバアルZメルマガ」として届いたのは、契約満了の報せだった。

 

当クラブでは、鈴木孝司選手(35)と2025年2月1日以降の契約を締結せず、今季をもって契約満了とすることを決定いたしましたので、お知らせいたします。

 

うーん、そうか。

この30日が、今季ホームの最終戦だ。

例年ホーム最終戦では、退団する選手とのお別れのセレモニーが行われるということから、誰かアルビレックス新潟を退団する選手が出てくるかもしれないとは思っていた。

鈴木孝司選手は35歳であり、前季も今季もケガで離脱したことがあった。

ポジションはフォワードでゴールを期待されるのだが、今季はリーグ戦18試合出場で2得点のみであった。

もしかしたら、と思っていたけど、やっぱり鈴木孝司選手と契約を更新しないのか。

さびしいなあ、と思ってしまった。

4年間新潟に所属していたが、最初の2年間は攻撃をけん引し、J2からJ1に新潟を引き上げる働きをした。

そして、この2年間はJ1での戦いとなったが、けがもあっていい数字は残せなかった。

だが、今季、チームメートにけが人が多く出た春から夏の時期には、彼がチームの中心となってがんばっていたことが印象に残っている。

あの時期は、若い選手たちが続々と試合に出るようになったが、試合の中や後にそういう選手たちにたくさん言葉を交わすなど、ベテランとして渋い働きをしていた。

プロ意識の高い選手だった。

人柄もよく、子煩悩。

子どものことになるとデレッとして、子どもが大好きな父親だということがいつもよく伝わってきた。

人間性豊かな選手だと、いつも頼もしく思っていた。

その彼が、新潟を去るのだなあ…。

 

発表されたコメントは、長くはないが、彼の人間性とチーム愛、サポーターに対する感謝の気持ちがあふれていた。

 

■コメント

4年間ありがとうございました。

 

苦しみの中に幸せな瞬間がある、そんなあっという間の4年間でした。 

 

2022シーズン、新型ウイルス禍から日常を取り戻す過程のアウェイ栃木SC戦で、サポーターの皆さんの声出し応援を初めて聞き強く胸を打たれ、新潟に来て良かったと改めて感じることができたあの日は忘れられません。

 

スタジアムで感じる応援の力、街の中でサポーターの皆さんからかけていただく温かい声。新潟での生活は、どんな時もサポーターの皆さんに支えられていました。これからも熱い愛で選手たちを包み込んでほしいです。

 

アルビレックス新潟の活躍を心から願っております。

 

新潟最高!

 

彼のフォワードとしてのプレー同様に、コメントも全く無駄がない。

サポーターたちに対する感謝の思いがあふれている。

チームを去るというのに、

「アルビレックス新潟の活躍を心から願っております。」

「新潟最高!」

という言葉は、泣かせる。

そんな素晴らしい彼だから、これからまたどこかのチームで活躍してほしいと思う。

そして、仮に選手でなくなっても、人柄を生かしていい仕事をするだろうと、確信している。

今まで4年間ありがとう、鈴木孝司選手!

 

これからまたチームを去る選手が出てくるのだろうなあ。

毎年のこととはいえ、つらい時期だなあ…。

 

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孫の世代が活躍するようになった大相撲に…

2024-11-25 22:21:50 | スポーツ

大相撲九州場所は、琴櫻の初優勝で終わった。

順調に出世してきた彼は、父が琴ノ若で祖父が先代琴櫻だった。

私にしてみれば、琴櫻と言えば、今でもその祖父の姿の方が先に浮かぶ。

 

50年以上前になる自分の小学校時代は、「巨人大鵬卵焼き」の時代。

男の子の遊びとしては、外では野球、中では相撲というのが結構当たり前だった。

相撲は、木の床なので固い運動場(あの頃は体育館というしゃれた呼び名はなかった)でありながら、結構やったものである。

今の時代なら、けがが危ないので止められるところかもしれないが、あの頃はそんなことは気にせず、何年生でもよく興じたものであった。

 

