《社説①・12.31》:冤罪と刑事司法 誤りを直視すること
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・12.31》:冤罪と刑事司法 誤りを直視すること
この国の刑事司法のあり方が根本から問われた年だった。逮捕から58年を経て、袴田巌さんが再審で無罪を得た。その年月の重さをあらためて受けとめたい。
「巌だけが助かればいいのではない」。袴田さんを支えてきた姉のひで子さんは繰り返し述べている。同じことが二度と起きないようにしてほしい、と。
何より欠かせないのは、冤罪(えんざい)を生む構造的な要因を徹底して検証することだ。同時に、被害回復の妨げとなっている法制度の不備を改めなくてはならない。
■裁判所も問われる
再審の判決で静岡地裁は、犯行時の着衣とされた「5点の衣類」や袴田さんの自白調書を、捜査機関の捏造(ねつぞう)と断じた。検察は控訴こそ断念したが、検事総長が談話を出し、強い不満を表明した。何ら具体的な証拠や根拠が示されていないなどと反論している。
先週、最高検察庁が公表した検証報告もその延長上にある。無実の人に死刑を科す重大な冤罪を引き起こし、再審による被害回復にも立ちはだかった責任に向き合う姿勢は見えない。組織内部での検証の限界があらわだ。
検察とは別に静岡県警が公表した調査結果も、元捜査員らから一通り聞き取りをしたにすぎない。独立した機関を置き、事件の全体を検証し直す必要がある。
裁判所も重い責任を免れない。そもそも確たる証拠を欠く事件だったにもかかわらず、地裁が死刑の判決を出し、高裁、最高裁も支持して確定した。再審を申し立ててから無罪を得るまでに、さらに40年余りを要している。
証拠を見極め、有罪か無罪かを認定するのは裁判所だ。誤った判断を重ねたのはなぜか。裁判所の責任に目を向けずに、冤罪の究明はできない。司法のあり方に踏み込んだ検証が必要になる。
■憲法に照らして
死刑事件が再審で無罪になったのは5件目だ。1980年代に免田栄さんの事件をはじめ4件が相次ぎながら、公的な検証はなされないまま今日に至っている。ここでまた、誤りを直視せずに済ますことがあってはならない。
袴田さんの再審無罪の判決は、過酷な取り調べによる自白の強要があった事実を認定した。虚偽の自白に追い込まれるまで、19日間にわたって、取り調べは連日十数時間に及んだ。
長く身柄を拘束して自白を迫る「人質司法」の悪弊は今も続いている。取り調べに弁護人が立ち会うことは認められず、家族との接見も禁じられて被疑者は孤立し、追いつめられていく。
黙秘の意思を示しても、取り調べには応じる義務があるとされ、憲法に基づく黙秘権の保障が防御の盾になり得ていない。長時間にわたる取り調べで威迫や侮辱を受けたと訴える裁判が相次ぎ、弁護士らが、取り調べを拒む権利の実現に向けて動いてもいる。
憲法は刑事司法の手続きに関して、諸外国に類を見ない手厚い人権保障の規定を置いた。戦前の旧憲法下で、拷問や、人身の自由を奪う苛烈な弾圧が繰り返されたことへの反省が土台にある。
国家の刑罰権を担う捜査当局は強大な権限を持ち、被疑者に対して圧倒的な優位に立つ。適正な手続きと権利を確保することは、不当な権限の行使から無実の人を守るために欠かせない。
しかし、捜査上の必要や便宜を優先する実務の下、権利の保障がないがしろにされ、冤罪を生む温床にもなっている。刑事手続きのあり方を、憲法に照らして点検し直さなくてはならない。
新聞を含むメディアも、報道によって冤罪に加担した当事者である。事件報道のあり方を自ら絶えず検証し、刑事司法の現状に報道機関として厳しく向き合っていく姿勢を再確認したい。
■再審制度を改める
刑事裁判で最も大事なのは、無実の人を処罰しないことだ。冤罪は一日も早く晴らす必要がある。不備が明らかな再審制度の改定を棚上げにしておけない。
再審の手続きを明文で定めること、裁判所の再審開始決定に対する検察の不服申し立ての禁止、証拠の開示―が柱になる。早期の制度改定を目指す国会議員連盟に与野党の360人余が加わり、議員立法を視野に入れている。
法務当局は、確定した有罪判決を覆すことは司法の安定性を損なうとして背を向けてきた。法制審議会に諮る動きもあるが、当局が主導権を握り、議員立法を封じる意図すらうかがえる。注意深く見ていかなくてはならない。
冤罪による死刑が現実になりかねなかった事件はまた、死刑制度を存続する是非を問うている。元検事総長や元警察庁長官を含む学識者らの懇話会は、制度を根本的に再検討する会議体を国会、内閣の下に設けることを提言した。
死刑は、国家が人の命を奪う究極の刑罰であり、誤って執行されれば取り返しがつかない。社会に議論の場を広げ、国会、政府を動かす働きかけを強めたい。
元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年12月31日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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