昨日のつづきです。
1.安倍首相「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことで、どんな脅かしにも屈しない自由を確保していくのは当然のことだ…韓国が抗議を始めたのはいつかといえば、ノ・ムヒョン大統領の時代に顕著になっている。中国も、A級戦犯が合祀されたときには、総理大臣の参拝には抗議しておらず、ある日、突然、抗議を始めた。そのことをよく認識しておく必要がある」(24日参議院予算委)
「英霊に尊崇の念を表する靖国参拝は関係ない!」理由にあげている安倍首相のスリカエを検証しておきます。中韓の側の意図は何か、です。まず以下の指摘です。
(1)中村政則『戦後史』(岩波新書05年7月)より
4 忘却の中の戦争―アジアから問われる戦争責任
教科書問題
一九八二年はアジアから対日批判が噴出した年であった。きっかけは八三年春から使われる高校社会科教科書の検定で、文部省が自民党などの“偏向キャンペーン”を背景に、歴史の事実をゆがめ、侵略戦争を美化したというのであった。とくに対日批判の急先鋒は中国であった。中国共産党機関紙『人民日報』(七月二〇日)は「この教訓を銘記せよ」と題する論評を掲載して、次のように述べた。
日本側新聞報道によると、日本の教科書は、①一九三七年一二月の日本車による南京大虐殺を中国軍が抵抗したためであると、虐殺責任を中国側に押し付けた、②日本の華北「侵略」を「進出」に変えた、③「中国への全面侵略」を「全面的侵攻」としたなどを上げ、検定権をにぎる文部省の責任を追及したのである。さらに新華社は、「こうした歴史の改ざんは目中共同声明と日中平和友好莱約に違反する」と報道した。
いっぽう韓国の『東亜日報』(七月二〇日)は、三.一独立運動が日本の教科書では「暴動」と書かれ、また戦時中の強制連行を単に「徴用」とぼかされたことを取り上げ、日本の植民地支配を正当化していると批判した。『東亜日報』に続いて韓国各紙も激しい対日本批判を展開したが、とくに韓国マスコミを怒らせたのは、日本政府や国民が中国からの批判にはすぐ対応したのに、それに先立つ韓両側の批判を冷淡に受け止めたことであった。これは韓国軽視の表れであるとして、事態を一層こじらせた。このほか北朝鮮、香港、フィりピン、インドネシア、ベトナム諸国からも、日本の支配層は「過去の侵略」をたたえているなどの批判が相次いだ。
アジア諸国と日本における歴史認識の落差がこのときほど浮き彫りにされたことはない。
日本政府の対応
これに対し、文部省は当初「検定は適当」「誤りはない」の一点ばりで取り繕おうとしたが、結局、八月二六日の官房長官談話で「政府の責任で是正する」と約束し、ようやく外交決着にこぎつけた(『毎目新聞』一九八二年八月二七日)。その第三項でアジア近隣諸国との友好、親善を進める上で、今後は「検定基準を改め」と明記したように、それまで言不適切な検定を行たってきたことを日本政府は暗に認めたのである。
侵略戦争を否定する保守派・民族生義者のなかには「侵略」を「進出」に書き替えさせた事は一つもないと主張して、文部省の検定を擁護する人がいるが、帝国書院の『世界史』も教科書二冊は「侵略」を「進出」と書き換えさせられている。これは氷山の一角で、検定過程で語句の修正・削除を求められた事例は枚挙にいとまがない。従来から「密室検定」批判が繰り返されてきたのである。(引用ここまで)
「ご英霊を慰霊する靖国参拝が問題ではない!」と言いたい安倍首相の言い分は、確かに教育問題、特に教科書問題が、その始まりで、直接には靖国神社参拝ではありません。直接には、以下が発信源です。
「憂うべき教科書の問題」(自由民主党調査局政治資料研究会議1980年11月)
森本真章・清原俊彦『疑問だらけの中学校教科書』(ライフ社1981年2月27日)
その前後の流れについては、以下をご覧ください。
安倍晋三首相、下村博文文科相は、「教育再生実行会議」を自らの「利権誘導」に利用するつもりか?