私の小学生以前から、大鵬の時代は長く続いた。

なにしろ、32回も優勝した横綱だからね。

小学生になる前には、まだ集落にはテレビのある家が数軒しかない時代だったから、ある家まで出かけて行って、「見せてください」と言って、上がり込んだものだった。

大鵬が好きだったから、彼が土俵に上がると、テレビの前で大きな声で「大鵬、大鵬」と声援を送っていたら、その家の主に「やかましい。静かにできないなら、出て行け!」とどなられたこともあった私であった。

その大鵬の孫にあたるのが、王鵬である。

下から上がって来たときには強さをあまり感じなかったが、ここ数場所力をつけてきた。

今場所優勝した琴櫻に、唯一の土を付けたのが王鵬であった。

 

その琴櫻―王鵬の一番を見て、しみじみ時の流れを感じた。

昭和40年代、彼らの祖父に当たる大鵬と琴櫻は、何度も対戦していた。

圧倒的に大鵬が強く勝っていたが、現在の孫同士の対戦は、琴櫻が秋場所前まで4連勝していた。

だが、地力をつけてきた王鵬が今場所も琴櫻に勝ち、2連勝。

攻守、力のこもったいい相撲だった。

なかなかいい勝負になってきた。

今から50年以上前の時代に、先代琴櫻も大鵬も、まさか半世紀余りの後に孫同士が戦うことになるとは思いもしなかっただろうなあ、と思ったのであった。

自分は、その、祖父たちの現役時代も知っているし、現在の孫たちをも知っている。

もちろん、彼らの父の琴ノ若や貴闘力の相撲もずっと見てきた。

ずいぶん長く見てきたことになるなあ、とちょっぴり感慨にもふけったのである。

 

さらにいえば、大横綱大鵬が引退した頃には、横綱となって活躍していたのは、北の富士だった。

そして、その頃は大関でその時代が長かった先代琴櫻も、大鵬が引退した2年後、33歳で横綱昇進を果たした。

ただ、横綱時代は8場所と短かった。

2年後、昭和49年名古屋場所の直前に琴櫻が、場所中には北の富士が引退していった。

 

…子どもの頃から、そんなふうに、大鵬・北の富士・琴櫻を見てきた。

一時代を築いた、それぞれ魅力のある横綱たちだった。

 

今場所は、場所中に解説者の北の富士の訃報が流れた。

昭和40年代の横綱が、3人とも、もうこの世にいなくなってしまった。

横綱と言えば、ヒーローである。

子どもの頃よく見たそのヒーローたちがいなくなって、その孫たちが土俵を盛り上げるようになった。

そこに、長い年月を感じ、自分の年齢が上がったことを感じてしまう。

だが、その活躍は、うれしいことでもある。

孫たち世代の活躍は、きっと天上の彼らも喜んでいるに違いないのだから。

 

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佐藤瞳・橋本帆乃香ペアのWTTファイナルズ優勝を称える

2024-11-24 21:53:45 | スポーツ

卓球の国際大会シリーズ年間王者を決めるWTTファイナルズ2024という大会が、今日まで日本の福岡で行われていた。

この試合は、シングルスは16人、ダブルスは8組が出場する。

基本的に、その種目の世界ランキングで上位の選手しか出場できない。

 

この大会では、日本の選手たちもそれなりに健闘した。

男子シングルスでは、日本のエースの張本が、中国選手を2人破って決勝に進出した。

決勝では、世界1位の中国選手に完敗ではあったけれども、ランキング上位の選手からの2勝は貴重だった。

男子ダブルスでは、戸上・篠塚組が初戦で格上の中国ペアを破り、準決勝も勝って決勝に進んだ。

決勝ではゲームオールの接戦となったが、フランスペアに惜しくも敗れてしまった。

女子シングルスでは、5人も出場し、同士討ちの組み合わせもあったが、3人が初戦を勝って準々決勝へ進出した。

ただ、そこで3人とも、中国人選手や欧州チャンピオンの選手に敗れてしまったのだが。

 

まあ、こんなふうに、かなり善戦していた日本人選手だったが、栄冠を勝ち得たのは、女子ダブルスだった。

女子ダブルスで優勝したのは、佐藤瞳・橋本帆乃香のペア。

特徴的なのが、カットマンペアだったということ。

今の時代、カットマンで世界の上位に君臨する選手はほとんどいない。

最新の世界ランクでは、橋本は34位、佐藤は81位である。

その佐藤・橋本ペアの初戦の相手は、ダブルスの世界ランク1位、中国の孫・王(芸)組であった。

孫はシングルスでも世界ランク1位、王は3位である。

彼らの強打と鋭い打球は、男子顔負けのすごさがあった。

善戦しても勝ち目はないだろうな、と思っていた。

 

