愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

政権公約違反・争点隠し・死刑覚悟を迫り暴走しないとウソをつく安倍・石破・高市自民にレッドカードを!

2013-07-20 | 日記

自民党の選挙争点隠し、政権公約違反、二枚舌公約、アベノミクス政調戦略推進のためのウソ公約づくりなどなど、国民にとっては、全くケシカラン材料を放置したまま、いよいよ明日投票日となります。たまたまチャンネルを回したところ、TBSの報道特集の最後に出くわしました。相変わらず、「選挙が盛り上がらない、AKB48の総選挙のように、若い人に投票を」などと、お説教をたれていました。比較的まともな報道特集ですが、石破死刑発言の検証、マスコミの報道のあり方問題を検証してほしいと思いました。 

そこで、オールスターを観ながら、若い選手の生き生きしたプレー、大ベテランの「若いもんには負けんぞ」とハッスルする老練、かつシブトイ、頭を使ったプレーに拍手を送りながら、「今度の選挙は、あの統一球の不祥事事件と同じだな」と思いました。まずは、選手をはじめ、野球ファン(国民・有権者)に対する背信行為をしたにもかかわらず、責任すら名言しない、しらんぷりのコミッショナーや球団は、政権政党とマスコミだと思いました。 

どこのチームのどんな選手が、どんな好プレーをするか、それを公平に報道することで、その好プレーを観るファンの目と選手の技術も向上、これらは双方向です。政党と有権者を繋ぐものは、マスメディアです。球場に行って観戦できないファンにとっては、ニュースや特集、新聞記事が頼りです。それを選挙に当てはめて考えてみたという訳です。以下の記事をご覧ください。 

プロ野球:統一球問題 選手会、コミッショナー不信任を全会一致 2013年07月20日

http://mainichi.jp/sports/news/20130720mog00m050013000c.html

 労組・日本プロ野球選手会(楽天・嶋基宏会長)は19日、札幌市内で臨時大会を開いた。日本野球機構(NPB)が公表しないまま統一球を飛びやすく調整していた問題について協議し、加藤良三コミッショナーに対する不信任を全会一致で確認した。選手会は6月27日に、コミッショナーの事実上の退任を求める要望書をNPBと問題を調査する第三者委員会に提出しているため、今回は決議はしなかった。嶋会長は「ボールが変わったことを組織の長が『知らなかった』では済まされない」と責任を追及した。 また、試合中にダッグアウト前で準備として行っているキャッチボールが禁止されることには、選手会として反対する意思を確認した。キャッチボール禁止は来季に向け、オールスター戦後から2軍戦で試行される。(引用ここまで 

選手会、不信任を確認 加藤コミッショナーに 統一球問題 2013年7月20日 朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2013072002000108.html

 労組日本プロ野球選手会(嶋基宏会長・楽天)は19日、札幌市内で臨時大会を開き、日本野球機構(NPB)が外部に公表しないまま今年から統一球の飛距離が出るように変更したことについて話し合い、加藤良三コミッショナーへの不信任を確認した。 選手会は6月27日に、加藤コミッショナーへの不信任や責任感のある新たなコミッショナーの登用などを要望する文書をNPBに渡している。NPBは、今回の問題について経緯や責任の所在を外部の有識者による検証委員会に調査を依頼。検証委員会は9月末をめどに報告書を提出する方針を示している。 選手会は、選手にも説明がないまま統一球を変えたことを問題視。記者会見した嶋会長は「選手にとって命ともいえるボールが変わったことを、知らなかったということで済まそうと思っている人は信用できない」と加藤コミッショナーを批判。今回の問題の責任者を捜すことで幕引きとせず、NPBの組織改革を優先するべきだと訴えた。 また、来季からプレー中にベンチ前などで投手らのキャッチボールが禁止されることについて、反対の意向を示した。(引用ここまで 

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選手会の言い分は、有権者の言い分と同じではありませんか?次に、石破氏の「暴走なんかしない二つの理由」について、これまで記事にしてきたことを考えると、その大嘘を告発しないわけにはいきません。統一球を信じていた選手、野球ファンの心境と自民党の政権公約を信じて投票した有権者、政権公約であるTPP不参加と原発公約違反について、説明も責任も取らないのです。こんな政党は「信用できない」ということではありませんか? 

石破幹事長「暴走なんかしない、理由は二つ」(2013年7月18日09時24分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2013/news2/20130718-OYT1T00219.htm

 自民・石破幹事長「『自民党が勝つと、また暴走する』という人がいますね。私たちは暴走族じゃない。暴走なんかしない。二つの理由がある。野党の時に謙虚で、親切で、常識のある自民党でなければならないと考えてきた。そして、公明党の皆さんと連立を組む限り、暴走するなんてことはあり得ないからだ」(埼玉県所沢市内での公明党候補の応援演説で)(引用ここまで 

公約説明に徹する高市・自民政調会長 (2013年7月18日11時52分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2013/news2/20130718-OYT1T00227.htm

経済団体幹部との会合に向かう高市政調会長(17日午後、福岡市中央区のホテルで)

 自民党の高市政調会長は17日、福岡市内のホテルで、九州経済連合会との政策懇談会に出席し、党の参院選公約を説明した。 この日で、公示後スタートした全国9経済団体への公約説明を終えた。 高市氏は懇談会後、「実体経済が良くなりつつあるという空気は感じてもらっている。一番興味を持たれたのは投資減税と法人税(減税)」と9団体を回った感想を語った。 高市氏は先月17日、「東京電力福島第一原発事故によって死亡者は出ていない」と発言し、党内外から批判を浴びた。参院選では地元・奈良県以外では街頭演説を行っていない。この点について、高市氏は「街頭演説には、党役員や閣僚らオールスターがそろっている。公約説明会は(政調会長の)私にしかできない」と強調した。(引用ここまで 

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高市発言を不問に付したまま、選挙を乗り切ろうとする自民党の姑息さ、経済団体には法人減税の説明に行くのに、国民には消費増税と福祉削減の説明しない!それを追及しないマスコミのハレンチさに、ホント!ムカツキ!ます。野球コミッショナーとどこが違うのでしょうか?両方の事件について、広島の少女の事件のように「系統的に」追及しないのはどうしてでしょうか?それでいて、「有権者は選挙に関心がない」「投票に行きましょう」などと高みの発言をするのです! 

さて、最後に、以下の三つの資料をご覧ください。

「強制・義務化しない」と言って国旗国歌法を正当化した自民党政権のウソバレバレ!国権の最高機関冒涜! 2013-07-01 15:04:01

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20130701

都教委の教育の条理に反する違法行為に意見表明できないニッポンをマスコミは何故問題にしないのか! 2013-07-01 14:48:17

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20130701

石破茂「軍法会議」発言文字起し2013-07-172013/4/21「週刊BS-TBS報道部」より
http://d.hatena.ne.jp/yuagfo1485/20130717/1374052352

石破「書いてあるんです、そういうですね、なんでもそこで秘密でやってしまうということはいたしません。それは基本的に人権に抵触するものですから。そういうことはいたしません。しかしながら、その審判所の目的はただ一つ、軍の規律を維持する、ということなのであってそのことに広げることをしてはいけません。もう一つは確かに上訴は認めてますが、そのことを審判するのに何年何年何年もかかるならば、規律の維持は極めて難しいので、そこの調整は計らなければなりません。そして、当然われわれが検証しなければいけないのは、帝国憲法下の軍事法廷はどうであったのかということの検証はきちんとしなければならないということだと・・・」(引用ここまで 

