一昨日・昨日と、G市のセレモニーホールに行ってきた。
知り合いのS先生が亡くなったのだ。
通夜、そして告別式に参列してきた。
病休から休職。闘病の末の残念な結果であった。
まだ、55歳。
40,50年前ならいざ知らず、現代では、あまりにも早い。
奥さんや学生の子どもさんたち家族を残しての逝去は、さぞかし無念であったことだろう。
彼は、大変誠実で謙虚な人柄だった。
担任時代には、熱心に子どもたちのための仕事をする人だった。
もっと教壇に立ちたかったことだろう。
聞けば、すでに25年も前から、難病と呼ばれる病にかかっていたのだという。
そんなことは、ほとんどの人が知らなかった。
彼は、弱音を吐かなかったのである。
責任感の強い彼は、他人に弱みを見せずに、常に精一杯仕事を行っていたのだ。
自分のことよりも、自分の前の子どもたちや人々のために、ということを優先していたのだ。
そのうえで、自身は、闘病を続けていたのだった。
セレモニーホールの入口には、車椅子に乗った、昨春の彼の写真が次々に映されていた。
満開の桜の下で、車椅子に座りながら目をつぶって息を吸い込む、彼の写真。
青空の下、桜満開の春の空気を、彼は、どんな思いで吸っていたのだろうか。
彼は、年が明けてからは、「3月30日まで生きたい。」と、奥さんに言っていたそうである。
3月30日は、奥さんとの結婚記念日だったのだそうだ。
「それが達成できたならば、5月の連休の子どもの誕生日まで。」と笑っていたそうである。
誠実な人柄そのままに、一瞬一瞬を大切にして生きていたことがわかる。
読経の流れる中、まっすぐこちらの方を向いている彼の遺影。
様々なエピソードが浮かび、遺影の写真から、彼のメッセージが聞こえて来た気がした。
今を大切に生きてください。
今しかできないことがあるのです。
そのことに懸命になって取り組んでほしいな。
今、私たちは、学校という場に勤めている。
ここは、子どもたちの成長のためにと、子どもたちに力がつくようにと、取り組むところだ。
今しかできないことがある。
今回、彼から教わったこのことを心の中でくり返し念じつつ、今を大切に生きたいと思う。
今の勤務先でできることも、まだまだたくさんあるのだから…。
知り合いのS先生が亡くなったのだ。
通夜、そして告別式に参列してきた。
病休から休職。闘病の末の残念な結果であった。
まだ、55歳。
40,50年前ならいざ知らず、現代では、あまりにも早い。
奥さんや学生の子どもさんたち家族を残しての逝去は、さぞかし無念であったことだろう。
彼は、大変誠実で謙虚な人柄だった。
担任時代には、熱心に子どもたちのための仕事をする人だった。
もっと教壇に立ちたかったことだろう。
聞けば、すでに25年も前から、難病と呼ばれる病にかかっていたのだという。
そんなことは、ほとんどの人が知らなかった。
彼は、弱音を吐かなかったのである。
責任感の強い彼は、他人に弱みを見せずに、常に精一杯仕事を行っていたのだ。
自分のことよりも、自分の前の子どもたちや人々のために、ということを優先していたのだ。
そのうえで、自身は、闘病を続けていたのだった。
セレモニーホールの入口には、車椅子に乗った、昨春の彼の写真が次々に映されていた。
満開の桜の下で、車椅子に座りながら目をつぶって息を吸い込む、彼の写真。
青空の下、桜満開の春の空気を、彼は、どんな思いで吸っていたのだろうか。
彼は、年が明けてからは、「3月30日まで生きたい。」と、奥さんに言っていたそうである。
3月30日は、奥さんとの結婚記念日だったのだそうだ。
「それが達成できたならば、5月の連休の子どもの誕生日まで。」と笑っていたそうである。
誠実な人柄そのままに、一瞬一瞬を大切にして生きていたことがわかる。
読経の流れる中、まっすぐこちらの方を向いている彼の遺影。
様々なエピソードが浮かび、遺影の写真から、彼のメッセージが聞こえて来た気がした。
今を大切に生きてください。
今しかできないことがあるのです。
そのことに懸命になって取り組んでほしいな。
今、私たちは、学校という場に勤めている。
ここは、子どもたちの成長のためにと、子どもたちに力がつくようにと、取り組むところだ。
今しかできないことがある。
今回、彼から教わったこのことを心の中でくり返し念じつつ、今を大切に生きたいと思う。
今の勤務先でできることも、まだまだたくさんあるのだから…。