【社説】:[5月15日に]復帰50年の焦点化図れ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:[5月15日に]復帰50年の焦点化図れ
「5月15日」と聞いて、直ちに「復帰」を思い浮かべる県民は、今、どのくらいいるだろうか。
戦争で破壊され尽くした沖縄県は、講和条約が発効して日本が独立を回復した後も、同条約3条に基づいて米国の統治下に置かれた。
米国は冷戦下の沖縄に巨大な基地群を建設し、いざというときに備えて核兵器や毒ガスまで貯蔵していた。
憲法は適用されず、1970年に国政参加選挙が実現するまで、国会に代表を送ることもできなかった。
施政権が日本に返還され、沖縄の復帰が実現したのは1972年5月15日、今から49年前のことである。
来年は復帰50年という節目の年に当たる。沖縄振興特別措置法(沖振法)も来年3月末に期限が切れ、新制度がスタートする。
本来であれば今の時期は、政治・経済・暮らしなどの分野で復帰の総括が進み、沖縄の将来像を巡る議論が熱っぽく交わされているころだ。
だが復帰50年を巡る議論はいたって低調である。新型コロナウイルスの猛威に、行政も市民生活ものみ込まれてしまった。
労働団体などによる平和行進は昨年に引き続き中止となった。各種の大型イベントも軒並み中止に追い込まれた。
絶好調だと言われた観光関連産業は、一転して絶不調の谷底に突き落とされた。
豚熱、首里城火災、コロナと、災厄の対応に追われ続ける県から明確なメッセージはなく、復帰50年を焦点化し切れていない。
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軟弱地盤の問題を抱える辺野古の新基地建設は、常識で考えれば、「万事休す」のプロジェクトである。
最終的な総工費も完成時期も不透明で、普天間飛行場の「一日も早い危険性除去」という当初の目的が、事実上、実現不可能になったからだ。
政府は、工事を中断して県と話し合うことなく、ひたすら工事を強行するだけ。それなのにコロナ禍と米中対立の激化で、沖縄の基地問題は、本土側の関心を呼ばなくなった。
復帰50年は本来、こうした状況を改め、沖縄問題への関心を高める絶好の機会であった。
沖縄問題は何一つ終わっていない、ということを、説得力をもって政府に示し、焦点化することが重要だ。
県は1月に「新たな振興計画(骨子案)」をまとめ、公表した。各種制度の継続を前提とした案で、変革の強い意志は伝わってこない。
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政府や自民党の中には「単純延長なし」という空気が強い。「末永く特別措置を」という発想はもはや限界だ。
なぜ高率補助が必要なのか、復帰特別措置をいつまで継続するつもりなのか。次期計画で優先されるべき事業は何か。
沖縄の米軍基地について、当面、専用施設面積の50%以下を目指すという方針は、具体的にどの基地の返還を想定しているのか。
こうした論点は、まだ議論が尽くされたとはいえず、議論が低迷すれば変革のエネルギーは生まれない。
元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2021年05月15日 08:11:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。