治安維持法の制定時の議会における若槻礼次郎内相の答弁より

(「治安維持法案議事速記録並委員会議録」一『現代史資料』みすず書房」

 現内閣は思想の研究について、圧迫的方針を採っているや否やといふ御間に対しては、決してさような考えはありません。言論文章の自由はとこまでも害せないやうにせなければならぬといふのは現内閣の心掛けておる所であります、唯々しかしこれには一定の制限があります。国体を破壊しても、経済組織の根本を破壊しても、言論文章は自由であるといふことでは国家の治安を保つことはできませぬ。…学者が研究の自由を持つことかできぬことになりはせぬかといふ御疑念であります(が)…この法律は無政府主義、共産主義を取締る法律であると言ってもよろしいのであります。…学者が研究した所が、その事の実行を目的として世の中にさういふ事を実現せしめんとして相談するのでない限りは決して本法案によって妨げられるものでないのでありますから、この点も明瞭に申上げて置きます。…世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。…かくのごときは甚しき誤解であります。…労働者にして無政府主義を唱ふるにあらざればかれらが労働運動をする上においてこの法律案に何の拘束も与へるむのでないのであります。(引用ここまで 

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石破幹事長の発言、「暴走しない理由」=「約束」=公約と若槻礼次郎内相の発言、似ていませんか?治安維持法を通過させるための「方便」「ウソ」「スリカエ」「デタラメ」と選挙で勝つための「ウソ」「スリカエ」「デタラメ」は同根です。この治安維持法が、その後の日本の社会にどのような影響を与えたか、一言で言えば、治安維持法によって人権と民主主義を抑圧・否定してはじめて戦争が可能になったのです。そうして国民を塗炭の苦しみに、アジアと欧米の諸国民を殺害したのです。このことを、今、確認しておく必要があります。 

次に、中澤俊輔『治安維持法 なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』(中公新書12年6月刊)より

…最後に、治安維持法の成立時における問題点を指摘しておきたい。第一に、文言はあまりに漠然としていた。確かに、起草者は文言の意味を限定しようとしたが、解釈は容易に書き換えられ、「国体変革」は融通無碍に拡大適用された。第二に、暴力や不法行為の実態がなくとも処罰の対象となることは、結社の自由な活動を萎縮させた。これは、学問や研究活動の領域にも治安維持法が及ぶことを意味した。第三に、そもそも治安維持法が成立した時点で、「国体変革」を目的とする結社は存在しなかった。そればかりではない。結社罪はすぐに深刻な欠陥を晒した。その結果、治安維持法は次第に、本来は対象外の宣伝へと適用を広げたのである。(略)

…ここでもう一度、治安維持法が一九二五年の加藤高明内閣で、「結社」取締法として成立したことを確認したい。天皇主権を建前とする明治憲法は、政党政治はおるか議院内間制すら保障していなかった。それでも一九二〇年代の政党は、治安維持法に頼ることなく、自分たちの政治的自由を確保することもできた。しかし三〇年代になって力を失った政党は、治安維持法の拡大を容認するのみならず、テロから身を守ろうとして同法に保護を求める有様だった。そして、四〇年代に政党が消滅した後には、治安維持法の膨張を抑えるものは誰もいなかった。政党政治にとって治安維持法は融通無碍で御しがたい「鬼子」だった。…現代社会においてまず尊重されるべきは、個人の言論であり、そのためには思想、出版、結社の自由はみな大切である。そして個人の言論を不当に抑圧することは方法を問わず許されない。そのような結社はやはり規制されるべきである。治安維持法の「悪法」としての歴史は、戦前の政党政治の全盛、衰退、消滅の歴史とも重なる。そして、自由と民主主義を守る上で何か必要かを、我々に遺してくれた。(引用ここまで 

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現段階では見えない自民党の改憲案と安倍総裁・石破幹事長、高市政調会長の発言が、どれくらい経てば具体的に見えるようになるでしょうか?そうならないためにも、これらの発言の意味を位置づけ、過去の教訓を踏まえておく必要があると思います。最後に、治安維持法を成立させた加藤護憲三派内閣について、以下の指摘をご確認ください。高市氏が国民の前には自民党のアベノミクス成長戦略の説明には行かず、財界に説明して回ったことを踏まえると、安倍自公政権の立ち居地が、いっそう鮮明になってきます。 

松尾洋『治安維持法と特高警察』(教育社新書79年4月刊)より

…清浦内閣は六月七日、ついに総辞職した。元老西園寺公望は、次期首班に憲政会総裁加藤高明を奏薦し、十一日、首相加藤のもとに、政友会総裁高橋是清を農相、革新倶楽部の犬養毅を逓相にすえ、「普選実施」を政綱にかかげる新内開か成立した。しかし、明治いらいの著名な政治評論家前田蓮山の『歴代内閣物語』(一九六一年、時事通信社)は、つぎのように書いている、―「世人はこの内閣を護憲三派内閣と呼んだけれども、加藤自身が公言したとおり、これは加藤内閣であり、加藤内閣というよりも、三菱財閥内閣であった。すなわち加藤と幣原(喜重郎、外相)は共に三菱の女婿であり、仙石貢(鉄道相)は三菱財閥の元老であり、浜口雄幸(蔵相)も三菱と同郷の土佐人で彼の政治資金はことごとく三菱から出ていた」

つまり、政治の舞台から藩閥が一歩後退し、財閥が政党を基礎に支配権を握ったのである。(引用ここまで

松尾洋『治安維持法と特高警察』(教育社新書79年4月刊)より

言論界の治維持法反対

 新聞もいっせいに、治安維持法案を批判した。『東京朝日新聞』は、早くから「治安維持法は過激思想取締の名目の下に、集会・結社に言論の自由を制限せんと企てている」と、「護憲三派の内閣が普通選挙法と並べて、此の如き治安維持法を出したる矛盾撞着」を非難していた。二月十四目付の同紙は社説「過激法案反対当時を顧みよ」をかかげ、「護憲内閣が治安維持法を出し、在野当時過激社会運動取締法案に絶対反対をとなえてこれを葬った憲政会が、この悪法を支持し、絶対的御用党として従来の主張を棄て去るうとすることは、何としてもゆるしがたいことである。治安維持法が過激社会運動取締法案と全く異なるごとく宣伝するものがあるも、これは両法案を比較すればただちにその本質的には何ら異ならざるを知るべく、かえって用語において不明確にして刑罰において重きを発見するのである。……護憲内閣が普選を議会に提出せざる前に、貴族院改革の案も決せざるうちに、かつて政友会内閣も通過をいさぎよしとしなかった法案、貴族院では再修正までしたくらいに異諭のあった法案を、さらに広汎に、さらに厳酷にして、これを臆面もなく国民の前に出すことは、逆に護憲内閣そのものの本質を国民に疑わしむるものとして反対する……」と論じた。(引用ここまで 

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「大正デモクラシー」運動を反映した当時のマスコミは、制約があるものの、まだ健全だったのでしょうか?「集会・結社に言論の自由を制限せんと企てている」と明確に「反対」を表明しているのです。では、今日はどうでしょうか?

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石破自民幹事長は国家命令から逃げたいという人間の本性を死刑で脅して貫徹させるトンデモ思想を吐露!