ところが、どっこいであった。

強打されながらも、カットで拾いまくる2人。

テニスと違って、卓球のダブルスは、1球ずつ交互に打たなくてはならない。

その難しさがあるのに、前に後ろに右に左によく動いてボールを相手コートに返す。

ダブルスは2人が動きながら交互に打たなくてはいけないということを、日本のペアは逆に、最大限に生かした。

カットするだけでなく、時にはドライブして打ったり、攻撃に転じたり、プレーにも変化を加えて相手をかく乱していた。

時には、スマッシュを連発されてもカットやロビングで粘って相手のミスを誘ったり、想定しがたい強打で反撃したりして、接戦に持ち込み、要所で得点していった。

日本の2人のカットマンの技術はすばらしかった。

1+1が3にも5にもなっている感じだった。

2ゲームを先取しながら、第3ゲームをジュースで落としたときは、この後はやられるのだろうと思ったが、違った。

集中力は途切れず、第4ゲームを奪い、中国の1位ペアをゲームカウント3-1で破る殊勲を打ち立てた。

 

佐藤・橋本ペアは、続く準決勝でも別な中国ペアを3-0で破り、決勝進出。

決勝は、日本人ペア大藤・横井組との同士討ちとなったが、やはり3-0で退けた。

 

どの相手も、威力のある攻撃で打ち抜こうとしてくる相手に対して、本当によくカットで拾って粘っていた。

あれだけ攻められても、長いラリーになっても、粘りに粘るプレーには魅せられた。

それは、会場の卓球ファンも、ひょっとすると世界中のファンも同じだったのではないだろうか。

 

優勝したということは、今年の世界一ペアであるという栄冠を手に入れたということ。

長い間ペアを組んできて、世界の舞台で優勝したのはおそらく初めてだろう。

佐藤瞳・橋本帆乃香ペアを、心から称賛したい。

本当におめでとう!

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人生の隣にいつも谷川俊太郎氏の詩が…

2024-11-23 17:45:30 | ひと

今週、自分にとって、自分のいろいろな時代に影響を受けた人たちの訃報が相次いでいる。

ゆるいけど、ほかの人の人生を思い出を知ることができた「こころ旅」の火野正平さん。

われわれが少年時代に横綱を務め、引退後も角介で活躍した北の富士勝昭さん。

そして、子どもから大人まで楽しめる詩を書いていた詩人の谷川俊太郎さん。

 

私にとっては、谷川俊太郎さんのことが一番思い入れ深い。

初めて谷川さんのことが気になったのは、学生時代に聴いていた歌からだった。

あの頃、吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげるらと一緒にフォーライフレコードを設立した小室等の曲には、谷川俊太郎氏の詩が多かった。

4人の中で、最初にフォーライフレコードから曲を出したのが小室等だったが、その曲「お早うの朝」は、谷川俊太郎作詞、小室等作曲だった。

小室等がその後発表する多くの曲は、谷川俊太郎作詞だった。

私が持っているLPレコードには、小室等の「23区コンサート〜東京旅行」というライブレコードがある。

その1曲目は、谷川俊太郎氏による「かっぱ」で、曲が付いていないのに、語呂がよく口ずさみやすかった。

たしか、それは、谷川俊太郎氏自身がゲストで唱えていたような気がする。

「かっぱ」

かっぱかっぱらった

かっぱらっぱかっぱらった

とってちってた

かっぱなっぱかった

かっぱなっぱいっぱかった

かってきってくった

 

学生時代が終わって、「育」業についた。

始まりは、小学校1年生相手に教える仕事だったが、そのとき同僚の先輩から勧められたのが、「にほんご」。

これは、「学習指導要領にとらわれない、小学校1年生のための国語教科書(私案)」として谷川俊太郎氏が安野光雅らと編集したもので、興味深かった。

仕事をしているなかで出合ったのが、谷川俊太郎氏の「わらべうた」という本。

文字ばかりで絵のない文庫本だったが、「おならうた」など子どもに大うけする詩がたくさん入っていて、子どもたちに読まれてボロボロになった。

「おならうた」

いもくって ぶ

くりくって ぼ

すかして へ

ごめんよ ば

おふろで ぽ

こっそり す

あわてて ぷ

ふたりで ぴょ

 

