愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

日高教の高校生憲法意識調査にみる朝日の位置と高校生の声に耳を傾けないマスコミ報道と反応に大喝!

2013-04-20 | 子どもの権利条約

日本高等学校教職員組合の高校生の憲法意識調査結果が報道されました。今日の段階ですが、この報道の仕方をみると、以下のことが判りました。

 1.朝日共同赤旗では、捉え方が違っていることです。皮肉なことには朝日の立ち居地。すなわちが日米軍事同盟を容認しているが故の問題意識が如実に出たものでした。

2.調査結果に対する反応をみると、今後調査結果が一人歩きしていきそうな気がしないでもありません。その意味で、数字は印象操作という手口を含んだものではないかということです。

3.新聞報道が、高校生のナマの声や日高教の見解を参考にして書かれているかどうか、大いに疑問を持ちました。世論調査の持つ結果主義の弊害と問題点があるように思います。

4.世論調査の奥にある国民意識の背景に何があるかを見ておく必要があると思います。さもなければ、世論調査の名を借りた世論誘導の枠内でものを考えていくことになるでしょう。同時に、世論誘導の枠外からモノを考えていくことと、そのための手立てを講じていくこと、このことが非常に重要になってきていると思います。

(1)どのような事実があるか、

(2)政府の意図的な情報操作があるか、

(3)マスコミの印象操作が如何に潜んでいるか、

以上の視点で世論調査結果と記事を見ていく必要があるように思います。

 

それでは、現時点において検索できる報道について、一覧してみます。

 共同 9条改正、高校生の63%が反対 日高教の憲法意識調査 2013/04/19 19:30

 http://www.47news.jp/CN/201304/CN2013041901002125.html

 戦争放棄をうたった憲法9条を変えない方が良いと考える高校生は63%に上ることが19日、日本高等学校教職員組合(日高教)の意識調査で分かった。2008年の前回調査より2ポイント上昇した。

 昨年11月に調査し、日高教の加盟組織がある道府県の高校生1万2480人が答えた。

 変えない方が良い理由は「9条を変えると戦争への道を開く恐れがあるから」が76%、「9条は世界に誇るものだから」は15%だった。

 変える方が良いと考える生徒は14%で、「今の9条では対応できない新たな国際的問題が生じているため」や「中国・北朝鮮などの脅威に対抗するため」などが主な理由だった。

 東京 9条改正 高校生6割が反対 日高教調査 2013年4月20日 朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013042002000116.html

 高校生の六割が、戦争放棄をうたった憲法九条の改正に反対していることが、日本高等学校教職員組合(日高教)の憲法意識調査で分かった。四割の高校生が「自衛隊は憲法に違反しない」と回答。一割強の「違反する」を上回った。

 調査は昨年十一月に実施。二十八道府県四政令市の百四十四校、一万二千四百八十人の高校生が回答した。

 憲法九条を「変えない方がよい」と答えた高校生は63%。二〇〇八年の前回調査と比べて2・1ポイント増えた。「変える方がよい」は14・4%だった。

 変えない方がよい理由は「戦争への道を開くおそれがある」が75・9%を占めた。変える方がよい理由は「今の憲法九条では対応できない国際的問題が生じている」(32・2%)、「中国・北朝鮮などの脅威に対抗するため」(30・9%)。

 「憲法を変えることをどう思うか」との質問では、賛成が23・2%で反対の20%を上回った。賛成の理由は「環境権、プライバシー権など新たな権利を加えるため」が最多の51・3%。反対理由は「憲法の三大原則は世界に誇れるすばらしいもの」(47・6%)などだった。

 「自衛隊が憲法に違反しない」と答えた高校生は45・1%に上り、前回より20ポイント超増えた。理由は「防衛のための組織で戦力にはあたらない」が59・2%。東日本大震災での救援活動を受けて「災害などで救援組織としての規定が自衛隊法にある」が40・2%に上った。逆に「違反する」は12・4%で、前回より6・9ポイント減った。

 琉球新報 9条改正、高校生の63%が反対 日高教の憲法意識調査 2013年4月19日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205547-storytopic-1.html

 戦争放棄をうたった憲法9条を変えない方が良いと考える高校生は63%に上ることが19日、日本高等学校教職員組合(日高教)の意識調査で分かった。2008年の前回調査より2ポイント上昇した。
 昨年11月に調査し、日高教の加盟組織がある道府県の高校生1万2480人が答えた。
 変えない方が良い理由は「9条を変えると戦争への道を開く恐れがあるから」が76%、「9条は世界に誇るものだから」は15%だった。
 変える方が良いと考える生徒は14%で、「今の9条では対応できない新たな国際的問題が生じているため」や「中国・北朝鮮などの脅威に対抗するため」などが主な理由だった。(共同通信)

朝日37面 (2013年4月20日)

高校生45%「自衛隊、違憲ではない」 被災地活動影響か 日高教調査 

 「自衛隊は憲法違反ではない」と考える高校生が急増-。日本高等学校教職員組合(日高教)が19日に発表した高校生意識調査で、そんな結果が出た。調査は、日高教の組合員がいる高校を中心に数年おきに実施。今回は、全国の高校生1万2480人が昨年11月に回答した。

 自衛隊は「憲法に違反していない」と答えた生徒は45・1%で、前回調査(2008年)の24・8%を大きく上回った。「違反している」と答えた生徒は12・4%。前々回調査から2回続けて減少した。

 「違反していない」と答えた理由(複数回答)は「自衛隊は防衛のための組織であり、戦力にはあたらない」が最も多く59・2%。次いで「災害などで救援組織としての規定が自衛隊法にあるから」が40・2%。日高教は「東日本大震災の被災地で活躍する姿が報道されたことが影響しているのでは」とみている。

 赤旗 「9条変えない」高校生6割日高教が1万人憲法意識調査徴兵制に反対73% 2013年4月20日(土)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-20/2013042001_06_1.html

