猪瀬都知事の口パク発言は、この問題の本質を浮き彫りにしてくれました。それは「愛国心」「伝統文化」、いわんや、「日の丸」「君が代」の意味や由来、果たして来た役割など、どうでもよく、ただただ公務員は「命令」=上意下達に従ってやれというものでした。こうした風潮を日本全国で蔓延化していくための重要な装置として「国旗」「国歌」を利用しているという構図です。
そこを見破られるといけないために、全体が起立する「儀式」の「基本的ルール」論、彼らに言わせれば、「常識中の常識」に違反する少数の教師は、生徒を「しつけ」ることのできない輩だから、処分も当たり前、不適格者という烙印を押す、しかし、直ぐ処分をするわけではない、不当な処分ではないなどと、一見すると、誰もが「そうだよね、あいつらおかしいよね」程度の「レベル」の話にスリカエて正当化するものでした。
このことは、中国の反体制派の知識人が弾圧される時、日本のメディアは、挙って人権問題と報道します。中国政府は国内の法律に則って対応していると応じています。全く同じ構造です。中国政府にしてみれば、猪瀬都知事流に言わせれば、反体制の知識人は「基本的ルール」が判っていない輩ということになります。
ところが、日本国民は、日本国内の反体制派に対しては共感と連帯の念を抱くどころか、冷たい視線を注ぎ、「公務員を辞めろ」と罵声を浴びせるのです。中国政府を批判する目線は、微塵もありません。
ましてや北朝鮮の世襲としての「金王朝」(という言葉そのものに北朝鮮に対する侮蔑意識がにじみ出ていますが)、と日本の世襲議員と世襲の権化である天皇家に対しては「尊崇の念」などという言葉で粉飾し、小学生にまで「様」付けをしているのです。さらに言えば「国家元首」にまで祀りあげようとしているのです。
この憲法が成立した暁には、「君が代」「日の丸」が義務付けされるのです。そうしたことを国民はどのように考えているのでしょうか?この政策を掲げる自民党を政権政党として受け入れ、アベノミクスなどともてはやし、批判の矛先を鈍らせているのです。
こうした日本国民の意識の根底に、あの戦争に対する加害責任と反省と教訓、それにもとづく国際連帯感情の欠如があることは明らかです。そのことは裏返して言えば、抗日民族統一戦線で皇軍とたたかいを指導した毛択東や抗日光復会でたたかった金日成などに対する中国・北朝鮮の国民感情への無理解が反映しています。
中国・韓国・北朝鮮国民にしてみれば、8月15日は解放であり、光復という意識に対して、日本はどうでしょうか?敗戦というよりもむしろ終戦という言葉に象徴されているように、侵略された国民に寄り添う言葉はありません。天皇の赤子、民草、臣民として戦争を強いられたことを踏まえるならば、どうでしょうか?大日本帝国憲法の強制体勢から「解放」されたと自覚しなければならない問題です。
さらに言えば、戦争に反対し、投獄されていた人々が、現在の日本で顕彰・賞賛・教訓化されているでしょうか?いっさい不問と言わなければなりません。逆に戦犯、戦犯容疑者、公職から追放されていた政治家や官僚たちの二世・三世議員たちが、跋扈しているのです。選挙で選ばれたとは言え、国民意識がここに如実に見えてきます。
しかも、彼らは、戦争に反省するどころか、政府の行為によって引き起こされた戦争の惨禍を二度と繰り返さないと約束した日本国民の決意をないがしろにし、大日本帝国的憲法を復活させようと画策しているのです。マスコミもそのことについては、沈黙しています。
ここにこそ、現代日本の不道徳ぶりが象徴的に示されています。こうした構造に対して系統的に、あらゆる場を使って告発していく必要があります。日本国憲法の原則を東アジアと世界に発信していくためにも、不断の努力をしなければならない日本国民の責務と言えます。
以上の前提を踏まえて、今日は「君が代」のもつ本来の意味を歪曲し、民衆を裏切る「君が代」礼賛者のウソとデマ、ペテン、ゴマカシ、スリカエ、不道徳ぶりについて、記事にしてみることにしました。
参考にした文献は、以下のとおりです。
山田孝雄『君が代の歴史』(宝文館出版昭和31年1月刊)http://ja.wikisource.org/wiki/
小野恭靖『戦国時代の流行歌 高三隆達の世界』(中公新書2012年4月刊)
ポイントは、以下のとおりです。
1.「君が代」は読み人しらずの長寿を祝う歌であること
2.平安以後、ずっと民衆の間で口ずさんできた歌であること、それは長寿を祝う賀の歌であることが最大の理由であったこと
3.そうした民衆の風習、意識を巧に利用して、「君」を、それまで民衆の中においては、それこそ眼中にもなかった天皇にスリカエ、強制することにしたこと、そのことは天照大神を祀る伊勢神宮へのお伊勢参り、御蔭参りの際に、天皇の存在など、いっさい関心がなかったこと、五穀豊穣を願ったことを見れば明瞭です。
4.本来長寿を祝う歌を、天皇のために死ぬこと、命を落すことを、最大の美徳として会得させるための装置として教育勅語、御真影とともに、教育や儀式を通じて徹底していった歴史があること