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/2e2f328e282cdc7f9ba6a998e46bc60e
「つくる会」の教科書を総点検する 藤永 壯(大阪産業大学教員)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzahuzinaga.html
ここで強調しておかなければならないのは、自民党がすすめてきた「教科書問題」、これが発信源になって、韓国と中国のナショナリズムに火を点けることになったということです。安倍首相はそのことを意図的に隠して、中韓の側に問題があるとスリカエているのです。侵略戦争を正当化する安倍首相や靖国神社側のナショナリズムが、中韓のナショナリズムに火を点けた!のです。
(2)天安の独立記念館設立の趣旨と経過を見れば、自民党のナショナリズムと戦争責任の正当化を書き込ませる教科書問題に対する韓国国民に対する冒涜が見えてきます。
「1982年の日本の教科書検定問題がきっかけになり、1987年に開館した」「独立記念館法(1986年)の制定により、1987年8月15日に開館した」「1982年から建設資金を韓国の全国民からの募金活動で集め、5年間の建設工事の末に、解放(独立)以来の韓国国民の宿願事業のひとつとして1987年8月15日に開館した」とあります。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ji2txu/korea1/korea.htm
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tom-hase/peace/aala/kore00_3.htm
http://www.k-plaza.com/seoul/memorial_05.html
愛国者の邪論は、この記念館を3回ほど訪れたことがあります。呆然でした。こうやって韓国ではナショナリズムを育てているのか!ということでした。日本で言えば、靖国神社です。しかし、立場が完全に違っています。侵略の側と被侵略の側という立場の違いです。独立記念館の駐車場から会館まで林立し、はためく韓国の国旗=太極旗をみていて、そのことを強く感じました。
この独立記念館に入館しない韓国人もいることを知りました。それは朴政権時代に弾圧を受けた人(T・K生『韓国からの通信』岩波新書参照)でした。「日本帝国主義の弾圧を告発するのであれば、日本帝国主義と同じように韓国内の民主主義を弾圧したことも展示しろ」ということでした。その他の中身については、別の機会で述べてみたいと思います。
(3)南京大虐殺紀念館の設立経過をみると、韓国の場合と同じです。一つの資料として、どうぞ。
ところで、南京大虐殺問題については、かつて記事に書きました。河村市長再選に南京問題は関係ありませんでした。ここに日本国民の歴史認識の一旦が見えてきます。
日本人の「潔さ」「愛国心」をスリカエ、国際社会における信用失墜行為の河村市長は即時辞任すべき 2012-02-29 21:26:32
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/087758c4c1a98187c499814e853b4c65
名古屋市民の知的レベルを世界に示した市長の見識 2012-02-28 23:42:14
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/e4ac5d9c22c46accbf6e4fa16f1a1738
現在、事件の有無の是非について、その議論が意図的に逸らされています。そこで、以下をご覧ください。
『南京大虐殺全史』が刊行 多くの史料で日本右翼に反撃 発信時間: 2012-12-09 14:21:39 | チャイナネット
http://japanese.china.org.cn/life/txt/2012-12/09/content_27360066.htm
ところで、この南京大虐殺事件についても、安倍首相をはじめとした靖国神社派の不道徳ぶりは、目に余るものがあります。以下をご覧ください。
小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』講談社現代新書07年7月)より
…鈴木明は著書『「南京大虐殺」のまぼろし』において、「上海百人切り競争」としてマスコミで取り上げられた記事の虚偽性を追いながら「南京事件の真相はわからない」として、政治的作為のなかでこの事件の実像が被害者寄りにゆがめられていると強調した。これをきっかけに論議が沸騰、推定犠牲者数も最大は五十万人から百万人、最小は千人と大きな開きがあるなかで現在に至っている。