 日本高等学校教職員組合(日高教)が19日に発表した2012年度高校生1万人憲法意識調査結果で、「憲法9条についてあなたはどう考えますか」との問いに、63%が「変えない方がよい」と答えたことがわかりました(グラフ参照)。「9条は戦後の日本の平和のために役立ったと思いますか」では、「はい」が68・2%にのぼりました。

 「戦後日本が平和であり続けた理由は何だと思いますか」(複数回答)では、「日本国憲法があるから」が42・6%で最多に。「世界の国々と平和・信頼の関係が築かれているから」(34・2%)、「平和を求める運動があるから」(31・1%)、「日米安全保障条約があるから」(28・9%)などの順でした。

 「徴兵制についてどう思いますか」は「反対」が72・5%、「非核三原則を堅持すべきだと思いますか」は「思う」が82・9%でした。

 同調査は1977年度から4、5年おきに実施され、今回で9回目。28道府県4政令市の144校、計1万2480人の高校生と障害児学校高等部生から寄せられました。

 藤田新一書記長は「教育実践上の課題が浮き彫りになるとともに、高校生の意識の健全さに改めて励まされた。これから1年間、子どもたちと憲法について語り合っていく出発点にしたい」と話しています。

 kojitakenの日記

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130420/1366428786

安倍晋三石原慎太郎や橋下(笑)が「偏向教育」がどうのと言い出しそうな記事だが、この件に関しては下記の「はてブコメント」*1に尽きるだろう。

 id:shigeto2006

戦争に行かされる恐れが最も高い人たちに聞けばそうなるよな。戦争に行く可能性のない中高年のタカ派的な言説など、耳を傾ける必要はまったくなく、即ゴミ箱行きにしてやればよい。 2013/04/19

 そりゃ誰しも死にたくはない。ましてや彼らは「戦争適齢期」を目前にしている。安倍晋三石原慎太郎や橋下(笑)が真っ先に死にに行くなら誰も止めはしないが、現実は間違ってもそうではない。

 コメント一覧

suterakuso 2013/04/20 14:15 高校生が平和主義者だというのは否定しませんが…。
日高教というのは、全教系の組合であり、全教というのは全労連系の組合です。そうした組合に加盟している人たちがおこなった調査だということが押さえておかなければならないことの一つです。それから、この手の調査って、今時、実際の教育現場で、組合員だからといって、誰でもするものですかね?否、と推測しますが、推測が正しければ、なおさら特別な環境で特別な人たちによる調査ということになります。つまり、バイアスがかかっていますよ、ということを一応、付け加えるべきだと思います。

 このコメントに世論調査の本質が、ある意味出ています。日高教は全労連系、ま、共産党が出てきていませんが、そういうことでしょう。でもこのことは、読売、朝日、産経、共同などなど、どこがやっても同じということです。いわゆる「この手」調査です。

 それにしても「組合」が「実際の教育現場」で高校生の憲法意識調査をすることがどうしていけないのでしょうか?本来は政府がやるべきことではないでしょうか?勿論憲法擁護の立場で、ね。理由は憲法第99条の憲法尊重擁護の義務があるからです。

 問題は、どのような「問いかけ」をしているかどうか、そこが問題です。質問の仕方で回答も変わるからです。このコメントの方は、日高教の具体的な質問項目を見たのでしょうか?圧倒的多数の方は、そういうことはしないと思います。多くの世論調査も、そのような質問の仕方を分析して結果報告はなされていません。だから、数字を出した方が「勝ち!」ということになります。

 そこで、日高教のHPをみてみました。ありました!以下検索していただければと思います。主な点について、日高教が、高校生の憲法意識について、見解を発表していました。この部分について、ほとんど報道されていませんので掲載しておきます。

 ここに、記事を書くマスコミの問題意識立ち居地が見えてくるように思います。

 2012年度高校生1万人憲法意識調査」のまとめを発表

http://www.nikkokyo.org/

 設問の沿って、高校生の意識の特徴が、以下のように書かれています。

1高校生の約97%が,憲法を学んでいる(基本設問B・C)

2 高校生は,9条を生かした平和な社会を求めている(Q1~3)

3高校生は,自衛隊をどのようにとらえているか?(Q4)

4高校生は,一貫して「徴兵制」「核兵器」にNO!(Q5・6)

5高校生の約半数は,基本的人権が「尊重されていない」と感じている(Q7~10)

6 6 割近くの高校生が,教育を無償にすべきだと考えている(Q11~13)

7高校生は,働く権利が保障されていないと感じている(Q14・15)

8高校生は,労働組合を知識としては知っている(Q16・17)

9高校生は,政治参加については模索中(Q18~20)

10高校生は,平和主義の憲法を変えない方がよいと考えている(Q21)

11高校生は,平和で安心できる社会にしたいと考えている(Q22)

 

Q22 では「21 世紀の日本・世界をどのような社会にしたいと思いますか。10 年後くらいを想像し、思うことを回答欄に自由に書いてください」と記述での回答を求めました。何らかの記述回答があったのは、7,156人でした。キーワード群によって意見を大別し、その結果は以下の通りです。

 ①「戦争、平和、紛争、争い、核戦争」など、平和に関するもの。2,408 人(33.7%)

②「学校生活、高校無償化、いじめ・体罰問題」など、教育に関するもの。325 人(4.5%)

③「内政、外交、選挙制度」など、政治に関するもの。1,617 人(22.6%)

④「雇用、就職、働く、ワーキングプア、景気」など、仕事、経済に関するもの。1,181 人(16.5%)

⑤「少子化、高齢化、医療、介護、年金」など、平等、社会福祉に関するもの。1,021 人(14.3%)

⑥「地球、環境、温暖化」など、環境に関するもの。360 人(5.0%)

⑦その他。244 人(3.4%)

 今回も、前回と同様、「平和」に関するものが最も多い結果となりました。多くの高校生は、平和で安心できる社会にしたいと考えている一方で、他国からの干渉や武力攻撃に備えて軍備を整えるべきという意見も見られました。また、「雇用」や「平等」に関するものが多かったのも今回の調査の特徴です。

 高校生のナマの声は別途に掲載します。 

愛国者の邪論

ここに書かれていた高校生のナマの声、大変貴重なものです。高校生と言えども、やはり大人と同じ社会に生きているのです。大人と、それほど、変わらない意識を持っていることが判ります。

 マスコミが、「これでもか、これでもか」と垂れ流す情報の中にあって、影響を受けている部分もあるかと、思えば、そうでもない部分もあります。そこです!日米軍事同盟深化派の弱点は。そこです!日本国憲法を暮らし活かす派の強みは!