そして、秀逸だったのが、「のみのぴこ」。

 

これはのみのぴこ

 

これはのみのぴこの

すんでいる ねこのごえもん

 

これはのみのぴこの

すんでいる ねこのごえもんの

しっぽふんづけた あきらくん

 

これはのみのぴこの

すんでいる ねこのごえもんの

しっぽふんづけた あきらくんの

まんがよんでる おかあさん

(以下略)

 

…こんなふうに延々と続いていく。

この詩は、よく低学年の子どもたちへの読み聞かせに使ったものだった。

絵本があると知ってからは、ページをめくりながら、子どもたちにもくり返し最初から唱えさせて、一緒に声を出させると、みんなノリノリになった。

最後の「のみの ぷち」まで行くと、子どもたちは満ち足りた笑顔になるのだった。

 

最高学年の6年生の教科書(光村図書)には、「生きる」の詩が載っていた。

(詩はこの後まだ続くが以下略)

私は、この詩を使って、卒業間近の彼らによくメッセージを送ったものだ。

そのときには、必ず小室等の「いま生きているということ」の歌を教室内に流して聴いてもらいながら行うのだった。

詩の一部が違うが、「生きる」に曲をつけたのが「いま生きているということ」だった。

 

生活を楽しくすることから、命を考えることまで、谷川俊太郎氏の詩は幅の広さや深みがあった。

 

そして、このブログでも紹介したとおりに、娘の家でのリハビリでは、詩「明日」を暗唱に使った。

娘は今でもこの詩をそらんじることができる。。

 

「明日」(谷川俊太郎)を暗唱する - ON  MY  WAY

娘のリハビリの一環として、詩の暗唱を行ってきた。最初は、落語の「寿限無」次が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。そして、清少納言の「枕草子春はあけぼの」。いずれもクリ...

goo blog

 

 

小室等の「プロテストソング2」を聴いて、谷川・小室両氏が健在であることを喜んだときもあった。

 

「プロテストソング」(小室等・谷川俊太郎著;旬報社)を読む - ON  MY  WAY

「プロテストソング」。そういう書名の本が、谷川俊太郎、小室等の共著で、5年前に出ているのを知った。その本を取り寄せて、読んでみた。私が学生だった頃、小室氏の歌には...

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詩「こどもとおとな」(谷川俊太郎)から思い出したこと - ON  MY  WAY

先日、ここで書いた谷川俊太郎・小室等共著の「プロテストソング」(小室等のアルバムでは「プロテストソング2」)の中にあった詩で、「こどもとおとな」というものがあっ...

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自分の人生の隣に、いつも谷川俊太郎さんの詩があったような気がする。

感謝と冥福を祈る気持ちでいっぱいだ。

合掌。

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スマホの機種変更に行く

2024-11-22 21:12:23 | 生き方

4年と1か月愛用してきたスマホ。

よく見ると分かるように、表面下部に無数のひびが入ってしまっている。

あちゃー、やってしまった。

そう思ったのは、10月の初めだった。

小屋から自転車を取り出そうとしたとき、引っ掛かったはずみに、ポケットからスマホが滑り落ちてしまった。

パシャン!

いやな音がした。

スマホには、割れないように保護カバーを付けていたので、今まで何度も落としたが、割れずに済んでいた。

だが、今回はスマホが、角からではなく表面を下にして真っ平らに落ちた。

これは、ひょっとして…と思って拾い上げてみると、このように表面のガラスにひびが入っていたのだった。

 

ひびが入って多少凸凹が生じたが、タッチ画面はなんら支障がなかった。

予定がいろいろあったので、しばらくはこのまま使おうか、と決めた。

そうやって、10月は新潟シティマラソンや高校の同級会で使ってきたのだった。

腰痛になって、今月も行く余裕がなく、回復して埼玉などに出かけてきたのだった。

 