2013-07-20 | 日記

石破自民党幹事長のホンネについて、先に述べました。もう一つの擁護論について、以下検証してみます。以下の文章です。 

【政治】石破幹事長の「戦争に行かない人は死刑」発言の真相 2013-07-18

http://newscomp.hatenadiary.jp/entry/2013/07/18/073936

ポイントは、以下のとおりです。

1.すでに述べたように、石破発言は、国防軍か、徴兵軍か、どうかは問題ではなく、問題は、兵士の命令に対する絶対服従か、不服従を認めるかどうかという問題です。今、自衛隊においてすら、憲法遵守を宣誓しているのですから、憲法に規定された基本的人権は、自衛隊員にも適用されることは当然のことです。しかし、現行自衛隊法やその関連法、更に国家・地方公務員法などは、「上官」「上司」の「命令」に服従を要求しています。 

これは政令201号の押し付けと、戦前の「軍人勅諭 」「戦陣訓」思想の残滓です。もう一つは、自民党の改憲案にも明記されているように、大日本帝国憲法の「第2章 臣民権利義務」に明記された「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」論・「法律ノ範囲内ニ於テ」論に、その源流があります。国民の権利より国家を優先させる思想です。これが、あの96条「改正」論にも結びつきました。 

2.石破氏は、「すでに自衛隊(国防軍)に入った人のみが対象」ということは認めているとしているのですから、国防軍になった際には、「軍事法廷の設置と、その最高刑として死刑もありうる、との見解を示し」たことを意味しており、これこそ、大問題と言えます。自衛隊員とその家族の方々は、参議院選挙で改憲派が多数になり、石破氏の見解、自民党の改憲案と解説に基づく改憲案が国民投票で成立した場合、どのように判断するのでしょうか? 

3.しかも、国防軍となった自衛隊員=軍人に対して、「人間ってやっぱり死にたくないし、ケガもしたくないし、『これは国家の独立を守るためだ、出動せよ』って言われた時、死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人は、いないという保証はどこにもない。だからその時に、それに従え、それに従わなければその国で起きる最高刑…そんな(死刑がある国には死刑無期懲役なら無期懲役懲役300年なら300年)目に会うくらいだったら出動命令に従おうっていう」トンデモ思想=人間の本性論、死刑という脅しで、すなわち死刑か戦死かの選択を迫り、命令を貫徹させようという思想を披露してしまったのです。 

これこそ、「死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」とした軍人勅諭 思想。「不精に亘(わた)る勿かりしか(最後まで十分に取り組んだか) とした「五省」、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」とした「戦陣訓」、神風特攻を迫った思想と同じ思想と言わなければなりません。 

4.次は、「それ(軍法会議の設置)は兵役拒否に対する罰則強化という意味ではない」「軍法会議とはあくまで軍の内部での命令系統維持のため」「一般市民に対しては何ら効果を発揮するものではない」かどうかについて、ですが、これも全くのデタラメ、スリカエ・イイワケです。歴史を検証すれば判ることです。例えば、以下を診れば明瞭です。

憲兵 (日本軍)

…陸軍軍人軍属違警罪処分例[19]により、陸軍の軍人・軍属の犯した違警罪は憲兵部(憲兵部が置かれていない地では警察署)で処分できたこともあり、一般兵にとっては、監軍護法のため何かとやかましい事を言う「目の上の」的存在であり、またその職務上から高圧的態度をとる憲兵もいたため、イメージは良くなかった。

他方、憲兵は、司法警察権も掌ることから、治安警察法及び治安維持法等を、一般警察同様に一般国民に対しても適用する立場であり、次第に反戦思想取締りなど、国民の思想弾圧にまで及ぶこととなった。(引用ここまで) 

しかも、いったん制度がつくられれば、いとも簡単に約束を破るというのが、自民党政権です。すでに前科があります。 

一つは、強制はしないとして成立させた日の丸君が代の国旗国歌法化です。二つ目は、自民党の先輩たちが共産主義者だけに適用するなどとゴマカシて制定した治安維持法です。この二つの事実をみれば、如何にウソツキか、判ります。 

これについては、以下を見れば明瞭です。別項で記事にします。

松尾洋『治安維持法と特高警察』(教育社新書79年4月刊)

中澤俊輔『治安維持法 なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』(中公新書12年月刊) 

5.「国防軍の設置…は『戦争をしないため』でもある…強力な軍隊がある、だから周辺国は攻めてこない、結果戦争には発展しない、という戦略的な意味」論のマチガイとオカシサ!について

(1)「戦争をしないため」の軍隊というのであれば、憲法9条に基づく軍事的対話路線を徹底すれば良いのです。何故、ベトナム・イラク・アフガン戦争に協力した日米軍事同盟を結ぶ必要があるのでしょうか?

(2)軍隊とは戦争をすることを前提にして軍備の編成をしているのです。国家は戦争目的をハッキリさせないのであれば、税金の無駄遣いということになります。戦争をしないための軍隊は「張り子の虎」「獲物を取らない動物園のライオン」ということになります。このことは、以下の大江志乃夫『徴兵制』(岩波新書81年11月刊)を見れば明瞭です。 

国家と軍備

「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」という、クラウゼウィッツの定義は、現在でも生きている。戦争は政治の手段である。軍備すなわち軍事力は、それが実際に行使されることつまり戦争を予定してのみ存在しうる。軍事力の戦争抑止効果などといっても、戦争を予定しない軍事力には抑止力はない。戦争がクラウゼウッツのいう政治、厳密にいえば国家が国際社会において貫徹しようとする政治目的、つまり国家目的の手段であるならば、戦争の道具である軍備のあり方はその国の国家目的によって規定される。すなわち、軍備を持つか持たないか、軍備を持つとすればその形態と規模をどうするかという問題は、国家目的を貫徹するための方式に関する問題である。

 現在の目本の国家目的は憲法の前文および第九条第一項前段に明示されている。この明示された国家目的を貫徹するためには、いっさいの軍備を持たないという立場をもふくめて、日本の軍備のあり方はいかにあるべきかを検討するというのが、現在の日本の防衛論のあり方でなければならない。もっとも、憲法に明示された国家目的そのものに反対である立場から展開される防衛論という名の軍備強化論もありうるし、現に存在している。そういう立場から軍備強化論を主張する論者は、まず、明示されている国家目的に代わるいかなる国家目的を設定しようとしているのかを具体的に提示すべき義務がある。そのうえでさらに、その国家目的を貫徹するためにどのような軍事目的を追求するのか、その軍事目的追求のためにどのような軍事目標を設定するのか、その軍事目標を達成するためにどのような形態と規模の軍備を必要とするのかを、理論的な体系として提示する責任かある。(引用ここまで) 

(3)「永世中立国であるスイスは強力な軍隊を持つことで中立を維持…軍隊を持たないから中立国でいられたわけではない」論についても、スイスの「強力な軍隊」とはどのような軍隊編成であったか、全く述べていません。アメリカも「強力な軍隊」を持っているので中立を維持できたのでしょうか?防衛できたのでしょうか?全く論理も事実もオカシイ話です。 

これはいじめ似合わないようにするためには、強靭な体力を持っていることが必要不可欠だと言っているようなものです。或いは護身術を身につけないからいじめられるのだと言っているようなものです。しかも現代社会が、いわゆる宣戦布告による国家間「戦争」がどれくらいあるか、地域・国家案紛争の非軍事的対話路線の拡大全く想定外においているのです。 

6.そもそも、『事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる』っていう誓い」にもとづいて、「『これは国家の独立の為だ、出動せよ』と言われた時」と言いますが、「事」や「国家の独立」など、非常に曖昧な言葉が躍っているのは問題です。 

戦闘に出動する自衛隊員・軍人の「銃後」の日本国内はどうでしょうか?一部政治家の挑発的言動によって「事」が引き起こされている現実や日本の国内法を無視した米兵やアメリカの横暴などを不問に付したまま、中国・北朝鮮との交流を抜きに、危機感だけを煽り「抑止力」論のみで「国家の独立」の「危機」などと言えるのでしょうか?こうした「事態」を無視して、自衛隊員・軍人に、一方的に、命令によって、「死刑」という罰則を強制することで、戦死乃至負傷を負わせていこうとしているのです。 

7.「それにしても4月に放送した番組の発言を今になって大きく取り上げるというのもいただけない報道の仕方」であることは事実です。もっと早く議論をすべきでした。「明らかに参院選に向けた自民党のネガティブキャンペーンととられてもおかしくない報道」かどうか、それは違うでしょう。本当は徴兵制まで視野に入れた改憲案を提示したかったのに、世論の反発を怖れたこと、96条改憲論に対する国民的反撃を怖れた自民党の争点隠しこそ、問題でしょう! 