 どのような情報をどのような量と質をもって国民に伝えていくか、そこにかかっていると思います。この意識調査にみる高校生のナマの声が教えていることは、そういうことです!

以下、日高教が、課題を書いていましたので、掲載しておきます。ご覧ください。

 

 調査を通して、以下の三点が特徴的に表われ、様々な課題も浮かび上がりました。

 1.多くの高校生が憲法に信頼を寄せ、とりわけ憲法9 条を生かした平和な社会を求めている。

 

憲法9 条を「変えない方がよい」は、前々回の4 割台から前回6 割台に急増しましたが、今回の調査でも若干ですが増え続けています。自由記述の部分では、平和についての記述が3 割以上あり、高校生たちも日本以外の国々で起こっている紛争などにも関心を持ち、日本だけではなく全世界の平和を望む意見が多くみられました。このことについて、9 条が戦後の日本の平和のために役立っているとの回答が7 割近くを占め、高校生たちが、戦後日本が一度も紛争に巻き込まれなかった要因が9 条にあると考えていることが示されています。背景として、シリアでの内戦や領土問題をめぐる中国や韓国との緊張関係などについてメディアを通して知り、平和の問題を身近なものと感じるようになってきたことがあるでしょう。そして、「徴兵制」については、高校生たちは7 割以上が「反対」と答え、非核三原則についても8 割が「堅持すべきだと思う」と答えています。これらのことからも、多くの高校生は、核兵器のない平和な社会を強く願っていることがわかります。一方で、憲法第9 条を「変える方がよい」も前回よりも増えていることも、直視しなければならない結果です。今後も9 条が国際的に果たしてきた役割について、高校生たちにもっと伝えていく必要があります。

自衛隊については、憲法に「違反しない」と考える高校生が、「違反する」と考える生徒の割合を3 倍以上うわ回りました。しかしながら、「違反しない」と考える高校生も、自衛隊に軍事的な役割を期待している割合は低くなっています。防衛のための組織で、戦力にはあたらないとの回答が6 割近くあり、また一昨年に起こった東日本大震災での救援、復旧活動での様子が大きく影響を与えていることもうかがえる結果となっています。「どちらともいえない」と「わからない」をあわせると4 割を超えることにも、注目する必要があります。自衛隊が憲法に違反するかどうか、とりわけ第9 条との関係は、国論を二分する大きな問題です。

しかし、解釈改憲により自衛隊が海外に派遣され、紛争地で公然と活動する状況となった現代において、もはや判断をうやむやにはできません。日中戦争、太平洋戦争など、過去の戦禍で軍隊がどのような役割を果たしてきたのか、という歴史的事実に照らして、私たち教職員をはじめ大人自身がこの問題をしっかり直視し、高校生とともに考えていくことが求められています。

 

2.高校生は、憲法に規定されている基本的人権が十分保障されていないと感じている。

 

法の下の平等、勤労権などの諸権利が十分に尊重・保障されていると回答した高校生は、3 割未満にとどまっており、生存権については2 割未満となっています。今回の調査で初めてたずねた「幸福追求権」についても半数近くが尊重されていないと答えています。勤労権については、全体で6 割以上が保障されていないと考えています。重大な社会現象ともなっているワーキングプアに関しての、非正規雇用についても肯定的な考えは極めて少数です。

これらの諸権利について、高校生がさらに具体的に学習をすすめられるようにしていくことが大きな課題です。

また、働く機会が保障されていないと考える生徒のうち8 割以上が景気の問題があるととらえていることも注視すべきです。1990 年代以降、労働者派遣法の改悪が繰り返されるなど、雇用と働くルールが企業にとって都合のいい、逆に労働者にとっては不利な方向に改悪されてきました。「働く機会の保障」を「景気の問題」と自然現象的にとらえてしまうのではなく、憲法の規定にもとづいて、労働者の雇用と生存権を守るために国に制度を整えさせ、企業に社会的責任を果たすよう求めていく視点が重要です。一方で、労働組合や団体交渉については、認識している比率はともに6 割を超えていることから、従来行われている進路学習に加えて、働く権利やルールをきちんと学ぶ労働者教育のための実践が必要でしょう。

最も身近ともいうべき教育を受ける権利については、保障されていると答えた生徒が半数を超えています。「教育を無償にすべき」と答えた高校生も6 割近くいることから、教育を受ける権利を行使する主体としての認識は、2010 年度からの公立高校授業料無償化や私立高校の就学支援金制度の影響を受けての結果でしょう。学校も含め日常の生活実態を反映した結果であり、高校生たちが基本的人権を行使する場面を増やすような教育実践が求められています。

そして、多くの高校生が憲法にうたわれている諸権利の保障、とりわけ平等で安心してくらせる社会を求めていることが、自由記述の回答からみられました。高校生の自主性、主体性にもとづくクラスや集団づくり、そして地域や保護者とともに参加と共同の学校づくりをすすめ、教科・教科外を問わず、生徒を主人公にした教育活動を推進していくことが求められています。

 

37 割を超える高校生が今の社会には決して満足はしていないものの、どのように社会参加・政治参加していくべきなのか模索している。

 