そして、今日になってようやく新しいスマホを求めに店に行った。

だけど、店は混んでいた。

2時間待たされたあげく、2kmほど離れたところにある、店の出張所に行くことを求められてしまった。

出直すのも面倒だから、出張所に行った。

まあ、そこでは店員にいろいろと親切にしてもらえたから、たくさん待ったのも仕方なかったことにする。

テキパキと処理して、データやアプリのほとんどを新機に移し替えてくれた。

自分にはできないことだから、すごいなあと思って、その手つきを見守っていた。

世の中にはそういう技術を持った人がたくさんいる。

専門的な知識や技術を持った人がいるから、自分たちの生活ができたり豊かになったりするのだ。

そのことは知ってはいたけれど、今日またその思いを新たにした。

 

店に行ってから終わるまでに4時間近くかかってしまった。

出費も少なくなかったのだから、新しいスマホは、不用意に落としたり、ウエストポーチのように忘れたりしないように気を付けよう。

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とんだ災厄4連続(後編)

2024-11-21 17:57:27 | 生き方

(前編からの続き)

3 

翌朝は、熱湯風呂のショックと蚊による寝不足が大きかったせいか、体に変調が起こっていた。

なんと、お通じが通じなくて困ったのだ。

「門」の近くまで来ていて出したくてたまらないのだが、そこを突破できないのだ。

そこでたまっていて痛くて苦しくて困ってしまった。

 

でも、出発しなくてはいけない時間になったので、仕方なくお通じできないまま、宿から出発。

熱湯風呂に、相次ぐ蚊の襲来と、熱烈歓迎していただいた、思い出深い宿になった。

おまけに、今度は自分の体に変調が起きるとは…。

 

向かった先が袋田の滝。

そこでは、光のトンネルや大きな滝など素晴らしかったから、下の痛みも少し軽減していた。

見終わった後、苦しくなったので、公衆トイレでまたがんばってみたけど、ダメ。

やっぱり苦しい。

 

約2時間の車運転の後、また別の公衆トイレでがんばったが、ダメ。

持ち合わせていた胃薬を飲んでみたが、改善の気配はなかった。

苦しい、苦しい。

 

 

この後、親類宅を訪問した。

懐かしいいとこや、伯母に会えてうれしかった。

伯母は90代だが、はきはきしていて元気な口調なのがうれしかった。

訪問中は、幸いトイレに行きたいとは思わなかった。

そこを辞して、あとは新潟に帰ることにした。

 

高速道路に乗って、サービスエリアで小休止。

当然のように、トイ活(トイレ活動)をした。

努力を重ねたせいか、昼に飲んだ胃薬が少しは効いたのか、ずっと塞がっていた一部が「開門」。

すっきりとまではいかなかったが、一部出たことによって、ようやく苦しみから解放された。

7時間も、この苦しみと戦っていたので、解放された喜びは大きかった。

ああ、完全じゃないけど、やっと楽になったぞ!

うれしいなあ。

…3つ目の災いは、この開門しない苦しみであった。

あとは、気持ちよく運転して帰るだけだと思ったのに、まさかこのサービスエリアのトイ活が、もう一つの悲劇を生むことになるとは思わなかった。

 

3時間高速を走って、下道に降りると、目の前はゆっくりと乗用車が走っていた。

多少イライラしそうになりながら、私の車の後ろにも何台も車がつながっているのが確認できた。

可能なら抜きたいのだけど、すでに日は暮れているし、道も広くなく危ないから、ずうっと30分以上、後ろを付いていった。

やっと前のゆっくりな車と別れることができ、イライラから解放され、10分ほど走って、ようやく家に着いた。

 

いろいろあったけど、やっとわが家に着いたよ。

さて、荷物を下ろそう。

その前に、運転の邪魔だからと外しておいたウエストポーチを持って、…と。

…ない!ない!?ない!!??

え~!!?そんなバカな!!

ウエストポーチがない!!

ウエストポーチには、財布も入っていた。

現金だけでなく、キャッシュカードやポイントカードなども、たくさん入っている。

うわあ~、どうしよう!!!?

どこでなくした?

そうか、サービスエリアのトイレだ。

思い出した。

用を足すために外して、棚のようなところに上げて置いたのだった。

なのに、「開通の喜び」が大きかったものだから、それに紛れて、ウエストポーチをとり忘れてしまったのだ。

なんてこった!!!