5.こうした事実を学校教育でいっさい教えない政府・文部(科学)省と改憲派=日米軍事同盟深化派、「日の丸」「君が代」を「国旗」「国歌」として、既定のものとして疑問を持たない国民意識、これがどのように形成されたか、その浸透のメカニズムと問題点を憲法の原則からメスすら入れないマスコミの存在などがあること
6.とりわけ、「日の丸」「君が代」などを日本の「伝統文化」として、自分たちのイデオロギーを浸透させる「錦の御旗」「専売特許」として利用している不道徳さを告発する営みの弱さがあること
以上の諸事実と視点を、以下の資料からみてみたいと思います。
まず山田孝雄氏の「君が代」論の「十五 總括」をみれば、「君が代」の歌詞の変遷には、その時々の民衆によって変えられ、口ずさまれてきたことが判ります。意味も「本来年壽を賀した歌」「めでたい正月又は節供の時にそれを祝する精紳から行はれて来たのである。それ故に祝賀の歌の最も根本的のもの最もめでたいものとして千二百年間つづいて来たもの」とあります。
卽ちうらみの介のさうしには…となり、「君が代が巖となりて苔のむすまで」といふ譯もわからぬたはごとになる。しかし、こんなことでもやはり流行してゐたことであつた。これはこの歌が汎く古く行はれて來て、一々義理をとはずに用ゐられた故にかやうな形にまでなり下つたことを示すもの…凡そ日本國の歌謠としてこの「君が代」の如く、遠く汎く、深く行き亙つたものは無いので、これが國歌となつたのは自然の勢といふべく人爲の力によつたものでは無いと思はるゝ(引用ここまで)
こうした事実踏まえて受けて、「十四 『君が代』はいつ國歌となつたか」のなかで、スリカエ、正当化しています。
我々はこの「君が代」の歌一つに限つて國歌といひ、亦それを信じて疑ふ所が無い。しかも、之をこの意味で國歌としたことは誰人がいつ、如何なる手續で定めたのか誰も知らぬのである。これはこの歌が最初に「題知らず」「讃人知らず」であつたと同樣にこれが國歌となつたのも誰も知らぬ間にかくなりかく信じてしまつてゐるのである。國歌を「君が代」と定めたのは結局明治時代の日本民族全體であり、それがいつの間にかさうなつてしまつたといふより外にいひ樣の無い事である。これは個人の考へでも無く、或る團體の考へでも無い、眞に日本民族のの結晶だといはねばならぬものであらう(引用ここまで)
古今和歌集の頃は、民衆が詠じていたものか、貴族が詠じていたものか、不明ですが、恐らくは両方かもしれません。山田氏は、「譯もわからぬたはごとに」「なり下つた」としていますが、その願いは、長寿を祝う民衆の「願いの強さ」があります。
しかし、昭和三十一(1956)年段階における山田氏の認識には、命を大切していたからこそ、謡われ続けてきた「君が代」が、天皇のために命を落す歌として、強制されてきた歴史は、全く見えていません。そこに、山田氏の立ち居地が見えてきます。
次に、小野恭靖氏の隆達節をみてみることにします。「隆達節」とは、以下のようにあります。
(1)高三隆達(1527~1611)が独特の節付けをして歌い広めた一群の歌謡
(2)戦国の世を終えた江戸時代の人々にとっては、隆達節こそが新時代の歌謡・芸能の代名詞であり、その歌い手隆達は、近世最初の芸能者として、注目すべき存在であった…
(3)隆達節の歌詞は、室町時代以来の流行歌謡、室町小歌を基盤にし…隆達節より百年近くも前に、最初の流行期を迎え、その集大成が「閑吟集」でした。
(4)室町後半から安土桃山時代、江戸初期の人々が愛唱した隆達節には、恋歌が多かった…
(5)流行歌謡として時の権力者たちも盛んに愛唱したようです。隆達が権力者に庇護されるべき芸能者としての隆達の宿命が窺える…権力者とも積極的にかかわりを持ったことは想像に難くない…(引用ここまで)
小野氏は、隆達節の代表歌「君が代」を「祝い歌」として分類して、以下のように書いています。
○君が代は千代に八千代にさざれ石の、巌となりて苔のむすまで(小歌)
あなたの寿命は、千代も八千代も、小石が大きな岩となって苔が生えるまで、末長く続いてほしいものです。
相手の長寿を祈る歌です。「君」は恋人であり、また周辺のすべての人に向けられた二人称です。昔の日本人は言葉の力を信じる言霊(ことだま)信仰を持っていましたから、長寿を願う歌が実際の長寿を引き寄せる歌としして作られました。小さな砕けた「さざれ石」か成長して「巌」となることは現実にはあり得ない…この歌を作り、また歌ってきた人々も、当然ながらそのことはわかって…起こり得ないことを歌うことによって、永遠の時間を表現し、相手の寿命が長く続くことを願った…さらには、その巌に苔がむすまでの時間を加えて、だめ押しさえしています。