犠牲者の数が何人かを確定することは、いまに至ってはおそらく困難だろう。当時でも戦時下の混乱のなかで戦闘兵と投降兵、さらには民間人を正確に識別することなど至難の業であったに違いない。はっきりしているのは日中両軍間で激烈な戦闘、というより死闘が繰り広げられたことである。上海を舞台に描いた石川達三の『生きてゐる兵隊』を読むまでもなく、犠牲者の数は常識を超えていた。
満足な糧抹の支給も受けぬまま、異常な戦場心理のなかで敵愾心に燃えた将兵が、殺戮、強姦といった残虐な事件を起こすことを想定していなかったとすれば、それは指揮官の怠慢である。その対策を講じるのは、日本の司令部の責任であったはずである。また、捕虜をいかに扱うべきかを含めて、兵への教育や軍規の徹底が不十分であったことは明らかである。これらの点で、この事件発生の最大の責任が日本側にあることはいうまでもない。(引用ここまで)
(5)靖国神社参拝が問題にならない理由として、安倍首相があげているのが、ノ・ムヒョン大統領の時代からだとしていますが、これについても、以下の記事をご覧ください。
淵弘『朝鮮人特攻隊』(新潮新書09年12月刊)より
火付け役は盧武鉉大統領
結城少尉の姿を追った時から五年が過ぎた二〇〇五年春。ソウルに長期滞在する機会を得た私は、激変する韓国社会の渦の中にいた。島根県議会の「竹島の日」条例制定(二〇〇五年三月十六日)に端を発した反日デモが、かつてない勢いで高まっていたのだ。鐘路区にある日本大使館前では、連日のように激しい示威活動が繰り返され、毎週水曜日には元従軍慰安婦たちがデモの最前列に並んだ。
一連の抗議活動の火付け役が、当時の青瓦台の主、盧武鉉大統領であるのは誰の目から見ても明らかだった。歯にかを着せぬ大統領の物言いが、国民の反日感情をあからさまに煽っていた。
だが、事情を探ってみると、それが単なる国民感情の発露ではなく、政治的に計算されたものであることに気づいた。高野紀元駐韓大使の召還という事態にまで発展した反日デモの背景には、竹島問題より根深い問題が潜んでいた。
竹島騒動の一年前、盧大統領を弾劾訴追した保守野党「ハンナラ党」は、その直後に実施された総選挙で惨敗。盧大統領の支持母体である与党「ウリ党」が過半数を上回る大躍進を果たした。多数与党となったウリ党が最初に着手したのが、成立したばかりの「日帝強制占領下親日反民族行為の真相糾明に関する特別法」、いわゆる「親日法」の改正だった。
親日法は、植民地時代に日本に協力して利益を得た親日派を断罪する法律だ。だが、とうの昔に死んでいる人間を処罰することもできないので、罰則規定はない。国家が親日派の名簿を作成して反民族行為者の烙印を押し、「民族精気」を正すのが狙いであるという。(引用ここまで)
安倍首相の言い分をみると、ノ・ムヒョン大統領の時代も李明博大統領も、竹島(独島)に訪問した時の韓国内事情と同じだ、だから靖国神社参拝は問題ないのだ、ということを言いたいのだと思います。だから、今回のような中韓の発言は「脅し」だとして、靖国参拝を正当化したのです。
ところが、大東亜戦争の責任を問われ、サンフランシスコ条約で国際的に確認された戦犯をこっそり合祀していた大東亜戦争を正当化している靖国神社の歴史認識と侵略戦争を正当化しようとする教科書問題は、根っこは全く同じです。それが、80年代からずっと続いてきましたが、偽りの議席を獲得した安倍首相の人気・支持率などを利用して、一気に変えていこうと画策しているのです。
しかし、こうした見方に、実は安倍首相とその勢力と支持者たちの傲慢さ、本質が見えてきます。
この竹島問題は、韓国併合時と日本の主権を回復したと主張するサンフランシスコ条約時の歴史の検証が必要です。そのことでのみ、領土の確定ができるからです。こういう事実を曖昧にしたまま、推移してきたからこそ、この問題が起こるたびに、両国民のナショナリズムが煽られ、解決を遅らせてきたのです。その最大の問題は、歴史認識の矛盾です。日本における戦争責任の免責です。
実は、この竹島問題は、戦争責任を曖昧にして政権を維持してきた自民党政権にとって、また日本も韓国も軍事同盟下においておくことで、アジアにおける覇権を維持しようとするアメリカにとっても、日本の戦争責任を戦後責任、戦後処理問題を曖昧にしておくことの方がアメリカのリーダーシップを発揮し、利権を維持拡大するメリットがあるということを見ていく必要があるように思います。
それは、サンフランシスコ条約締結に伴って合意された天皇の戦争責任の曖昧化に深く関わっているからです。戦後の日本に「無責任」が席巻したことの最たる事例が、君主として、神様としての裕仁天皇の免責でした。しかも、これはタブーでした。
これらが不道徳と退廃の最大の要因であることを国民的に認知していく必要があるように思います。
つづく