【終戦記念日】:仲間の無念、決して忘れず 太平洋戦争末期「伏龍」一員の鈴木さん語る
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【終戦記念日】:仲間の無念、決して忘れず 太平洋戦争末期「伏龍」一員の鈴木さん語る
太平洋戦争末期に編成された人間機雷「伏龍(ふくりゅう)」特攻隊の一員だった岐阜県多治見市の鈴木道郎さん(91)。海底に潜んで、爆弾を付けた竹ざおで敵の上陸用舟艇を突く作戦を命じられ、多くの少年が無謀で過酷な潜水訓練中に苦しみながら死んでいったと明かす。「国を守って死ぬ覚悟だったのに。あんなむごい死に方はない」。仲間の無念を思い続けた人生。「命を懸ける戦争はどんな理由があっても許されない」と語る。
飛行機乗りに憧れ1945年1月、海軍飛行予科練習生になった。「特攻志願者は前へ」と言われ、迷わず手を上げた。家族は貧しく「特攻で死ねば国を守れるし、故郷に銅像が建って誇りになれる」と考えていたから、うれしかった。
だが飛行機に乗ることはなかった。6月に伏龍特攻隊への配属を言い渡され、神奈川県横須賀市で潜水と浮上を繰り返す訓練が始まった。作戦に恐怖心を抱いたという。
ゴム製の潜水具に鉄かぶと、空気ボンベ…。爆薬抜きでも80キロの重量になった。深さ10メートルまで潜らされる日もあり、呼吸法を数回間違えるだけで命を落とす危険があった。さらに装備に欠陥も。背中の空気清浄缶が破損すれば鉄かぶと内に劇薬が広がってしまう。もだえ死ぬ仲間を何人も見た。
鈴木さんは当時15歳。同年代の仲間と「こんなところで死んでたまるか」と励まし合ったが、事故死は相次ぎ、8月には火葬場が満杯に。海辺で荼毘(だび)に付すこともあった。これで勝てるのかと思ったが、口に出すことは許されない。寝床に入ると毎晩「母ちゃん、助けて」という友人の泣き声が聞こえた。
鈴木さんも海底に足をぶつけて負傷し死にかけたことがある。引き上げてくれたのは年上の「中馬」という名の隊員。故郷・鹿児島県の家族や「西郷どん」の話を聞かせてくれる優しい兄のような存在で、「チューマン」と呼んで慕っていた。
その中馬さんは潜水中にバランスを崩して海底に頭から墜落した。慌てて命綱をたぐると水圧のせいか目玉が飛び出ていて、血まみれだった。「おっかあ。鈴木!」。吐血しながら叫び、息絶えた。救えなかった自分を責めた。「出撃してすぐそっちに行くよ」と誓ったが、その数日後に終戦。結局伏龍が実戦に投入されることはなかった。
その後、大学で学び、小学校の美術教諭になった。死んだ仲間の思いを無駄にしたくない-。その一心で体験を語り「どんな時も命を大切にしてほしい」と伝え続けた。
退職後は鹿児島に通い、中馬さんが自慢していた桜島を描いて戦争について考えてもらう展示会を開いてきた。今はつえをついて家の中を歩くのがやっとだが、自宅に並ぶ絵を見るたびに少年のままの仲間の姿を思い浮かべ、こう語り掛ける。「頑張ってやってきたけど。どうかな」(共同)
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・終戦記念日】 2021年08月14日 16:03:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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