これが昔の日本人の心でした。この歌はその後、延々と歌い継がれ…南北朝時代に至ると、冒頭を「君が代は」と…歌うようになり…その頃に作られた『朗詠九十首抄』という音楽書には、「君が代は」の歌詞で掲載され…たということは、「君が代は」の歌詞で歌謡として成立していた…それに影響されたのが、『和漢朗詠集』の中世成立の写本で…新しく流行する曲節にも合わせて歌われるようになった…そこに登場したのが高三隆達でした。
隆達はこの歌詞にも節付けをして、自らの歌謡として用いたのです。…ポルトガル人宣教師のジョアン・ロドリゲスは、『日本大文典』の中で、「小歌」として「君が代は」を掲載…隆達節のこの歌が当時の流行歌として広まっていた…仮名草子『恨の介』(整版本)では、酒宴の最初の場面で、「当世はやる隆達節」としてこの歌を…隆達節の代表的な歌…祝い歌を冒頭に歌うのは、我が国における芸能の伝統…いの一番に歌うことは常(引用ここまで)
どうでしょうか?長寿を祝う「君が代」の本質が浮き彫りになったのではないでしょうか?しかし、明治以後、この民衆が「伝統文化」として営々と築き上げてきた文化を、まるで違った意味合いにスリカエ、強制して、「天皇のために死ぬ」歌として浸透させ、あの惨禍を課したのです。このことの罪は非常に重いと言わざるを得ません。
小野氏は、「おわりに」で、隆達節の本質を見事に、以下のように、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国時代」第十話柴田勝家の最後の宴席に歌われた「無常歌」の意味を紹介しています。
「花よ月よと暮らせただ、ほどはないもの、うき世は」…の「花」と「月」は現世にある美しいものの代表です。そしてそれらを愛でることは、何物にも替え難いこの世の楽しみでした。この歌は美しいと信じるものや、自らか愛する大切なものを追い求める人生の素晴らしさを歌っています。
そして、その背景には「ほどはないもの、うき世は」と、人の命の儚さが据えられています。ただ単に刹那的、享楽的な生き方を推奨しているのではありません。短い人生をどのように生きるべきかを人々に教え、また自らに言い聞かせている歌なのです。そう思うと、この歌の中に響き渡る戦国の世の人々の思いが、強く伝わってきます。それは刹那的に生きざるを得ない切なさと言えるかもしれません。
…このように考えると、大災害を経験した現代の日本人は、戦国の世を生きたかつての日本人と似た状況にあると言ってもよいように思われます。明日をも知れない命を抱えながら、精一杯生きようとする心。そして、その心を支える言葉で紡ぎ出された、隆達節をはじめとする戦国時代の流行歌の歌詞。それらこそ、今日の我々がもっとも必要とするものなのではないかと思われるのです。(引用ここまで)
天皇制政府は、民衆の間で語り継がれ謡われていた「君が代」の意味を天皇制の永遠の繁栄を謡ったものとスリカエ、ゴマカシ、強制し、あの「惨禍」と塗炭の苦しみを国民やアジアの民衆に課したのです。その反省もなく、主権在民の日本国憲法下においても、その解釈をゴマカシ、あらゆる装置を駆使・総動員して、国民に浸透させ、「国歌」として強行し、職務命令で脅し、強制しているのです。
そうして、自民党は、その改憲案で、この「国歌」を義務付けることを明記し、参議院選挙を前に、憲法改悪の手続き項目第97条の「緩和」です。
憲法第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。(引用ここまで)
国会の議決数と国民投票総数数の「緩和」です。「決められない政治からの脱却」論、「脅威」論を垂れ流す、国民に憲法「改悪」を「改正」とゴマカシ、その必要性を浸透させていくのです。そのプロパガンダとしてテレビと新聞が最大限使われることは、この間の事実が示しています。
さらに言えば、天皇を元首化に成功すれば、当然「君が代」の意味を変更することは明らかです。そのために使われるのは、すべての分野における徹底したスリカエ・ゴマカシです。
あれこれのゴマカシとスリカエの最終的な方向は、命令に服従する国民の育成です。日米軍事同盟深化の実態です。国防軍が、世界各地でアメリカの戦争を代行することを意味しています。
このゴマカシを打ち破るのは、国民の総意以外にありません。どちらが、説得的に、真実を国民全体のものにするか、そこにかかっているのではないでしょうか?
以上、まとめると、10世紀以来、営々と命の大切さを謡った長寿を祝う歌「君が代」が、明治維新以来のわずか百数十年で歪曲されてきました。この不道徳ぶりを徹底して暴き、人間の尊厳と命の大切さを思想の根底に、その道徳規範を示している日本国憲法を、今こそ、国民生活の隅々に徹底していく必要があるように思います。
憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(引用ここまで)
どうでしょうか?隆達節の、そして「君が代」の本来の精神が、日本国憲法に脈々と流れていないでしょうか?強制と血に塗られた「君が代」をどのように扱うか、今ほど国民的議論が必要な時はないと言えます。