つづく

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やっぱり石破発言は国家の命令に従わない人間は死刑を課す!個より公を優先する自民党改憲思想にあり!

2013-07-20 | 日記

自民党石破幹事長の発言を検証してみます。 

j-castについて

1.「自衛隊(国防軍)に入った人のみが対象」論の誤りについて、です。

(1)まず第一に、自民党の「改正草案Q&A」(以下パンフと略)には、石破氏のいうように軍隊にとって最も大切な「命令違反」については、全く触れられていません。ここにゴマカシ思想が透けてみえてきます。以下をご覧ください。 

パンフ 9 条の2 第5 項に、軍事審判所の規定を置き、軍人等が職務の遂行上犯罪を犯したり、軍の秘密を漏洩したときの処罰について、通常の裁判所ではなく、国防軍に置かれる軍事審判所で裁かれるものとしました。審判所とは、いわゆる軍法会議のことです。軍事上の行為に関する裁判は、軍事機密を保護する必要があり、また、迅速な実施がまれることに鑑みて、このような審判所の設置を規定しました。具体的なことは法律で定めることになりますが、裁判官や検察、弁護側も、主に軍人の中から選ばれることが想定されます。なお、審判所の審判に対しては、裁判所に上訴することができます。諸外国の軍法会議の例を見ても、原則裁判所へ上訴することができることとされています。この軍事審判を一審制とするのか、二審制とするのかは、立法政策によります。(引用ここまで 

(2)パンフでは、人権尊重主義は「西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」とあるように、国連の人権条約と人権規約などに明記されている世界の人権思想と規定の流れに逆行する思想が書かれています。このことを受けて、「個人の尊厳」より国家の利益を優艶する規定が見られます。このことは自衛隊員に何を要求しているか、明白です。自衛隊員が、国家の戦争に非協力・忌避を表明できる権利をどのように保障するか、「『反国家的な行動を取り締まる』ことを意図したものではありません」というのであれば、自衛隊員の人権尊重思想と規定を明記できるはずです。 

(3)そもそも、「公共の福祉」は、「その意味が曖昧で、分かりにくい」と言っていますが、トンデモありません!それは「現在、政府も裁判所も、『公共の福祉』のためであれば、いかなる基本的人権もある程度制約しうるという立場をとっている」(長谷川正安『日本の憲法』岩波新書・昭和42年11月刊)とあるように、かつては交通ストライキ権の行使や労働組合運動を制約する思想と政策して、この「公共の福祉」論が使われていました。このことは公務員に対して使われた「全体の奉仕者」論も同じでした。政令201号で憲法で保障された労働者としての権利を剥奪したことを想い起こせば明白です。 

パンフ 従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。(引用ここまで 

(4)しかし、そもそも「公共」「全体」の権利を奪ってきたものが、自民党政権であり、国家であることが明白になってきたことをうけて、国民の側が自民党政権に対して「公共の福祉」論をつかって反駁するようになったからこそ、今回のようなスリカエが起こったのです。全くのゴマカシです。このことは、以下の事実を指摘するだけで十分です。 

「安全神話」論でゴマカシ、多量の税金を湯水のように使ってきたゲンパツ被害によって、公共の福祉が破壊されたことは、そのことを何よりも証明しています。内部留保をシコタマ溜め込み、国民の懐を寒くしていることも、公共の福祉に反していますし、何より、財産権は、「これを侵してはならない」「内容は、公共の福祉に適合するように法律で定める」「正当な補償の下に、これを公共の福祉のために用いることができる」とあるように、一方で非正規労働によるワーキングプアを増幅させ多国籍企業・大企業の利益を蓄えて放置し、奉仕してきた自民党政権・自公政権の憲法違反は明白です。

(5)百歩譲って、「徴兵制には言及していないから、自衛隊員のみに適用するのだから、見当違いだ」とする論が正しいとしても、この論法は全くの見当違いでしょう。問題は国民の人権を尊重するかどうか、なのです。徴兵制軍隊か、国防軍隊かどうか、などの問題では無いのです。 

2.自民党が徴兵制を考えていないというゴマカシについて

因みに、自民党は、改憲案で徴兵制は言及していませんが、パンフでは、以下のように述べています。 

パンフ…党内議論の中では、「国民の『国を守る義務』について規定すべきではないか。」という意見が多く出されました。しかし、仮にそうした規定を置いたときに「国を守る義務」の具体的な内容として、徴兵制について問われることになるので、憲法上規定を置くことは困難であると考えました。そこで、前文において「国を自ら守る」と抽象的に規定するとともに、9条の3として、国が「国民と協力して」領土等を守ることを規定したところです。領土等を守ることは、単に地理的な国土を保全することだけでなく、我が国の主権と独立を守ること、さらには国民一人一人の生命と財産を守ることにもつながるものなのです。(引用ここまで 

この解説については、以下の指摘があります。

自民党憲法草案の条文解説  http://satlaws.web.fc2.com/0140.html

…「問われることになる」との文言の意図が明確ではありませんが、2通りの読み方を指摘しておきます。ひとつは、国民の国防義務を明確に書きたいけれども、徴兵制をやれるようにしたいわけではないので書けない、という読み方です。もうひとつは、徴兵制について正面から争点になってしまうのは不都合であるので、憲法には明記せず、もし必要なときがくれば法律で徴兵できるような曖昧な条文にしておく、という読み方です。(引用ここまで 

本当は、「徴兵制を言及したい」というのが自民党のホンネであり、自民党幹事長石破氏は、こうした議論を受けて、テレビでホンネを語ったのではないでしょうか?しかも、自主的国防軍に戦死者=死人が続出した場合、或いは戦争が長期戦になった場合、どのように補充するか、現行の自衛隊のみで可能でしょうか?軍事費の捻出はどうするのか? 

ありとあらゆる手段をとって補充しなければなりません。その際の訓練についても、同様です。現在の教育制度と若者の実態からすると、どうでしょうか?徴兵制にははっきり反対を明言している石破氏のいうように、「玉石混交」の人材を集めることは不可能に近いのかもしれません。 

しかし、では、自主的国防軍はどうするのでしょうか?編成は?石破氏の論法からすると、「複雑かつ精密なコンピューターの塊のような装備・システムで運用され」た装備と兵士で戦争をすることになります。まさにバーチャル世界の戦争ゲームとなります。ここに石破氏の戦争観が浮き彫りになります。 

ところが、ハイテクを最も深化させたアメリカはどうでしょうか?軍隊の規律はどうでしょうか?そのアメリカは橋下氏に「風俗の利用を」言わしめたアメリカ海兵隊を見れば明瞭です。そのアメリカの戦争に一体的に協力するために集団的自衛権を行使し、アメリカと一緒になった世界各地で戦争をしようとしている自民党です。ということは、将来は、徴兵制を具体化したいとこうこと、だからこそ、「『そんな目に遭うくらいだったらば、出動命令に従おう』という(ようになる)」と思わせるために命令違反者に懲罰を課していくのではないでしょうか? 