このことは、18 歳選挙権に対して、18 歳で国民投票に参加することに対して、ともに「賛成」が約3 割という数字にあらわれています。しかし、前回の調査に比べると、ともに賛成の比率は上昇しています。教育の無償、高校統廃合や私学助成削減問題、原発問題、平和などをめぐって、多くの高校生が積極的に意見を表明し、行動に参加している状況も広がっています。また、東日本大震災の後、たくさんの高校生がボランティアに参加したり、被災地の高校生とつながり、励まそうと行動する姿も多くみられました。このような高校生たちの主体性を発揮できるよう、子どもの権利条約の観点からも、意見表明権を保障していくことが大切です。

日本国憲法は日本が民主主義国家であることの根底をなすものであり、主権者である国民の政治への参加を前提にしています。国民一人ひとりの政治参加の意識なしには憲法は意味をなさなくなります。すべての国民が、民主主義社会の形成者としての力を、社会に巣立つ前に身に付けることが求められています。

 

以上のことをふまえ、私たち教職員があらためて日本国憲法を学ぶとともに、高校生が、平和で民主的な社会を担う主権者として成長するための課題について、以下のことを提起します。

(1)あらゆる教育活動の中で、高校生が憲法を学び、いかす取り組みを積極的につくります。

(2)管理と競争の教育ではなく、生徒を主人公にしたクラスづくり、学校づくりなどを積極的に展開します。

(3)生徒会活動、部活動、サークル活動、学校行事などにおいて、高校生の自主・自治活動を重視します。

(4)三者(四者)協議会への生徒参加をすすめるなど、ひらかれた「参加と共同の学校づくり」をすすめます。

(5)長年にわたる平和教育の蓄積をいかし、沖縄・広島・長崎への修学旅行にとりくむなど、平和学習を積極的にすすめます。

(6)高校生のアルバイトの実態や就職活動にてらし合わせるなど、働く権利やルールを具体的に学ぶ労働者教育をすすめます。

 

この調査結果をもとに、日本国憲法について、そして私たちがつくっていくべき平和で民主的な社会について、大いに議論が展開されるとともに、全国各地で主権者教育が推進されることを願っています。

 

 愛国者の邪論

こういう高校目線と憲法目線をもった組合があるからこそ、戦後の教育が、それでも維持されてきたのではないでしょうか?!しかし、このよう組合の活動は、多くの国民が知っているかどうか、です。「この手」の報道の仕方で曖昧にしている日本の状況においては、組合と圧倒的多数の国民との共同は、大変難しい限りです。

 だからこそ、自民党政権は組合敵視政策を執拗に取ってきたのではないでしょうか?「不祥事」を利用して、組合と国民を分断するという手法で。この問題は、今後の課題としておきます。


日本の喫煙文化の自己検討もせず北朝鮮を揶揄しながら対立と分断を煽る産経の知的退廃に大喝!憲法をこそ!

2013-04-20 | 日記

昨日は日本のマスコミの印象操作について記事を書きました。日米軍事同盟深化派の悪質な思惑、憲法改悪のネライの典型として、産経の知的退廃を示す資料を掲載しておきます。

 産経は「儒教の教えが色濃く残る朝鮮民族にとってはもってのほかのはず」などと言っていますが、産経風に言えば、同じ儒教を日本の伝統文化としてもつ「日本民族」として「もってのほか」の事実をあげることにについては、枚挙に暇がありません。

その際たるものが、産経が復活を夢見ている教育勅語です。これについては、以下の記事をご覧ください。

 橋下「維新の会」のようなウソとペテンは昔からだったが、それを見抜くために、「教育勅語」を例に 2012-03-08 23:54:20

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/e72322c9d90deabb86ec68a98b36deb1

 

もう一つ、印象操作についても、以下の記事をご覧ください。

北朝鮮報道から日本を観て想う、いくつかをメモに 2011-12-26 09:24:07

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/b745934374ebb9f63c23250a3aa1f358

 

 それでは、産経が、ことさら強調した北朝鮮の「喫煙文化」の淵源が、軍事費捻出の玉手箱であった消費税徴収によるものであったことを示す資料を掲載しておきます。戦後も同じです。この「喫煙文化」の不道徳ぶりは、たばこのゴミと未成年の喫煙習慣として首都東京と全国の学校を覆っていました。

それを産経の忌み嫌う日本国憲法第25条(健康権)と第13条(幸福追求権)を基盤として、嫌煙権が主張され、さらに「人格権」にも発展させてきた結果、今日の日本における「喫煙文化」が構築されてきたのです。

 この考え方を、フクシマの放射能汚染に、ゲンパツ再稼動に適用すること、尖閣・竹島など領土問題の解決の視点として適用させること、想像力を逞しくすることで、日本国憲法こそが、国際紛争の最大の「抑止力」、紛争解決のための手段であることが判ります。人利の叡智を無視する産経にはとても理解できない思想です。

 

曽野綾子が登場します。この人、安倍首相の「オトモダチ」として、有識者として、ご活躍中です。以下ご覧ください。偶然ではなく、必然でしょうね。その結果も・・・。

教育再生実行会議委員に曽野綾子氏ら内定  2013.1.8 19:43

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130108/plc13010819450016-n1.htm 

 

それでは、長くなりますが、ゆとり・時間があれば、お読みください。

 

牧野賢治『タバコロジー 嫌煙・禁煙・あなたの健康』(毎日新聞社 1978年7月刊)

新宿駅では、一九七七年九月のある日、タバコの吸いがら調査を実施した。駅構内で発見されたタバコは二十三万本。うち九万本は吸いがら入れにあったが、残り十四万本は投げ捨てられたもの。十四万本の内訳は線路六万六千本、コンコース四万四千本、ホーム三万本。予想どおり線路が多く、とくに混雑の激しい山手線が最悪。線路のバラス(砕石)がタバコでかくれるほど。一日三トンのゴミの五十分の一がタバコである。駅構内には、吸いがら入れが三百四個ある。かなりな密度といえるだろう。ホームの柱にもちゃんとある。(引用ここまで

 

 仲野暢子『禁煙教育実践記 教師と生徒のタバコ戦争』(あいわ出版 1985年2月刊)