心臓バクバク、冷や汗ダラダラ。

あれからたくさんの時間がたっている。

悪い人に拾われていたら、もう返ってこない。

カードを悪用されたらどうしよう?…⤵

 

それでも、まずはサービスエリアに電話だ。

スマホで検索するにも、もどかしくて時間がかかった。

やがて、電話がつながると、「ありますよ」という話。

すぐには信じられなかったが、トイレ掃除の作業員の方が見つけて、届けてくれたのだそうだ。

入っている物を確認すると、何も取られてはいなかったことが分かった。

ホッとした。

着払いで荷物を送ってくれるように頼んで、住所や名前などを告げた。

 

2日後、小さな段ボール箱が届いた。

丁寧に梱包材でくるんであった。

開けてみると、アルビ選手のキーホルダーがついた黒いウエストポーチ。

まぎれもなく私が置き去りにしてしまったウエストポーチだった。

さっそくサービスエリアに電話をして、大きな感謝の気持ちを伝えた私であった。

 

 

…熱湯、蚊、閉門、置き忘れ。

わが身が招いたものもあるけれど、24時間の間に4つも災厄に見舞われた私だったのである。

なんだかね~…(タメイキ)

でもね、4番目の、置き忘れたウエストポーチが手元に返ってきたということは、幸運だったのだから、これからいいことが続くと思いたいね。

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とんだ災厄4連続(前編)

2024-11-20 20:38:55 | 生き方

日曜日の夕方から月曜日の夕方までの24時間に、とんでもない災いに見舞われてしまった。

まあ、自分が悪いのもあったけど、…。

恥をしのんで、とんだ災厄4つをさらすことにする。

 

日曜日の夜、旅館に泊まった。

ホテルではなかったが、たまにはいいだろう。

温泉にも入れるし。

…そんな思いで宿泊した宿。

実は、とんでもない目にあった。

宿泊に当たって、期待は、温泉にゆっくりつかることだった。

泊り客も多くなく、風呂に行くと、誰も入っていなかった。

やった。一人でゆっくり入ることができるぞ。

体にお湯をかけ、浴槽に入ろうとして、片足を入れた。

その瞬間、思わず、飛び上がった。

熱い!!

ここの風呂は、熱くしているのかな。

ならば、湯温に体を慣らしながらゆっくり入るしかない。

だが、かろうじて両足を入れたが、すぐにダメ!

飛び上がって、浴槽から出た。

こういうときには、水を入れればいいのだが、なんと浴槽そばに水道の蛇口はない。

誰もいないのをいいことに、一番近いシャワー(それでも浴槽から遠い)から水を強く出して浴槽めがけてしばらく水をかけ続けた。

だが、焼け石に水とはこのこと。

全然湯の温度は下がらない。

我慢してへそまでつかってみたが、

…やっぱ、無理!!!

と、湯から急いで上がった。

体だけ洗って、入るのはあきらめた。

 

クレーマーと思われるのは嫌だったが、フロントの方に、お湯が熱すぎて風呂に入れないことを告げた。

すると、昨日の客が「湯がぬるいからもう少し熱い方がいい」と言われたそうだ。

「でもね、今本当に熱いから。ほかのお客さんから苦情が出ると悪いから、クレーマーと思われてもいいからお知らせしますね。」

と、私が言うと、実際に言って確かめてみたようだ。

10数分後、

「本当に熱かったです。水が出るようにホースをつなげたから、熱かったら水を出しながら入ってください。」

と言われた。

だけど、もうあんなに熱い思いをした後だったので、もう一度風呂に行く気にはなれなかった。

熱湯風呂で温泉を楽しめないなんて、なんということだろう。

 

風呂につかることができなかったので、仕方なく部屋で、テレビを見ていた。

見たのは、日本対キューバの野球の試合。

日本の楽勝かと思って見ていた9時過ぎ、頭がかゆいなと思って手をやったら、プーンという羽音と視野の隅っこに映ったその姿…蚊だ!