その懲罰については、

現行憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」を以下のように改憲しようといています。 

第18条(身体の拘束及び苦役からの自由)
1 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない
2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。(引用ここまで 

とあります。徴兵制が「苦役」にあたるとの見解を見透かしたスリカエです。そのことは、以下の条文にも明らかにされています。 

第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない 

3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。(引用ここまで 

国民は、「常に公益及び公の秩序に反してはならない」とあり、軍人・公務員が「職務の実施に伴う罪」「国防軍の機密に関する罪」を「犯した場合」は「法律の定めるところにより」裁かれるとあります。これは一貫して、個人の尊厳の上に「公」「公益」、すなわち国家と優先させるものです。その国家とは何か、日米軍事同盟・多国籍企業・大企業奉仕思想に彩られた国家です。 

3.次は、軍隊を持つ大半の諸外国では、なんらかの形で軍法会議を設置している国が大半で、罰として死刑など刑法上の最高刑を科している国は少なくない」論はゴマカシについて、です。 

世界の趨勢は忌避者尊重です。徴兵制施行国は本当に多数派でしょうか?以下をご覧ください。 

日本以外に、徴兵制のない国を教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋

今現在兵役義務がある国はどこの国でしょうか? - Yahoo!知恵袋

徴兵制度 - Wikipedia

冷戦終結後は、フランスドイツスウェーデンのように徴兵制度を廃止する国が増えつつあり、また、実施している国でも良心的兵役拒否を導入している場合が大半である。しかし、永世中立を掲げるスイスオーストリアでは国民投票で徴兵制の廃止が否決されるなど制度を堅持する国も存在する。有事の際にかぎり徴兵制を認めている国もあり、常備軍を持たないコスタリカでは、有事の際に徴兵制を実施できることが憲法に明記されている。(引用ここまで

大韓民国国軍 - Wikipedia

敵前逃亡 - Wikipedia

世界の死刑制度の現状 - Wikipedia

死刑 - Wikipedia

従軍を拒否したら懲役300年か死刑になることが判明しましたがこれ  

4.非人道的命令・人権否定の命令に対して不服従が認められている!

「命令」について、何が何でも従わなければならないか、と言えば、必ずしもそうではありません。自衛隊法についても、憲法遵守規定があるのです。ここに最大の矛盾があります。憲法違反の自衛隊が、憲法の遵守を宣誓するのです。以下をご覧ください。

講演会「軍人の抗命権・抗命義務 ―イラク戦争への加担を拒否した連邦軍少佐に聞く―」2009年3月23日

http://www.jicl.jp/jimukyoku/backnumber/20090323.html

服務の宣誓

自衛隊法施行規則  

軍事組織における指揮命令関係の課題――わが国 - 防衛省防衛研究所 - [PDF]

(1)指揮権と服従義務

ア ドイツ

指揮には、①軍事的目的を持つこと、②非合法なものではないこと、③国際法の基本的ルールに反するものではないこと、が求められる28。

兵士は命令に従う義務があるが、①兵士の人間的尊厳を侵害するか、②軍事的目的が与えられていないか、③犯罪行為を命ずることになる指揮にはしたがわなくて良い。このような指揮にしたがった場合、その命令を行うことにより犯罪を犯すことになってしまうことになると知り得るか、又は、そのことが明らかな場合には、兵士は刑法上の責任を問われる。命令の合法性と服従義務は一致しない。原則として、指揮には拘束性があるものと推定されるので、兵士は命令にしたがう際の危険を免れることができる。兵士には命令の合法性を吟味する義務はないが、指揮が犯罪行為を命ずるものであれば、兵士は命令に服従してはならない29。

こうした指揮命令関係の内容に対しては、次のような事項が指摘されている。

1、人間的尊厳の概念は法律用語としてはあいまいなもので、特定の環境に依存し、社会の発展に伴って変化する。憲法上、人は個人としてばかりではなく、その人が生活し一定の義務を負っている社会の一部として捉えられるべきである。人間は、その人を単なる物におとしめるような方法で取り扱われてはならない。兵士をからかったり、その人に払われるべき敬意を減じるような方法で行動することを強いることは、兵士の人間的尊厳を侵害する。第3 者の人間的尊厳を侵害する指揮もまた、拘束力がない30。

2、軍事的目的は、軍隊の公式の任務を遂行するために必要な全てのことに帰する。私的な行為に影響を及ぼすことを目的とする場合、又は私的な目的を果たすための場合は、命令は軍事的目的の遂行のために与えられたものとは言えない。これは、指揮が軍事的任務に関係しないか、兵士に私的な財政的手段を用いることを強いる場合である31。

3、兵士は実施が不可能なことを要求する指揮にはしたがう必要はない。また、不法な苦難を意味するような指揮も拘束力はない。例えば、平時に兵士に生命の危険を冒すようなことを求める指揮をすることは、兵士の人間的側面を侵害することになり、「比例の原則」を逸脱している。同様に制限を課されるべきでない基本権を侵害する命令も拘束力がない32。

4、兵士のための特別刑事法や新しい国際犯罪法を含む他の特別法ばかりではなく、一般刑法により犯罪とされる行為を行うことを求めることは、犯罪を命ずる指揮である33。

以上の指揮はいずれも非合法なものであるが、その他のものは、全て、原則として拘束力がある。上位者は非合法な命令を与える権限はないけれども、単純な非合法性が認められるに過ぎない場合は、兵士は命令に従わなければならない34。(引用ここまで) 

5.j-castが指摘した石破氏弁護論の箇所について

…自衛隊にもいざとなると「出撃拒否」が起こる可能性があると話す。そしてこうした事態を防ぎ、自衛隊の規律を維持するためには、軍法会議設置による命令違反への厳罰化が必要だと説く。…確かに石破幹事長は、軍事法廷の設置と、その最高刑として死刑もありうる、との見解を示している。ただし一部の人々が誤解しているように、これは「兵役拒否=死刑」という話ではない。すでに自衛隊(国防軍)に入った人のみが対象だ。ちなみに石破幹事長は、2010年のブログで、自衛隊がいずれも「複雑かつ精密なコンピューターの塊のような装備・システムで運用されて」いることなどを理由に、「玉石混交」の人材を集める徴兵制にははっきり反対を明言している。…また軍隊を持つ大半の諸外国では、なんらかの形で軍法会議を設置している国が大半で、罰として死刑など刑法上の最高刑を科している国は少なくない。

防衛省防衛研究所の奥平穣治氏が記すところによれば、たとえば「敵前逃亡」は米陸軍では「最高で死刑」、「命令拒否・不服従」や「部隊不法指揮」「秘密漏洩」なども戦時中は死刑の対象となりうる(ただし適用例は第二次大戦以来ない)。英、独など死刑制度が廃止されている国でも、石破幹事長の言うようにそれ相応の厳しい刑罰が設けられており、それと比べれば、日本の自衛隊の刑罰は「全般的に、主要国の軍(刑)法より軽い傾向がある」という(「防衛司法制度検討の現代的意義」より、2011年1月)。「軍法会議」の設置には賛否両論があるが、石破幹事長の発言はこうした議論を踏まえたもののようだ。(引用ここまで) 

つづく

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またしても「非自民」と偽りの枠組みで世論を逸らす産経、日米軍事同盟・財界信奉者の思想浮き彫り!

2013-07-20 | 日記

以下の産経の記事をご覧ください。ここに来て、安倍自公政権の支持率が低下してきて、ひょっとすると、安定過半数が危ないかもしれないという「危機感」が透けて見えてきました。現在の局面で世論の動向を誘導していく反動的メディアを検証しておきます。 

ポイントは、以下のとおりです。

1.まず現局面で「非自民」などという言葉を強調する意味が判りません。「非自民勢力の結集失敗で足の引っ張り合いが激化し、自民党を利する展開になっているという現実」ではなく「自民党との対立軸」を鮮明にしている共産党を、あの民主やみんな、そして維新を煽った時のように、煽らないという「現実」こそ、問われなければならないのではないでしょうか? 

