愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

マスコミ・学界・教育界は安倍首相の大ウソを批判できるか!マスコミを利用した大ウソ国家を許すな!2

2013-04-27 | 日記

つづきです。

さて次は、靖国神社参拝を正当化した安倍首相の言い分と靖国神社の主張から、その大ウソとスリカエを観てみたいと思います。

 2.安倍首相「靖国神社で、ご英霊にご冥福をお祈りすることを批判されることに対して、なんにも痛ようを感じないのは、おかしいと思う。国益を守り、歴史や伝統の上に立った誇りを守っていくことも私の仕事で、それをどんどん削れば、関係がうまくいくという考え方のほうが間違っている」」(24日参議院予算委)

 全くのスリカエです。靖国神社が「侵略戦争」を正当化しているのは戦犯の合祀と遊就館の展示物を観れば明瞭です。万歩譲って、「侵略戦争」でなかったとしても、アジア諸国への加害を黙殺し、その加害を進めてきた「ご英霊」たちを顕彰するという点において、その反省どころか、正当化していることに、中韓が「反発」、本当は「抗議」しているのです。

 こうした事実を一般的な「慰霊」にスリカエ、国民の中にあるナショナリズムを煽り、利用して、中韓の主張をスリカエ、この問題をとおして、マスコミを使って、日本における侵略戦争の歴史認識を一気に変えてしまおうというネライです。80年代の国際公約である「近隣諸国条項」の見直しは、そのことを示しています。

 自民・教科書検定部会始動 「近隣諸国条項」見直し着手 6月上旬に中間答申 2013.4.24 21:16 [自民党

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130424/stt13042421180011-n1.htm

 では、靖国神社史観はどのようなものでしょうか?靖国神社の発行している「遊就館図録」(平成十五年五月刊)より、いくつか観てみます。

 (1)「韓国併合」

明治四十二(一九〇九)年七月、小村外相提案の韓国併合の意見書が閣議で承認された。翌四十三年八月、新任の寺内正毅統監が、李完用総理と会見。条約案が協議された。韓国政府では、二十二日に、閣僚を含む御前会議で条約案を承認・裁可し、同日韓国併合の条約が調印された。(引用ここまで

 (2)満州事変 

昭和六年九月十八日、奉天郊外柳条溝付近の鉄道爆破事件をきっかけに、関東軍が満洲全域の軍事占領を図った事変で、昭和八年五月三十一日の塘浩停戦協定によって事実上終結した。日本は、日露の戦勝で満洲に権益を有していたが、「滅満興漢」を旗印に新国家中華民国を建国した熱気は、既存の条約を無視した過激な国権回復運動となって満洲に波及した。この反日行動を武力で制圧した関東軍の行動は、国民に支持されたが、列国はこれに強く反発し、日本は国際連盟から脱退して、国際的孤立を深めるに至った。

昭和六(一九三一)年九月

満州における張学良政権の露骨な排日政策と日本政府の対中宥和外交への不満は、満州、特に関東軍内部で鬱積していた。事変後、関東軍は清朝最後の皇帝溥儀を擁して満州国を建国した。(米国政府は、国内の反対を押さえて積極的に介入し、日本孤立化の外交戦略を展開した)(引用ここまで

 (3)南京攻略作戦

中国の戦争意志を挫折させる目的で首都南京を包囲攻略した防衛司令官唐生智が、部隊に固守を命じて自らは逃走したため、戦闘が始まると指揮官を失った将兵は潰走または投降して壊滅。南京城は一二月十三日に陥落した。(引用ここまで

 愛国者の邪論 どうでしょうか?クロをシロと言い換える不道徳・退廃ぶりが見えてきませんか?これでは、被害国が「反発」するのも判ります。いじめの構造と同じです。

 靖国神社は、軍事力と強権によって、時の政府に圧力を加えて、条約が調印されたことを、いっさい無視しています。竹島の領有確定も、この植民地化のなかで宣言されているのです。ここに韓国の「独島」領有主張の根拠のひとつがあります。

 しかも、1907年6月オランダで開かれていた第2回万国平和会議に初代大韓帝国皇帝高宗(・李太王・李熙)の信任状を持参した、いわゆるハーグ密使事件と皇位「譲位」、植民地化に反対する義兵闘争など、朝鮮人民の「愛国闘争」は、いっさい無視です。これが道徳的かどうか、明瞭です。(山辺健太郎『日韓併合小史』岩波新書66年2月)

 また寺内正毅初代朝鮮総督は「小早川、加藤、小西が世にあらば、今宵の月をいかにみるらん」と詠んだそうです。この朝鮮総督は、天皇によって任命される陸海軍大将で、しかも立法・司法・行政・軍事の権限を一手に握っていました。この朝鮮植民地統治によって朝鮮人民の生命・財産・こころを奪ったことは、語っても語りすぎることはないでしょう。(尹健次『もっと知ろう朝鮮』岩波ジュニア新書01年2月)

 もう一つ紹介します。中国戦線における皇軍の実態についてです。以下をご覧ください。

 小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』講談社現代新書07年7月)