 それでもまだ、この程度の変化では、タバコ産業はひるまない。欧米諸国での人々のタバコ離れや、政府の喫煙場所規制、宣伝規制、健康教育などによって狭められた失地を回復するため、多国籍タバコ会社は、タバコ天国日本をねらって、輸入促進に圧力をかけてきた。八五年四月から、外国タバコが自由化されれば、ムードに弱く懐の暖いヤングや、女性向けの宣伝が、日本だけで許されているラジオ、テレビCMを含めて、洪水のように押し寄せるだろう。

 明治製菓が世界最大のタバコメーカー“BAT”の子会社と提携して、外国タバコを販売しようと計画したのも、その前ぶれを思わせた。

 製菓業最大手の明治製菓が、全国にもつ販売網を活用すれば、子どもたちが出入りするパン店、菓子店に、見た目も華やかな外国タバコとポスター、看板が並ぶことになる。テレビラジオのCMも、従来の菓子類、健康食品に加えて、タバコが入れば賑々かに茶の間を独占する。

 嫌煙団体などの強い抗議に会い、企業イメージを損うことを惧れて、明治製菓はこの計画をとりやめにしたけれど、その他いろいろの手段で、各種の外国タバコが、小さくて大きい市場(アメリカに次いで西側二位)日本列島を虎視耽耽とねらっている。

 当然一九八五年に発足する、民営の“日本たばこ株式会社”(政府出資三分の二)は、新製品の開発や国産グバコの宣伝に今以上力を注ぐだろう。世界の大資本同士の戦いが展開されて、日本列島は、タバコ、タバコの大合唱に包まれるかもしれない。

 これを規制する法律を、日本政府は作っていないし、当分作る気配もない。

 嫌煙団体の申し入れは、宣伝規制をはじめ、喫煙場所規制と環境浄化、健康教育を求めて、関係各省、地方自治体の他、国鉄、地下鉄等へとくり返されているけれども、行政の腰はまだ重い。

 世界最高といわれている、日本人男子の喫煙率もここ一七年間に一七%下って、六六・一%になった。外国タバコの大量流入を控えて、先行きが心細くなった国産タバコを、中国、東南アジア向けに輸出しようと、専売公社が九〇%出資の“日本たばこインターナショナル(株)が、一九八四年四月に発足した。

 「第三世界に害毒をもちこむな」と抗議にかけつけたのは、フィリピン消費者運動機構会長のアマルゴさん、国際消費者機構会長ファザール氏(マレーシア)は、「WHOの勧告を受けて、世界中の国が反喫煙運動にとりくんでいる時、日本政府と一体の専売公社が、新たに輸出を計画するのは、アジアの人々の生活や健康について、どう考えているのか」…「第三世界は食糧も十分ではないが、もうひとつ問題なのは、必ずしも必要でない食品の輸入が増え、はんらんしていることだ。粉ミルク、清涼飲料水、化学調味料……それからタバコ。先進国の企業は、貧しい人々が必死になって稼いだわずかな金を、そんなジヤンクーフード(ガラクタ食品)を買うのに使わせようと、派手な宣伝活動をしている。日本は経済、技術で成功し、世界一とたたえられるまでになったが、環境や人権への配慮が遅れている。先進国で有害視され、需要の落ちた商品が第三世界に押しつけられる傾向が強まっていることを考えてもらいたい。日本のタバコ輸出がいい例だ。日本政府はなぜ、第三世界に不健康を輸出するのだろうか。消費者は日本の政府や企業が第三世界で何をしているかに目を向け、監視してもらいたい」といっている。

 タバコの問題は、個人が財政政策やコマーシャリズムの犠牲にされているのと同時に、自分で手を下して、本人や家族の健康や環境を蝕むという二つの面をもっている。

 有害だと断定された物質を自分で吸ったり、他人に無理に吸わせるのは、嗜好のうちに入らないし、人権蹂躙りんにも等しい。しかし、明治以来、政府が無料で配ってまで奨励し、長い間の習性から、中毒に近くなってしまったスモーカーを、一片の法律で罰そうとしても、問題は解決しない。(引用ここまで

 

伊佐山芳郎『嫌煙権を考える』(岩波新書 1983年1月刊)

 軍備拡張とたばこ専売制の成立

 一八世紀後半、イギリスは中国から大量に輸入するお茶に対抗できる輸出品がないため、貿易収支にアンバランスをきたしていた。そこでイギリスは、東インド会社の専売品であったアヘンを中国に輸出し、その均衡を保ったことはよく知られている。つまりアヘンは、歴史的に、国の財政収入獲得の政治的商品として使われたのである。実はたばこも歴史的にこれと類似した性格をもっている。

 明治の初めの頃は、たばこは民営であり、税金もかからなかった。その流れを変えたのは、一八七五年(明治八年)一〇月四日の太政官布告第一五〇号の「煙草税則」である。これによって、わが国ではじめてたばこに消費税が賦課されることになった。具体的には、小売商人が消費者にたばこを売るときに印紙を貼るという方法をとった。しかしこのやり方は当時の小売の実態にそぐわず、税を逃れる者が多かったという。なぜかというと、当時のたばこの売買は、消費者が小売業者に需要量を申告し、これに対して小売業者がたばこを紙で包んだり、あるいは消費者が携帯しているたばこ入れに直接移すというやり方がほとんどだった。だから脱税するために意識的に印紙貼用をしないというよりも、売買の実態からして、印紙貼用になじまなかったらしい。そういうこともあって、この煙草税則はたびたび改正されている。

 一八九四年(明治二七年)八月、日清戦争が勃発した。翌一八九五年四月、わが国はこの戦争に勝つと、市場を国外に拡張していった。企業は大好況を迎えたものの、国内では物価がどんどん上がり、インフレは慢性化していた。全国各地で米騒動が起き、労働者のストライキが頻発した。政府は、労働運動や農民運動を抑えこむために、一九〇〇年(明治三三年)悪名高い治安警察法を制定して、労働者・農民を弾圧した。