2.「自民党に対抗するには、もはや野党再編は避けられない。だが、参院選でシコリが残るのは確実だ。党利党略か野党再編か-」という認識も、「自民党に対抗する」中身が問われていません。 

暮らしの問題・社会福祉などでは、消費税・非正規問題・財源問題について、大儲けしている多国籍企業・大企業の内部留保をそのままにしながら、減税でさらに優遇するのか、それとも応分負担を求めるか、 

安全保障・外交では、憲法9条を活かした対話路線を徹底していくのか、それとも緊張を高めて税金を増やし、さらには貿易の利益・観光利益を縮小していくのか、 

更に更には、国民の暮らしを破壊・縮小して、ますます経済を失速させ、企業を海外に移し、あのデトロイトのように、日本国家を陥れるのか、それとも憲法25条の国家の責任・9条を活かした平和的国家つくるか、など、対立軸を国民の前に正々堂々示し、国民の判断に委ねるのか、そのことが、最も民主主義的であることは明瞭です。だからこそマスコミに鋭く問われているのです。 

しかし、自民党は、中央と地方の二枚舌政策・TPPのように政権公約違反を使い分け、あの民主党のように選挙戦をたたかっています。しかも争点を隠し、曖昧にしているのです。マスコミも、そのことを、あの民主党の時のように鋭く追及していません。産経はどうでしょうか?検証してみるべきです。 

3.「旧来型の自民党政治を打ち破ってほしいという声を感じる。残念ながら、みんなと維新ですくい上げていない。改革を求める国民の声をすくい上げないといけない」論もゴマカシです。「旧来型の自民党政治」とは何でしょうか?維新こそ、その補完勢力です。みんなも同じです。 

政権交代可能な二大政党政治という枠組みの破綻が、民主党の自民党化で明らかになり、今度は維新・みんなも同様の色合いが浮き彫りになりましたが、まさに「旧来型の自民党政治をうちやぶってほしいという声」を尊重するのであれば、日米軍事同盟容認・財界利益擁護からの脱却しかありません。 

ところが、維新もみんなも、安倍自公政権の路線を過激な言葉を駆使して、どこかの国のように挑発言動を繰り返し、国民の不満をスリカエ、「急進的」「反動的」にアベノミクス成長戦略と憲法改悪を推進しようとする勢力です。マスコミも、その点では、真っ向対峙勢力を無視し、国民的議論の喚起をサボるという点では、基本的には同罪です。 

あの国の挑発的言動が、国民向けであると同時に日米韓国民に向けたものであることを考える時、日本国内の安倍氏や石原・橋下氏、渡辺氏などの挑発的言動が、誰に向けたパフォーマンスであるか、明瞭です。それを伝えるマスコミの意図も明白です。全く逆の立ち居地にいるようで、言っていること、やっていることは同じなのです。互いに政権と体制温存という点では補完しあっているのです。ここを見破ることが必要です。 

4.細川新党を軸にした非自民・非共産政権という、すでに破綻した枠組みで明らかなように、また政権交代可能な二大政党政治で破綻したように、「各党が分裂しない限り、現実味を帯びそうもない野党再編。非自民勢力結集の展望は見えてこない」という論法と手法に固執する産経の意図は、日米軍事同盟廃棄・財界擁護・憲法活かす派の大結集をイデオロギー的に曖昧にさせるもの、ゴマカス・スリカエるものです。 

5.ここに現局面における争点が、逆に浮かび上がってきます。あと一日で、どこまで、国民的合意にまで高めることができるか、です。 

6.それにしても、このような産経の「野党再編」論、毎日の松田氏の「野党各党は自民党との違いを鮮明にし、政権構想を探求すべきだ」(「社説・視点」7月17日付)論をみると、亡国内閣の暴走を許さないための向こう4年間の「暫定救国国民的連合政権構想」論の提唱は急務です。これが選挙戦で提唱されていたのであれば、これで選挙戦が論争されていたのであれば、「旧来型の自民党政治を打ち破ってほしいという声」に応えるものとなったことは明らかです。これは政党の枠組みを超えた、国民が主人公の、亡国内閣と政治を打ち破るという一点共闘型の政権構想論だからです。 

それでは、記事を掲載しておきます。ご覧ください。 

参院選】非自民、結集失敗 「戦後」の野党再編にも残るしこり 2013.7.16 07:24 (1/2ページ)参院選2013

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130716/stt13071607250000-n1.htm

 民主党やみんなの党、日本維新の会など野党の視線は「参院選後」に移りつつある。産経新聞社とFNNの合同世論調査で明らかになったのは、非自民勢力の結集失敗で足の引っ張り合いが激化し、自民党を利する展開になっているという現実だ。自民党に対抗するには、もはや野党再編は避けられない。だが、参院選でシコリが残るのは確実だ。党利党略か野党再編か-。参院選後、その選択を迫られることになる。 野党再編の必要性を今、痛切に感じているのは維新に違いない。 維新は労働組合がバックにつく民主党にかねて不信感を抱いており、その空気を感じ取った民主党は4月の段階で連携しない方針を決定。みんなの党は維新の橋下徹共同代表の慰安婦発言で選挙協力を白紙にした。孤立した維新が選挙区で勝てそうなのは、大阪(改選数4)、兵庫(改選数2)程度で、昨年末の衆院選で見せた勢いはない。 このため、橋下氏は14日のNHK番組で「旧来型の自民党政治を打ち破ってほしいという声を感じる。残念ながら、みんなと維新ですくい上げていない。改革を求める国民の声をすくい上げないといけない」とみんなに秋波を送った。 これに対し、みんなの江田憲司幹事長は規制改革をめぐり「(維新の考え方と)一致している」と連携に前向きな姿勢を表明。だが、そこに立ちはだかるのは、維新に対抗意識をむき出しにするみんなの渡辺喜美代表の壁だ。 渡辺氏の他の野党に対する攻撃的な姿勢は筋金入りで、14日に埼玉県越谷市内で行った街頭演説では「民主党は日本からなくなってもらって結構だ」とまで言い切った。埼玉(改選数3)で民主候補と接戦を繰り広げているとはいえ、渡辺氏の発言は参院選後も尾を引きそうだ。 一方、民主党は昨年末に海江田万里氏が代表に就任して以降、リベラル色を強めており、対立軸を明確にするため保守色の強い維新に牙を向けている。細野豪志幹事長が15日、3回目の大阪入りを果たしたのはその証左でもある。党内に野党結集の必要性に言及する議員は少なくないが、「党名は残すべきだ」(閣僚経験者)との声も根強い。 総論賛成、各論反対-。各党が分裂しない限り、現実味を帯びそうもない野党再編。非自民勢力結集の展望は見えてこない。(坂井広志)(引用ここまで

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石破自民幹事長軍法会議死刑発言擁護の意見と東京の記事について、何故マスコミは議論させないか!大喝!

