【社説①】:きょう憲法記念日 生きる権利の支柱として
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:きょう憲法記念日 生きる権利の支柱として
日本国憲法は施行から74年を迎えた。昨年に続き、新型コロナウイルスの猛威に日本も世界も翻弄(ほんろう)される中での憲法記念日である。
いま、私たちを取り巻く濃い霧は一向に晴れない。
治療すら受けられずに自宅で亡くなる重症者が後を絶たない。
ある日突然、苦しみに襲われ絶望とともに息を引き取っていく。
あってはならないことが世界第3位の経済大国で起きている。
仕事を失い、家賃が払えずに家を手放した人や、アルバイトがなくなり大学をやめざるを得なくなった学生も出ている。
自殺者の数は上昇に転じた。
憲法第25条1項は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として基本的人権の柱の一つである生存権を全国民に保障する。その生きる権利や勤労の権利、教育を受ける権利が脅かされている。
コロナ危機は憲法の危機だ。
一人一人の命と暮らしを守る。憲法が課した使命を政治は全力で果たさなければならない。改憲論議に費やす時間はない。
■制定の原点に戻る時
1947年5月3日、「新しい憲法 明るい生活」と題した冊子が発行され、全国の家庭に配られた。新憲法の内容を分かりやすく伝えようと帝国議会の「憲法普及会」(芦田均会長)が刊行した。
25条をこう解説している。
「世間を見わたすと不幸な人は沢山ある。乞食、浮浪者、ゆき倒れの病人など、こういう気の毒な人々が戦争後はいよいよ多くなってきた」
「国は気の毒な人々を助け、国民一人残らず人間らしい生活のできるように努めなければならないと定めてある」
今日の視点で見ると差別的な表現もあるが、「一人残らず」との言葉に、廃虚にあって福祉国家建設を目指す決意がうかがえる。
25条1項は連合国軍総司令部(GHQ)の草案になく、芦田が委員長を務めた帝国議会衆院憲法改正小委員会の審議で追加された。
この生存権規定が、戦後の社会保障制度構築の土台になった。
しかし現実は、コロナ禍以前から憲法の理想とはほど遠い。
安倍晋三前政権が行った生活保護費の基準額引き下げは生存権の侵害だとして、受給者らが各地で国を訴えている裁判が象徴的だ。
札幌地裁は3月、引き下げは合憲だとして訴えを退けた。
原告の一人は、引き下げに消費税増税も重なり、やむなく食事の量や入浴の回数を減らしたと訴えた。道南にある養父母の墓参りにも行けていないという。
人間らしい営みもできず、ぎりぎりの生活を強いられるのが「最低限度」ではなかろう。制定の原点に戻り、困窮者に寄り添う国の血の通った姿勢が今こそ必要だ。
■時代の要請に応えよ
憲法に政治が追いついていないのは、ジェンダー(社会的・文化的性差)を巡る問題でも顕著だ。
東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を辞任した森喜朗氏の女性蔑視発言は、日本に根を張る旧態依然の体質を可視化した。
賛成の世論が広がっている選択的夫婦別姓の導入には、保守的な家族観にこだわる自民党内の反対派が立ちはだかっている。
憲法第24条2項は、婚姻や家族に関する法律は「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚しなければならないとする。同姓を強いる民法の規定はやはり理不尽だ。
2015年に同姓規定を合憲と判断した最高裁は、別の違憲訴訟を大法廷に回付し、改めて憲法判断を示す可能性が出ている。
また札幌地裁は3月、同性婚を認めないのは法の下の平等を定めた憲法第14条違反だと断じた。
夫婦別姓も同性婚も、憲法制定時には想定されなかった課題だ。
法の下の平等や個人の幸福追求を保障した憲法の精神を尊重するなら、時代の要請を踏まえた解釈をすることは可能だろう。
司法判断が国会を動かし、法整備につながることを期待したい。
■生かす責務国民にも
憲法第97条は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「侵すことのできない永久の権利」としている。
一方で、第12条は自由や権利を保持する「不断の努力」を国民に求めた。憲法が社会に生かされていなければ声を上げるのは、主権者としての国民の責務と言える。
森氏を辞任に追い込んだのも、声を上げた世論の力だった。
昨年、安倍前首相から菅義偉首相に政権が移った。菅首相は安倍氏に比べ改憲への言及は少ない。
だが学問の自由を危うくする日本学術会議の会員任命拒否に見られるように、憲法と国会をないがしろにする姿勢は変わらない。
権力への不断の監視も国民の責務だ。秋までにある衆院選で投票するのは最低限の務めである。
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2021年05月03日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。