中国に対しても、同様です。国際法に違反して殺戮・略奪の限りを尽くし、かつ、その情報を徹底して検閲・削除し、闇から闇へ葬り去ってきました。石川達三『生きてゐる兵隊』の発禁処分、火野葦平『土と兵隊』『花と兵隊』、『麦と兵隊』の連作「兵隊三部作」は、「すでに殺戮、強姦、強奪といった場面ぱ消えうせている。火野白身がのちに日本車の負け場面、戦争の暗黒面、作戦の全貌、部隊名ぱ描いてはならず、逆に中国軍は憎々しくいやらしく書くことが求められ、「麦と兵隊」でも検閲で中国軍捕虜斬首の場面は伏字とされたと回想している(『火野葦平全集』第二巻解説)。この三部作があわせて二百万部を超える部数を記録して空前のベストセラーとなったことはよく知られているが、その執筆基準を見てみると、第六章で述べる郵便検閲の基準とまったく同一で、いわば石川の作品が「検閲前」であれば、火野の作品は「検閲済み」だといってもよいほどである」(引用ここまで

 という事実を、靖国神社は国民に知らせようとしていません。無視・黙殺です。これが道徳的かどうか、です。

安倍首相らの大東亜戦争正当化発言と大ウソ、北朝鮮の「挑発的言動」を伝える日本のマスコミには、歴史の真実に向き合った報道を求めていくべきでしょう?

 3.次に問題にしなければならないのは、靖国神社の「ご英霊」に対する冒涜ぶりと戦争の正当化、戦争責任の曖昧化についての不道徳さです。以下資料「隠滅」ではなく、「湮滅」の持つ意味からくる不道徳さです。

 (1)粟屋憲太郎他『戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか』(朝日選書94年7月)

重要資料の焼却と検察側による収集

 ポッダム宣言はその第一〇項で、われらの俘虜を虐待したものを含む一切の戦争犯罪に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」(傍点部分は東京裁判開廷後、「裁判」と改訳された)として、目本の戦争犯罪人への厳罰方針を規定していた。

 日本の支配層はホッダム宣言を受諾して降伏したのだが、連合国の戦犯処罰方針に対処するため敗戦直後になされたのが、関係重要資料の焼却であった。ドイツ降伏に際しては、連合国はべルリンに突入して、ドイツを無条件降伏させ、中央文書機関などを押さえて、大気の重要資料を確保した。このためニュルンベルク裁判では、証拠資料の不足はあまり問題にならなかった。ところが日本の場合、連合国の日本本土侵攻以前に日本の敗戦が実現し、しかも占領軍が日本に進駐したのは、日本の降伏後二週間たってからだった。

 この間、政府機関や陸海軍は戦犯処罰に対処するため、どさくさにまぎれて大量の機密重要資料を焼却、湮滅した。日本の戦後は、「過去の克服」ならぬ「過去の湮滅」で開始したことが、ここでは重要である。

 この重要資料の焼却は、東京裁判でも犯罪行為として追及され、国際検察局(IPS)はこれについてかなり詳細に調査した。田村浩俘虜情報局長官・俘虜管理部長は、検察側の尋問を受けて、その間の事情を次のように語った。

 すなわち陸軍の場合、一九四五年八月十五日、市ヶ谷台で陸軍の連絡会議が開かれ、陸軍省から、機密資料については、保持を必要とするもの以外はすべて遺漏なく焼却するよう口頭指示が出された。このため田村も俘虜関係の機密、極秘資料の焼却を命したが、敗戦の混乱もあって必要だった書類までが燃やされてしまったとのことである。このような状況は、他の政府機関でもだいたい同様であった。

 もちろん、すべての重要書類が焼却されたわけではない。…東京裁判について手放しに全面評価できる点があるとすれば、日本の戦争指導者たちの処罰を裁判方式で追及することになったため、証拠用に多量の資料が収集され、それが現在では有用な歴史資料として保存、公開されていることにある。(引用ここまで

 (2)『餓死にした英霊たち』の叫びと嘆きを無視する安倍首相・靖国神社の不道徳ぶり!は、以下をご覧ください。

http://www.asyura2.com/07/war87/msg/795.html

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.html

 (3)沖縄をはじめとした「臣民」は」「ご英霊」には含まれないし、いわんや植民地の「皇国臣民」も!今後「ご英霊」の数を、一般的な「ご英霊」ではなく、具体的に検証していく必要があると思います。

靖国神社『遊就館図録』(平成十五年五月刊)より

沖縄作戦 昭和二十(一九四五)年4月1日~七月七日

大東亜戦争で最初で最後の国土戦「沖縄決戦」は、本土決戦に寄与するため、第三十二軍が堅忍不抜に徹して、全県民が一体となり、三ヶ月近く戦い抜いた激戦である。それだけに県民の犠牲者も多く、海軍の大田實中将は、訣別電報でその涙ぐましい活躍を報告した。戦場では、空と海と陸の全てで特攻攻撃が繰り広げられ、大和以下の水上艦艇も航空機も対戦車攻撃の肉攻班も特攻となって突入した。(引用ここまで

http://tamutamu2011.kuronowish.com/okinawasenn.htm

http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/okinawa.html

 淵弘『朝鮮人特攻隊』(新潮新書09年12月刊)より

 さらに、真珠湾攻撃で太平洋戦争の火蓋が切られると、陸軍の志願兵制度は台湾でも実施され、四三年五月には海軍も、朝鮮と台湾で特別志願兵制度の導入を決めた。しかし、海軍は兵学校や士官学校への道を閉ざしたため、軍での立身出世を目指す朝鮮人と台湾人は、陸軍にその活路を求めることになる。