2013-07-20 | 日記

この東京新聞の特報記事について、以下のような疑問や反論の記事がありましたので、掲載します。 

【政治】石破幹事長の「戦争に行かない人は死刑」発言の真相  2013-07-18

http://newscomp.hatenadiary.jp/entry/2013/07/18/073936

政治

東京新聞の7月15日付朝刊に“平和憲法に真っ向背反 石破幹事長の「軍法会議設置」発言”と題する記事が掲載されました。ネットに広く出回っており、自民党による日本の軍事国家化なのではないか、と憶測をよんでいるようです。

自民党は同党の改憲草案で、憲法九条を変更して自衛隊を「国防軍」にすることを掲げた。それに伴い、国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている軍法会議(軍事法廷)の設置を盛り込んでいる。防衛相の経験もある同党の石破茂幹事長は四月に出演したテレビ番組で、審判所設置に強い意気込みを見せた。「死刑」「懲役三百年」など不穏な単語も飛び出した石破氏の発言とは-。

東京新聞

東京新聞の記事によると、石破幹事長は現行憲法では設置の認められていない「審判所」いわゆる軍法会議の設置を強く求めている、とのこと。憲法9条の改正にともない、自衛隊が国防軍になったあかつきには、審判所を設置し、命令に従わない隊員に対して最高で死刑もしくは300年の禁固刑もありうる、と発言したとしています。

『これは国家の独立の為だ、出動せよ』と言われた時に、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。そんな目に逢うなら出動しようかと。人を信じないのか、と言われるけど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない。

東京新聞

この発言をもって、「戦争に従軍しない人、つまり兵役拒否した人も死刑か懲役300年になる」と強く批判している方が多々いらっしゃいます。

果たして本当にそうなのか?どうも疑問が残るところです。というのも、石破氏は確かに国防軍設置には賛成していますが、徴兵制には反対しているからです。

一方で徴兵制導入への反対を主張しているのは、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいという理由による。

Wikipedia石破茂”)

このように、現代兵器は高度にハイテク化されており、訓練の乏しい民間人をいきなり戦闘員にしたからといって、戦地では役に立たずかえってデメリットになる、として徴兵制に反対しています。もちろん「人道的な理由からの反対ではない!」という批判もありそうですが、殺すか殺されるかの現場に足手まといの民間人を投入しようという方がよっぽど非人道的です。

さて、この東京新聞の記事、本当なのでしょうか?

調べてみたところ、どうやら東京新聞の拡大解釈、歪曲解釈が入っているのではないか、という指摘があちこちにみられました。そのなかでも大きく取り扱っていたJ-CASTニュースから一部引用します。

確かに石破幹事長は、軍事法廷の設置と、その最高刑として死刑もありうる、との見解を示している。ただし一部の人々が誤解しているように、これは「兵役拒否=死刑」という話ではない。すでに自衛隊(国防軍)に入った人のみが対象だ。
ちなみに石破幹事長は、2010年のブログで、自衛隊がいずれも「複雑かつ精密なコンピューターの塊のような装備・システムで運用されて」いることなどを理由に、「玉石混交」の人材を集める徴兵制にははっきり反対を明言している。

(J-CASTニュース)

J-CASTニュースは、たしかに石破氏は軍法会議の設置を考えていることを認めていますが、一方でそれは兵役拒否に対する罰則強化という意味ではない、ということを指摘しています。軍法会議とはあくまで軍の内部での命令系統維持のためであり、一般市民に対しては何ら効果を発揮するものではない、ということです。

民間企業でも命令に従わなければ何らかの罰則は在りますし、それが著しい場合は「特別背任罪」に問われることになります。石破氏の語った罰則に比べるとだいぶ軽いものではありますが。

ちなみに、私個人としては国防軍の設置に賛成です。周辺国が軍事的圧力を強めてくるなか、日本だけが丸腰でいるのは「侵略してくれ」といっているようなものだからです。自分の身は自分で守れるようにならないといけない。

国防軍の設置が「日本が侵略戦争をしかける国になる」から反対という方がいらっしゃいます。それにも一理あるとは思います。一方で軍の設置は「戦争をしないため」でもあるのだと私は考えます。強力な軍隊がある、だから周辺国は攻めてこない、結果戦争には発展しない、という戦略的な意味があります(「戦略」とは「戦うことを省略する」、つまりなるべく戦わないようにする、ということです)。永世中立国であるスイスは強力な軍隊を持つことで中立を維持してきました。軍隊を持たないから中立国でいられたわけではないのです。

それにしても4月に放送した番組の発言を今になって大きく取り上げるというのもいただけない報道の仕方ですね。明らかに参院選に向けた自民党のネガティブキャンペーンととられてもおかしくない報道です。(引用ここまで) 

「戦争に行かない人は、死刑にする」 石破幹事長はこんなバカな発言をしたのか  2013/7/17 18:12

http://www.j-cast.com/2013/07/17179579.html?p=1

自民党の石破茂幹事長が、「戦争に行かない人は、死刑にする」と発言――参院選も後半にさしかかる中、新聞の報道をきっかけに、こんな情報が飛び交い始めた。「徴兵逃れには死刑か懲役300年という話、本当に怖い。選挙でねじれがなくなったら一体どうなるのか?」「徴兵されて戦死したくない若者は選挙に行って自民党を潰すしかないよ」などと、一部有権者は蜂の巣を突いたような騒ぎだ。実は、石破幹事長はそんな短絡的な発言はしていない。どうしてこんな話になったのか。

7年以下の懲役・禁錮では甘すぎると主張

発端となったのは、東京新聞の2013年7月15日付朝刊だ。「石破自民幹事長もくろむ『軍法会議』」「平和憲法に真っ向背反」 連載「こちら特報部」のコーナーへ、いかにも軍靴の音が聞こえそうなおどろおどろしい見出しとともに掲載されたのは、石破幹事長の顔写真だ。記事は、テレビ番組「週刊BS-TBS編集部」で4月21日放映された石破幹事長のインタビューをいわば蒸し返す形で構成されている。石破幹事長はその中で、「国防軍に『審判所』という現行憲法では禁じられている軍法会議(軍事法廷)」の設置を強く主張、「死刑」「懲役300年」など不穏な単語を連発させたという。

実際に、問題のVTRを見てみよう。石破幹事長は自民党の代表者として、自民の改憲草案を、いつもの口調で解説していく。そして話題は「9条」にさしかかった。石破幹事長は憲法への自衛隊(国防軍)の明記を改めて強調した上で、改憲後の具体的な変更点として、「軍事裁判所的なもの」(自民草案では「審判所」)を設置すると解説する。ここから、問題の箇所だ。まずは、現状について、自衛隊員が一般法によって裁かれていることに触れ、その罰則が甘すぎると主張する。「今の自衛隊員の方々が、『私はそんな命令は聞きたくないのであります。私は今日を限りに自衛隊員を辞めるのであります』といわれたら、ああそうですか、という話になるのですよ。『私はそのような命令にはとてもではないが従えないのであります』といったら、目一杯行って懲役7年なんです(編注:自衛隊法の刑罰の上限は『7年以下の懲役・禁錮』)」「死刑になるくらいなら出撃しようということに…」

続けて、「これは気をつけて物を言わなければいけないんだけど」と前置きし、「人間ってやっぱり死にたくないし、ケガもしたくないし、『国家の独立を守るためだ! 出動せよ!』というときに、『でも行くと死ぬかもしれないし、行きたくないな』という人はいない、という保証はどこにもない」と、自衛隊にもいざとなると「出撃拒否」が起こる可能性があると話す。そしてこうした事態を防ぎ、自衛隊の規律を維持するためには、軍法会議設置による命令違反への厳罰化が必要だと説く。「だからそのときに、それに『従え! それに従わなければその国における最高刑である』――死刑がある国は死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年(と決まっていれば)――『そんな目に遭うくらいだったらば、出動命令に従おう』という(ようになる)」

確かに石破幹事長は、軍事法廷の設置と、その最高刑として死刑もありうる、との見解を示している。ただし一部の人々が誤解しているように、これは「兵役拒否=死刑」という話ではない。すでに自衛隊(国防軍)に入った人のみが対象だ。ちなみに石破幹事長は、2010年のブログで、自衛隊がいずれも「複雑かつ精密なコンピューターの塊のような装備・システムで運用されて」いることなどを理由に、「玉石混交」の人材を集める徴兵制にははっきり反対を明言している。