 この法律は、集会・結社・言論を弾圧するための伝家の宝刀として猛威をふるった。たとえば、一九〇一年(明治三四年)にわが国ではじめて結成された社会主義政党「社会民主党」は、この治安警察法により、結社と同時に即日禁止されている。

 他方、政府は国家財政を立て直すために各種の新税創設とともに、たばこからの税収入増大をはかって、葉たばこの買上げだけを独占する「葉煙草専売法」を一八九六(明治二九年)三月に制定し、二年後の一八九八年ー月一日から施行した。このため、たばこ耕作者がつくる葉たばこは、いったん国が独占的にこれを買上げ、それをたばこ製造業者に売却するというシステムがとられたわけである。当時民間の強い反対があったけれども、政府は葉たばこ専売を断行した。その裏には次のような政治状況があった。日清戦争後、ロシアや西欧帝国主義諸国が東洋に進出する動きがあり、わが国はこれと対抗するために軍備拡張の道を歩んでいた。つまり葉たばこ専売は戦費調達のためにとられた手段であった。

 特筆すべきは、日清戦争中、政府は恤兵品として出征軍人に紙巻たばこや口付きたばこを贈り、復員後の兵士らに喫煙習慣をうえつけたことである。

 その後日露戦争が勃発した一九〇四年(明治三七年)、さらなる戦費調達のため、葉たばこの買上げだけでなく、たばこの製造に至るまでの全部を国が独占する完全専売制に移行すべく、「煙草専売法」を制定することになった。

 このようにして、たばこ消費税の大幅増徴の体制が整えられた。たばこだけではなく、日清戦争後日露戦争に至るまで、各種の税の新設、増徴が相次いだ。日露戦争が勃発した一九〇四年当時の、税収増額に占める消費税の割合は六五パーセントの高きに達している。ここに間接税中心の租税体系の原型ができ上がった。これは地祖以外に期待できる直接税の税源が乏しく、それにもかかわらず西欧帝国主義諸国との角逐の結果、莫大な軍事費を捻出せざるを得なかった当然の結果であった。

 かくして、たばこ専売制は政府による軍備拡張路線の落し子であったということができよう。その後、たばこ専売事業が順調に伸び、喫煙者が増加していった歴史的過程を考えれば、今日のわが国の、成人男子の異常な喫煙率の高さに合点がいくというものである。

 日本専売公社が発足したのは一九四九年(昭和二四年)六月である。この、年は下山事件、三鷹事件、松川事件と世の中を震憾させた大事件が立てつづけに起こった年である。前年の一九四八年(昭和二三年)七月に、マッカーサー書簡が発せられ、そのなかで専売事業の組織変更が指示されたのに伴い、日本専売公社が設立されたのである。

 専売公社は、一九六一年(昭和三六年)九月に「たばこ事業長期計画」、一九六八年一一月「これからのたばこ事業」(長期経営計画)、一九六九年六月「第一次中期経営計画」、一九七四年二月「第二次中期経営計画」というように、次々に経営の合理化・近代化をはかり、世界でも有数の販売実績を誇るほど成長を遂げてきた。…

 喫煙防止対策を考える

 それでは青少年の喫煙を防止するのにはどうしたらよいか。「未成年者喫煙禁止法」の制定過程から見てみょう。

 未成年者喫煙禁止法は、一九〇〇年(明治三三年)に制定されている。当時小学生の喫煙がかなりひどかったようで、一八九三年(明治二六年一二月、学習院が次のような禁煙令を出している。

近来世上に於て幼年者姻草を嗜好するの風大に流行し其の甚しきに至ては学校往返の途上恬然之を喫する者あるに至る

元来喫煙なるもの衛生に害あるとは医家衛生家の定説にして殊に弱年の者に在いては其の害多く且つ風儀を傷ふこと甚た大なりとす先に本院に於て中等学科三年級以下の学生の喫煙を禁止せしも畢竟之か為めなり

抑も喫煙は一の痼疾となるものにして幼時に於て一旦此癖習を生すれは成年に至て益其の度を進め容易に之を脱すること能はさるは世人の多くは喫煙の有害なるを知りても終に之を廃すること能はさるを以て知るへきなり是れ喫煙を幼年者に厳禁するもの最も肝要なる所以なり而るに当今本院幼年の学生中此の禁を犯し有害なる喫煙の為に懲戒処分を受くる者往々増加するの傾きあり依て爾来一層取締を厳重にせしむるは勿論なれとも各自に於て深く喫煙禁止の主旨を服贋し以て他の流行に誘はれ或は己の嗜好に任せて此の恐るへき害毒を蒙り且つ之か為め懲戒の処分を受けて身躰と名誉とを両ながら損傷することながらんことを期すへし

  右訓令す

    明治廿六年十二月            学習院院長子爵 田中光顕

 翌一八九四年八月二九日には、文部大臣井上毅の名前で、「小学校二於テ生徒ハ喫姻スルコト及姻器ヲ爽帯スルコトヲ禁スヘシ」という訓令が出ている。

 右の禁煙令や文部省の訓令を読むと、年端もゆかぬ小さな子どもがたばこをくわえながら街中を歩いている様が目に浮かんでくる。

 筆者にもこんな経験がある。一九八一年六月にオランダのパークで開かれた国際消費者機構の世界大会に出席の途上、アムステルダムの街を散策したとき、一〇歳前後の少年少女がたばこを吸いながら路上を歩いているのに出くわしてびっくり仰天した。オランダには、現在も未成年者の喫煙を禁ずる法律がないのである。わが国においても当時はその上うな法律がなく、子どもの喫煙が放任されていたのである。

 こうして子どもの喫煙防止をめぐって大きな社会問題になり、ついに根本正衆議院議員らの熱心な立法制定活動により、一九〇〇年(明治三三年)二月一九日、「未成年者喫煙禁止法」が貴族院で可決、四月一日から施行された。たった四条からなる短い法律なので、現行のものを紹介しておきたい。