こんな時期になってもまだ蚊がいるのか、と思いつつ辺りをうかがうと、1匹飛んでいるのが見つかった。

追いかけて、パチン!やっつけた。

野球の試合は、しだいにミスもあって、接戦の様相になりそう。

ついに同点になってしまった。

すると、また1匹蚊が出てきた。

え?この時期、2匹も蚊が出るの?と思いつつ、これもなんとか見つけてやっつけた。

 

まだ同点だったが、次の日のこともあるので、10時半に明かりを消して寝ようとした。

少しうとうとしかけた時、耳元にフ~ンという蚊の飛ぶ音。

なんだ!?3匹目まで出るなんて!!

明かりをつけて、目を凝らす。

仕方がないからテレビも付けてみると、野球は最終回の表、日本7-6と1点リードだが、キューバがなんと1死満塁のチャンス。

3匹目の蚊を見つけて、これもやっつけた

日本のピッチャー藤平も、なんとかやっつけろ、と念じていたら、最後のバッターを三振にとって、日本に勝利をもたらした。

もう11時を過ぎていたが、電気を消してまた寝ようとしても、なかなか寝付けなかった。

 

まさか4匹目はないよな、と思っていたら、11時半過ぎ、頭の辺りにプーンという音。

また出た!4匹目なんて、もう限界!!

フロントに行って、宿の人を呼び出した。

蚊が出て寝られないと言うと、おばあちゃんのその人は、「ちょっと待っててください」と言って、奥に引っ込んでいったまま、なかなか戻って来なかった。

やがて持ってきたのは、蚊取り線香と、それ取り付けるためのニンジンに刺したつまようじ。

これを作っていたから時間がかかったのか。

さっそく部屋に戻って、蚊取り線香に火を着けて寝ようとしたが、さすがに簡単には眠れない。

さっきの蚊らしい羽音がフーン、フーンと聞こえていたが、やがて蚊取り線香が効いたのか音がしなくなった。

代わりに、雨音、風で戸がガタガタいう音が気になる。

やっぱり眠れない。

1時半くらいになって、ようやく意識がなくなった。

 

熱湯風呂に、季節外れの蚊の襲来。

なんかとんでもない宿に泊まってしまったな…。

そんな思いでいたのだったが、災難は翌日に引き継がれるのだった。

(後編に続く)

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18年ぶり、2度目の袋田の滝

2024-11-19 19:29:18 | お出かけ

埼玉に行った後、ただ新潟へ帰るのではなく、久々に観光名所を訪れることにした。

おりしも紅葉シーズンを迎えている。

紅葉の合う風景の一つに、滝がある。

紅葉と言えば、日光がすぐに連想されるし、華厳の滝もあったけれども、そちらは混雑する。

今回選んだのは、一度行ったことがあるが、袋田の滝。

ここは、華厳の滝、那智の滝と並んで、日本三名瀑の一つ。

西行法師がこの地を訪れた際に「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したそうだ。

18年前に大学生の息子を訪ねて行った春、新潟に帰るついでに立ち寄ったことがあった。

今は秋。季節の違いがあるから、様相が変わっていることだろうと、期待した。

 

車で行ったのは、当時も今も同じだが、あの時には車で奥まで入ってしまい、土産物屋で買い物をするのを条件に、店の駐車場に止めさせてもらったのだった。

そのことはすっかり忘れていた。

道沿いには有料駐車場ばかりになったので、最後の橋の手前でUターンした。

1kmあまり戻ったところにある無料駐車場に止め、歩いていった。

この日は、朝まで降っていた雨はすっかり上がり、いい青空に山の紅葉がきれいだった。

 

滝川近くのもみじも美しく紅葉していた。

滝を見に行くためには観瀑トンネルを通らなければいけない。

その手前にある、階段を利用した花の飾りは、ハート形が作られていた。いいね。

入場料は、300円。

観瀑トンネルに入ると、光の演出が美しかった。

青や赤、時にはオレンジの光が行ったり来たりする。

私らは、アルビカラーのオレンジが好きだったね。

このLEDライトの演出は、去年の4月からやるようになったとのこと。

いいね、これ。

 

前に来た時と違って、「恋人の聖地」なんてモニュメントがあったよ。

わざわざカップルのために、こんなのを作るなんて、やるねえ。いいね。

 

そして、いよいよ観瀑台へ。

幅の広い滝が、黒い岩の表面を白い模様を描いて流れていた。

流れる水の迫力、いいね。

 