「敵前逃亡」は米陸軍では「最高で死刑」

また軍隊を持つ大半の諸外国では、なんらかの形で軍法会議を設置している国が大半で、罰として死刑など刑法上の最高刑を科している国は少なくない。防衛省防衛研究所の奥平穣治氏が記すところによれば、たとえば「敵前逃亡」は米陸軍では「最高で死刑」、「命令拒否・不服従」や「部隊不法指揮」「秘密漏洩」なども戦時中は死刑の対象となりうる(ただし適用例は第二次大戦以来ない)。英、独など死刑制度が廃止されている国でも、石破幹事長の言うようにそれ相応の厳しい刑罰が設けられており、それと比べれば、日本の自衛隊の刑罰は「全般的に、主要国の軍(刑)法より軽い傾向がある」という(「防衛司法制度検討の現代的意義」より、2011年1月)。「軍法会議」の設置には賛否両論があるが、石破幹事長の発言はこうした議論を踏まえたもののようだ。(引用ここまで) 

では、以上の二つの見解に対して、比較できるようにするために、以下のブログに掲載されていた東京の記事を掲載しておきます。 

平和憲法に真っ向背反 石破幹事長の「軍法会議設置」発言 (東京新聞「こちら特報部」 7月16日)

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9353.html

 自民党は同党の改憲草案で、憲法九条を変更して自衛隊を「国防軍」にすることを掲げた。それに伴い、国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている軍法会議(軍事法廷)の設置を盛り込んでいる。防衛相の経験もある同党の石破茂幹事長は四月に出演したテレビ番組で、審判所設置に強い意気込みを見せた。「死刑」「懲役三百年」など不穏な単語も飛び出した石破氏の発言とは-。 (小倉貞俊)

 「軍事法廷とは何か。すべて軍の規律を維持するためのものです」。四月二十一日放映の「週刊BS-TBS報道部」。憲法改正を問うというテーマで招かれた石破氏は持論を展開した。
 国防軍になると、具体的に何が変わるのかと問われた石破氏はまず、「(改憲草案に)軍事裁判所的なものを創設する規定がある」と述べた。
 改憲草案九条二の五項には「軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、国防軍に審判所を置く」とある。
 続けて石破氏は、現在の自衛隊で隊員が上官の命令に従わない場合は、自衛隊法で最高でも懲役七年が上限であることを説明し、こう語った。
 「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにもない。だから(国防軍になったときに)それに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役三百年なら三百年。そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じないのかと言われるけれど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」
 こうした重罰を科すために審判所は必要で、石破氏は「公開の法廷ではない」と付け加えた。
 自民党のホームページにある「日本国憲法改正草案Q&A」でも、国防軍審判所を「いわゆる軍法会議のこと」と説明、設置理由を「軍事機密を保護する必要があり、迅速な裁判の実施が望まれるため」と解説する。裁判官や検察、弁護側を軍人から選ぶことを想定。審判所が一審制か二審制なのかは「立法政策による」と記され、上訴ができるか否かは不透明だ。
 この発言について、山口大の纐纈(こうけつ)厚教授(歴史学)は「戦前の軍隊のあり方自体を否定することから戦後日本は出発し、現行憲法がつくられた。石破発言は平和国家日本のありようを根底から覆して、戦前と同様の軍事組織の立ち上げを意図している。歴史の教訓をほごにするもの」と話す。
 早稲田大の水島朝穂教授(憲法学)も「戦争体験世代の政治家にあった抑制は皆無。戦前の反省はどこへいったのか」と批判し、「審判所」という表現に注目する。
 「現行憲法も自民改憲草案も、七六条二項で『特別裁判所』の設置を禁じている。軍法会議はこの特別裁判所にあたるため、通常の行政機関を装った『審判所』という名にしたのではないか」
 軍法会議は現在も米英をはじめ、多くの国で制度が存在する。自国の軍人や軍属を裁くのが目的だが、戒厳下などでは民間人も対象になる。
 旧日本軍では陸海軍にそれぞれ置かれ、一審の場合には五人の裁判官のうち軍人四人、法曹資格を持つ文官一人(後に全員が軍人)で構成されていた。平時では公開されて被告の上訴権もあり、弁護人も付いたが、戦地や戒厳下で開かれる特設の軍法会議では、それらが認められなかった。
 「二・二六事件(一九三六年発生のクーデター未遂事件)では一審、非公開、弁護人なしの過酷な密室審理のもと、青年将校や民間人が密室審理のまま、銃殺刑になった」(纐纈教授)
 「戦場の軍法会議」の共著がある大阪経済法科大の北博昭客員教授(日本近代史)は「軍法会議の目的は軍隊を団結させ、組織を維持することにある。だから軍から裁判に干渉が入り、不当判決が起きるケースは少なくなかった」と語る。
 北教授が法曹資格を持つ当事者の裁判官から聞き取った不当判決の事例がある。フィリピンで一九四五年二月に開かれた軍法会議で、食料調達のため、部隊を抜け出した海軍の兵士が死刑になった。海軍刑法では交戦中の敵前逃亡罪は最高で死刑だが、このケースは戦闘中ではなかった。
 「この兵は英語が上手だったので、もし敵に捕まった際に軍の内情が知られないよう、見せしめに処刑されたようだ。裁判官は軍上層部から圧力を受けていたとみられ、『(兵には)かわいそうなことをした』と言っていた」(北教授)
 ちなみに自衛隊の内部問題への対処は、現状でも危うさがちらつく。
 航空自衛隊小松基地に所属していた池田久夫一等空尉(50)は二〇〇九年五月、「基地の情報が入ったUSBメモリーを盗んだ」という窃盗の容疑で、二十日間にわたり警務隊から取り調べを受け、自白を強要された。
 池田氏にはアリバイがあった。だが、それは黙殺され、警務隊は自白以外に証拠もないまま、金沢地検に書類送検。一〇年十月に不起訴の決定が出たものの、いまだ名誉回復はされていない。
 池田氏の支援団体は「当時の上司に意見したことで煙たがられており、ぬれぎぬを着せられたのでは」と推測する。
 自衛隊員の裁判に取り組んできた佐藤博文弁護士は「警務隊員も身分は自衛官で、上司の指示に従う立場。公平性、客観性が担保されていない」と言う。佐藤氏が担当した女性自衛官の事件では、強姦(ごうかん)未遂に匹敵する被害だったのに、それより軽微な強制わいせつで処理された。捜査に当たった警務隊員は女性に「上司の命令には逆らえない」と弁明したという。
 佐藤弁護士は「国防軍審判所ができれば、組織防衛のために原告の訴え自体が認められなかったり、人身御供にされたりする危険も生まれる」と案じる。「自衛隊員やその家族こそ九条によって人権を守られている」
 纐纈教授は「国防軍審判所ができたら、すでにある有事法制に加え、戦前の『国防保安法』『軍機保護法』のような法律が整備される可能性が出てくる」と指摘する。
 水島教授もこう訴えた。「法に基づいて判断する普通裁判所と違い、絶対的な上意下達のシステムの下、機密保持や軍の閉鎖的な論理が優先されかねない。戦前の恐怖支配の足音が聞こえる」
 <デスクメモ> 遠い昔、銃を手にした警官らが街をうろつく光景にファシズムを重ねた。でも、想像力を欠いていたと確信する。お笑い番組と監視カメラ、好戦的な政治家の暴言と無関心にあふれた日常。もうすでに一線を越えていないか。そういえば、故田中清玄氏は軍国主義はささいな弾みで戻ると警告していた。(牧)(引用ここまで)

つづく

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