 四二年に陸軍士官学校に入校した朴正煕は、その代表的な人物といえよう。五十七期生だった朴正煕は、満州国軍中尉として終戦を迎え、独立後の韓国で軍事クーデターをおこして政権を奪取した。「維新革命」と名づけたクーデターを実行する前夜、朴正煕は「鞭声粛粛夜河を過る 暁に見る千兵の大牙を擁するを」と、日本の詩吟を繰り返し歌っていたという。その朴正煕を暗殺した韓国中央情報部長の金載圭は、日本陸軍の少年飛行兵を志願し、特攻隊に編入される前に終戦を迎えた…朝鮮人で最初に「散華」した特攻隊員の松井秀雄伍長は、「半島の神鷲」として大々的に報じられていた。果樹園を営む松井家には、阿部信行総督はじめ朝鮮総督府幹部が続々と弔問に訪れ、新聞には家族写真まで掲載されていた。…熊谷陸軍飛行学校を卒業後に特別攻撃隊の「靖国隊」に参加した。少年飛行兵の第十三期卒業生だった。松井伍長を称賛する記事は連日のように続き、十二月九日付の『毎日新報』には、後に韓国文学界を代表する詩人となる除廷柱の追悼詩まで掲載された。

朝鮮総督府の朝鮮語機関紙『毎日新報』の四四年十二月二日付の記事、「松井伍長に続け」と題した1面の社説には、こう書かれてあった。

 必死必中の特別攻撃を敢行して、レイテ湾内の敵艦隊を撃沈炎上させた我らの特別攻撃隊に、半島出身の荒鷲が参加していたことが明らかになった。彼こそ開城出身の松井秀雄伍長だ。(中略)松井伍長は実に半島二千六百万(註・当時の朝鮮半島の人口)肉弾総突撃の最先鋒になった。我々は襟を正し、頭を下げ、伍長の冥福を祈る。(引用ここまで

 安倍首相の祖父岸信介と朴の関係の検証も今後触れなければなりませんが、特攻隊に志願したにもかかわらず「天皇の為に死ねぬ」との思いを胸に体あたりして「散って」いった朝鮮人特攻兵士の思いを「ご英霊」として「慰霊」できるか。日本の植民地統治と大東亜戦争正当化論の事実が、韓国で肯定できるか。日本国民は、よくよく考えてみる必要があるのではないでしょうか?

 以上の諸事実から言えることは、何か。それは、靖国神社の史観にもとづく教科書をつくれ、ということです。それを正当化するために、国民のなかにある「死者を悼むこころ」を「ご英霊」を「慰霊するこころ」に発展させ、国内問題だとスリカエ、同時に、高齢化してきた遺族会だけに頼るのではなく、今度は国民に向かって、その「こころ」を揺さぶることで、自分たちへの支持を取り付けていこうとする企みです。

 だからこそ、平気でウソをつくのです。日本固有の領土である竹島・尖閣に対する中韓の軍事的「脅し」はひどい!と単純に印象操作を行うのです。しかも「北朝鮮の挑発的言動」を利用して、日米軍事同盟を深化させながら、憲法を改悪していこうとするのです。

 夕方のテレビ朝日のニュース番組に登場しているコメンテーターは、危機感を煽ってきたことの誤りに反省するどころか、北朝鮮のミサイル発射の危機の継続に固執し、「敵基地攻撃」論を吐いているのです。ここに思考停止の日本のマスコミと、国民を思考停止に追い込む装置が見えてきます。

 こうしたイデオロギー状態に対して、事実を持って反論していく必要があります。日々垂れ流されている「なんとなく危ない」意識、「何となく日本は間違っていない」感情、間違っているのは、黄砂や汚染物質や病原菌を運んでくる、尖閣に入りこんでくる中国、日本の固有の領土である竹島を占領して、自分たちの政権が危なくなると竹島を使って日本を攻撃してくる韓国、国が貧しいくせに核兵器保持に固執する、ミサイルを撃ち込もうとする北朝鮮、などなど、「何となく」意識・感情を沈澱させているマスコミの使う言葉などに対して、憲法の知る権利を具体化させていくことが、今とりわけ必要です。靖国神社のウソのトリックについては、今後も記事にしていきたいと思います。

 そのためにも、マスコミ界や学界、教育界に関係する人たちの奮起に期待したいと思います。

 最後に、以下の見解をご覧ください。

「靖国問題」講演抄録 高橋哲哉 東京大学教授

http://www.diplo.jp/articles07/0703-3.html

 

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