写真にはうまく写せないが、周囲の紅葉もなかなかよかった。

以前と違うのが、この上に第2観瀑台ができたこと。

エレベーターを使って昇る。

 

第2観瀑台は、第1観瀑台より高い位置から滝を眺めることができた。

第2観瀑台には、さらに階段を上って最上段に見晴らし台があった。

そこからは空が前より近くなり、山の紅葉がさらに身近に感じられた。

「たき丸」なんてキャラクターの看板もついていた。いいね、この可愛らしさ。

地元名産(?)の鮎やリンゴも付けている。

このキャラクター、可愛いから、もっと売り出してほしいね。

 

最後に、もう一度トンネルから、以前からあった吊り橋に行ってみた。

この吊り橋から見た滝もいいのだけど、揺れるんだよな。

まあ、それも一興だ。

18年前より渡る人が多いせいか、よく揺れた。

 

10時を過ぎて、団体のご老人客など、訪れる人が多くなってきた。

やはり、紅葉ピークの観光地だなあ、と感じつつ、光のトンネルを戻って行った。

 

空はますます青くなり、きれいな紅葉によくマッチしていた。

無料駐車場までの1.2kmは、いい陽気で、少しも遠く感じなかった。

 

2度目の袋田の滝。

西行法師の言った、四季折々の訪問のよさがある滝なのかもしれないな、と思ったのだった。

 

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イルミネーションが見られないのは残念だな

2024-11-18 21:44:47 | お出かけ

埼玉から帰ってきた。

多少なりとも遠いところで、家や畑を人に貸しているのだから、あんまり何度も行くものではないな、というのが基本的なスタンス。

だから、今年はあとは埼玉に行く予定はない。

そうなると残念なのは、来月行かないこと。

何が残念かというと、マリーゴールドの丘イルミネーションを見られないということ。

そんなに規模が大きいわけではないけれど、毎年見に行くのを楽しみにしていた。

今回、マリーゴールドの丘を訪ねたとき、作業員が、そのイルミネーションの準備をしていた。

光る仕掛けのある動物などの人形を飾っていたり、電飾のための線を引いていたりしていた。

いつも見ていたのは、夕方暗くなってから、というよりももう夜の暗さの時だったから、飾られる動物などの人形がどんなものか、などは知らなかった。

でも、今回は、準備中の姿だったから、「へえ~、実際はこんなものだったのか」という一部を見ることができた。

 

白いうさぎ

【うさぎBefore】

 

七色に輝くトナカイ

【トナカイBefore】

 

今年は、去年はいなかった(気づかなかったのかもしれない)動物たちもあるようだ。

イタチ(テン?)

オコジョ(?)

雪だるま

 

電飾にも

 

去年はこんなだったけど

今年のこれは、どんなふうになるのかな?

このマリーゴールドの丘イルミネーションは、今年は今週末の11月23日(土)~来年1月26日(日)の期間、毎日午後4時30分~午後9時30分にやるそうだ。

電球数は前回から約1万4千球増加され、約14万球使うという。

毎年おなじみの、氷の城イルミネーションがより豪華になり、昨年新設した動物のイルミネーションエリアについても形を変えて登場するとのこと。

ご近所の方々や、訪れる方々、美しいイルミネーションを楽しんでくださいね。

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立派な大根と除草活動

2024-11-17 20:49:52 | お出かけ

埼玉に久々に来て2日目。

家や畑を貸したNさんには会えなかったのだが、がんばっていることがわかった。

雑草畑だった畑が、しっかり野菜畑となっている。

よく耕したものだ。

畑には、大根や白菜などが大きくなっていた。

Nさんには、大根数本取っていっていいですよ、と言われていたので、3本掘り出して、いただくことにした。

立派な大根、持って帰って、いただきます🍴🙏

 

さて、今度は家の周りの除草なのだが、こちらの方までは手が回らないのかな。

センダングサなどがはびこっていて、倒れながらも茎から根を出す強さを見せていた。

もう年内には来る予定がないから、Nさんがいないのをいいことに、一気に抜きまくった。

腰にコルセットを巻いていることも忘れていた。

汗びっしょりになった。

でも、気になっていたので、気分も庭も、すっきりした。

 

さて、長居は無用だ。

埼玉のみかんや大根をおみやげにして、新潟に帰ることにしよう。

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