  第一条 満二十年二至ラサル者ハ煙草ヲ喫スルコトヲ得ス

  第二条 前条二違反シタル者アルトキ八行政ノ処分ヲ以テ喫煙ノ為二所持スル煙草及器具ヲ没収ス

  第三条 未成年者二対シテ親権ヲ行フ者情ヲ知リテ其ノ喫煙ヲ制止セサルトキハー円以下ノ科料二処ス

   ②親権ヲ行フ者二代りテ未成年者ヲ監督スル者亦前項二依リテ処断ス

  第四条 満二十年二至ラサル者二其ノ自用二供スルモノナルコトヲ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者八十円以下ノ罰金二処ス

 (注) 罰金等臨時措置法により、第三条一項の科料については「一円以下」を「二十円以上四千円未満」に、第四条の罰金については「十円以下」を「八千円以下」と改正。

 それでは、この法律は純粋に青少年の健全育成を目指したものであったかというと、決してそうではなかった。

 当時の社会状況・政治状況については、前に述べたように、わが国は日清戦争に勝ったあと、ロシアや西欧帝国主義諸国と対峙しており、戦費調達のために、たばこ専売制を確立しようとしていた。国内では治安警察法による民主勢力弾圧の嵐が吹き荒れていた。

 このような状況のなかで、未成年者の喫煙防止の問題が論じられていくのであり、当時の国家政策とは利害が対立していた。当然政府は、未成年者喫煙禁止法の制定には消極的であった。しかし、「幼年者が煙草を吸うため肺が悪くなり、徴兵に取られぬようになっては甚だ憂うべきこと」(貴族院での議員発言)という考え方が結局勝利をおさめたといういきさつがある。未成年者喫煙禁止法は、富国強兵策の落し子といえなくもない。

 このように、未成年者喫煙禁止法制定め意図には問題があったといわざるを得ないけれども、青少年をたばこの害から守るために、未成年者の喫煙を禁ずる法律を制定した意義は大きい。

 だが、この法律があるにもかかわらず、今日ふたたび未成年者の喫煙増加を見るとき、この法律の機能についてあらためて考えてみる必要がある。

 いうまでもなく、未成年者喫煙禁止法は、子どもの喫煙を禁じている。だから喫煙する子どもがこの法律に違反することは当然である。(引用ここまで

 

 牧野賢治『タバコロジー 嫌煙・禁煙・あなたの健康』(毎日新聞社 1978年7月刊)

未成年者喫煙禁止法

 世界でも例をみない日本の未成年者喫煙禁止法(資料参照)は、七十八年前の一九〇〇年(明治三十三年)三月七日に公布され、同年四月一日に施行された。同類の未成年者飲酒禁止法の制定が一九三六年(大正十一年)三月三十日だから、その二十二年も前のことだった。

 その母体となったのは、前年の一八九九年十二月七日の帝国議会衆議院に、根本正議員ほか四人が提出した「幼者喫煙禁止法案」。根本議員らは、その理由として「煙草は阿片の如くナコチック及びニコチンを含蓄するが故に少年にして之を喫するときは其体質害毒に感染し易さを似て神経を麻庫し知覚を遅鈍にし国民の元気を消耗するの患あり、独逸政府は十六歳以下のものは喫煙を禁ずるの法律を制定せり。これ喫煙は彼等の身体の発育を妨げこれをして軍人たるに不適当ならしむるにあるが故なり。米国の一報告によるに米西戦争に於て軍医の為に兵役より排斥せられたる青年の百分の九十は喫煙の悪結果に基くと云う。又現に在東京米国特命全権公使ハック氏の言にバージニア州及びアイオワ州の如く十八歳以下の者に対し煙草販売禁止法を施行せる各州の少年を他州に比するに徴兵検査の成績頗る好結果を呈せりと云う―」と説明している。

 法案審議の過程で、対象年齢は原案が十八歳未満とあったのを二十歳未満の未成年者と変えられるなどされたが、結局ほとんど満場一致で可決された。当時の社会的風潮は、タバコはまだ民営。一八九五年(明治二十八年)ごろから、両切の紙巻タバコが製造、販売されるようになり、各タバコメーカーは宣伝合戦をくり広げていた。

 そのため誇大宣伝や景品付販売が行われたが、あるメーカー一等は自転車がもらえるくじ付き販売を行ったところ、小学生に爆発的人気となり、タバコを買って吸い、中毒をおこす小学生が現われ、社会問題となったといわれる。

 それに加えて、政治的には、日清戦争が終わり、富国強兵策がさらに強まっていた。法案提案理由にも述べられているように、強い兵隊づくりのためには、諸外国での議論からみて、若い間はできるだけタバコを吸わせない方針が、当時の国岡づくりに必要だと判断されたのである。

 もっとも、貴族院での審議では反対意見も出され、「積極的に取り締まれないのではないか」「法律で決めるべきことではない」という声もあったという。また、一九〇〇年(明治三十三年)三月 一日付の東京日日新聞には、「禁煙法と教育者」という記事が載り、「本法の実行については単に行政官のみに依頼せず……未成年者教育の任に当れる学校教員の如きは自ら喫煙の風習を打破し実践の例を示さざるべからず」と警告している。七十八年前もいまも考えるることは同じなのだ。

 ところで、未成年者に対する外国での法的規制はどうか。一九七七年現在では、米国はほとんどの州で未成年者(十六~十八歳未満)に販売禁止、英国は児童法で十六歳未満に販売禁止、西ドイツは「公共の場所における児童の保護に関する法律」で十六歳未満の者は公共の場所において喫煙禁止、ただし既婚者は除外、オーストリアは州法で公衆の面前で喫煙できる最低年齢を規定(ウィーンは十八歳、その他は十六歳)、カナダは連邦法で十六歳未満に販売禁止、オーストラリアは州法で十六歳未満に販売禁止、イタリアは十八歳未満に販売禁にに、ノルウェーは十六歳未満に販売禁止、韓国は未成年者は喫煙禁止となっている。

 こうしてみると、年齢の高さなど、すべての点で、日本が一番厳しい法律を有しているといえるようだ。この種の法律の古さからいえば、ノルウェーのものが最古で、一八九九年に、いち早く十五歳以下の子供にタバコの販売を禁止した。この法律は、一九七三年に改正され、十六歳以下となった。

 このように、日本の未成年者喫煙禁止法は世界に誇りうるものだが、現実とのギャップもまた大きい。もちろん各国とも、喫煙者の低年齢化は法で定めた年齢をどんどん下まわって、それが大きな悩みになっているが、二十歳未満としている日本も例外でない。すでに述べてきたように、喫煙開始年齢は、十七、八歳から、場合によれば、十五、六歳まで下がっている。(引用ここまで

 

伊佐山芳郎『嫌煙権を考える』(岩波新書 1983年1月刊)

嫌煙権と喫煙権 嫌煙権の思想の原点

 嫌煙権の法律的根拠は、憲法第二五条の「健康権」であり、憲法第一三条の「幸福追求権」である。心身ともに健康であること、生命を大切にすること、これは人間の尊さの原点である。ここでいう健康というのは、病気でないということとイコールではない。

 WHOは、一九四六年の世界保健憲章のなかで、「健康とは単に疾病や虚弱ではないということではなく、肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることをいう。到達し得る限り最高度の健康水準を享受することはすべての人間の基本的権利の一つであり、人種、宗教、政治的信念または経済的もしくは社会的条件による差別があってはならない」と定めている。また一九七九年八月四日条約六号の「経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約」第一二条一項は、フ」の規約の締約国は、すべての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利を有することを認める」といっている。私たちの憲法で認める「健康権」も、世界保健憲章でいうところの健康概念と同じでなければならない。…

 少数の非喫煙者が集まって、恐る恐る社会に向かって発言し、公共の場所での喫煙規制を訴えてきたのが嫌煙権運動である。このとき、「嫌煙権があるのなら喫煙権だってあるんだぞ」という主張が正当なものでありえようか。フランス人権宣言(第四条)にもあるように、「自由とは他の者を害しないすべてのことをなしうることをいう」のである。喫煙権の主張が嫌煙権に対する反論となり得ず、それは全くの誤解か方向違いの開き直りにすぎないことは明らかではなかろうか。

モラル論で解決できるか

 もう一つの反対論は、たばこの問題はモラルで解決すべきだという「モラル論」である。筆者がNHK教育テレビで、作家の曾野綾子さんと討論したとき、曾野さんは、嫌煙権などと権利を振りまわすのはよくない、お互いのマナー、モラルで解決すべきだと、この「モラル論」を主張した。

 しかし、今日のたばこ公害の現実を前にして、「モラル論」でいったい何が解決できるだろうか。たとえば、国鉄の特急列車を考えてみよう。…要するに「モラル論」は、日本の喫煙者のマナーの低さをあまりに知らなすぎるか、無視しているものといわざるを得ない。…ではどうするか。答えは一つである。喫煙のセクションと禁煙のセクションを分けるしかないのである。…要するに公共の場所、共有の生活空間のところは、原則的に禁煙にし、特定場所を喫煙所にするのが理にかなった制度である。

 このように嫌煙権は、個人的に喫煙者を敵視しないで、喫煙者と非喫煙者が共存できるよう制度化をめざした権利主張なのである。

 嫌煙権訴訟をめぐって 国鉄に対する責任追及の法的根拠

 公害は、人間の生存や生活を侵害する。人間の尊さを守るという視点から、「人格権」を根拠に、公害の防止・予防を求める考え方が定着しつつある。

 民法第七一〇条は、身体・自由・名誉という人格的利益を権利として保護している。今日では、プライバシーも人格的利益として保護の対象となっている。

 生命・健康・快適な生活も人格的利益として保護の対象とすべきことは当然である。いいかえれば、生命・健康・快適な生活の侵害を許しだのでは、人間の尊さは守れないのである。

 東京都立大学の下山瑛二教授は、『健康権と国の法的責任』(岩波書店)のなかで、次のように論じておられる。

 「従来の法律学は、とかく「財産権」中心に法体系が構築されたが、憲法の基本的人権の理念からいっても、また第二次大戦、ファシズムの人間性無視を媒介として再認識された人間の尊厳性を原点としたという基本的人権規定の歴史性からいっても、生命を中心として、健康・生活・環境と外延を拡げる「生存権」中心の法体系構築へと方向を転換させることがすぐれて現代法的課題となってきている」とし、「憲法体制の下における「健康権」を起点とする発想方法は、個々人の生活の場における「健康」保持のための包括的施策の要請となる」と、新しく「健康権」概念確立の必要性を論じている。

 さて、非喫煙者の受げる健康被害を考えるとき、これが非喫煙者の人格的利益を侵害することは明らかである。たばこの悪臭・剌激による快適な生活の利益を侵害することも、当然人格的利益の侵害になる。

 国鉄に対する禁煙車両設置要求の法的根拠は、「人格権」である。この「人格権」については、大阪高等裁判所が、大阪国際空港事件で明解にこれを認めているので、次にその核心のところを紹介してみょう。

 「およそ、個人の生命・身体の安全、精神的自由は、人間の存在に最も基本的なことがらであって、法律上絶対的に保護されるべきものであることは疑いがなく、また、人間として生存する以上、平穏、自由で人間たる尊厳にふさわしい生活を営むことも、最大限度尊重されるべきものであって、憲法一三条はその趣旨に立脚するものであり、同二五条も反面からこれを裏付けているものと解することができる。このような個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体を人格権ということができ、このような人格権は何人もみだりにこれを侵害することは許されず、その侵害に対してはこれを排除する権能が認められなければならない。」

 このように、大阪高等裁判所は、被告である国の強い反対をしりぞけ、人格権による差止めを明示的に認めたのである。(引用ここまで