憲法9条、日本国憲法の理念は、平和構築の手段として非暴力・不服従主義を掲げています。それは軍事的衝突を未然に防ぐために、積極的に行動することを前提としています。その積極的に行動するという意味はどのような内容をもっているか、今、日本国民の想像力が問われていると思います。
懐に強力な最新兵器を忍ばせておいて、脅しをかけて、対話をする。相手に舐められないため、にです。この「舐められる」感、相手に対する不信感と自分に対する自身の欠如が混在していることを反映した感情です。これは日常的に体験していることですから、ある意味説得力があります。
しかし、同時に、これでは、いつも緊張していなければならないために精神的に疲れます。いじめにあうかもしれないからと言って、武装させる学校があるでしょうか?学校でいじめられないために、武器を持たせる保護者がいるでしょうか?政府は、大人はどういう対応をしたでしょうか?世論は?ということを、国際社会に適用していく想像力です。使うのは!
いじめをなくために、子どものなかに、どのようなこころを育むか?どのようなルールを培うか?どのような人間関係を構築させるか?、その内容と方法こそ、多様に追求しなければならないと思います。しかし、それについては、極めて曖昧・不十分です。何故か、9条改憲論の旗手である「専守防衛思想」が邪魔をしているからです。
憲法記念日を国家的行事としてお祝いするなどということは、いっさいしていない、不思議な政府をいただいているからです。しかも、こうした不思議さについて、疑問持たない国民がいるからです。全く奇異な現象です。
それにしても、これらの感情・安心感は保険のようなものかもしれません。しかし、そこには、当事者意識は極めて不足していると思います。自分は最前線には立たないで、後方にいることができる、という安心感です。弾が飛んで来ないのですから。原発立地地域と恩恵を受ける電力消費地と同じ構造があります。
しかし、戦争をするための弾を生産するためには、また、もしかすると殺されるかもしれない、或いは負傷するかもしれない、足が、手が失われるかもしれない、という恐怖感に打ち勝つためには、ある種の装置が必要になってきます。そのレベルにおいては、国民的「協力」が必要です。
一つは増税。もう一つは、教育と脅しの法律が必要です。この脅しは石破氏発言が証明してくれました。教育については、慰安婦問題や南京虐殺などを書かせない、いわゆる「自虐史観」攻撃論を展開する人たちのつくった教科書です。同時に、学校教育と地域社会における「自助」「共助」「公助」精神の普及とテレビや新聞などマスコミ・マスメディアの活用があります。こうして国民の中に「敢闘」精神・相手国不信感を醸成していくのです。戦前で言えば「チャンコロ」「鮮人」「露助」「鬼畜米英」、戦後で言えば、何でしょうか?
しかし、いくら「敢闘」精神を醸成したとしても、高支持率を得たとしても、アメリカでもそうであるように、死傷者が続出することで、戦争熱は一気に低下していきます。その意味では、以下の記事にあるように、まさにアメリカがお手本です。特に「大義なき戦争」の化け革が剥がれるのは、簡単です。悲惨な事実が生まれれば良いのです。これは不幸なことですが。だからこそ、無人機の開発や傭兵軍隊の設置などが行われているのです。
ところで、「敢闘」精神を発揚しないための装置として是非とも考えておきたいことがあります。それは戦争映画も映像も、自衛隊の演習ニュースも、弾を撃つ側からの映像しかありません。あのオキナワの1フィート映像は、アメリカ軍が撮影したものです。ヒロシマ・ナガサキや空襲の映像も、アメリカ軍が撮影したものを観ているのです。その映像の反対側の阿鼻叫喚を想像できているでしょうか?
だから戦争は他人事なのです。そこで自衛隊にお願いしたいのは、的を設置しているところにカメラを設置し、飛んでくる弾を命中する瞬間まで取り続ける映像を是非とも流していただきたいと思います。アウエイの心理を掴むための絶好の教材となります!
もう一つは、今尖閣・竹島・北朝鮮のミサイルなどの「脅威」を煽る米日戦争大好き勢力とそれに加担するマスコミにお願いしたいことです。この場合の「戦争」のシュミレーションを是非とも具体化してほしいということです。どんな作戦があるか、です。この作戦を情報公開することで、戦争の「抑止」になるかもしれません!これは軍事力を前提にした場合です。もう一つは非軍事的手段による「抑止力」効果のシュミレーションです。どっちを取るか、国民我選択するのです。これを、日本・韓国・北朝鮮・中国国民に提起し、論争するのです。どっちが「お得」かどうか、です。
まるでサッカーの試合のシュミレーションのような発想です。ルールは、国際法です。この戦争シュミレーションについては、今後記事にしてみたいと思います。今全国各地で高校野球が行われていますが、この高校野球の監督になったつもりで、練習・演習や実践を想定したシュミレーションをつくってみるという発想です。
そういう意味で、以下の朝日の記事にあるような安倍氏の反撃に対して愛国者の邪論の案をつくってみました。
朝日7月26日付 26面各局VS安倍首相
参院選の21日夜、すべての在京キー局の選挙特別番組に安倍晋三首相が生出演した。キャスターたちは限られた時間内に、勢いを増した最高権力者にどう向き合つたのか。
多くで首相の本音に迫ろうとする意志を感じた。テレ朝の古舘伊知郎は靖国参拝に触れ「行くのか行かないのか教えて下さい」。「ご冥福をお祈りするのは当然だが、外交問題に発展していくという中において、今は申し上げるべきではない」と首相が返すと「相当日中関係などを考慮しているというニュアンスと受け取って良いんでずか?」。
TBSの関口宏は憲法9条の改正に言及。首相が「おそらく多くの方が我々の改正草案をご存じない」と話すと、すかさず「そうでもない。昔の日本に帰ってしまうと心配する声がたくさんあるんですよ」。首相は「でも、じゃそうすると、例えばじゃあ9条の1項2項はどこを変えたかご存じですか?」と、逆に質問。意気込みの強さをのぞかせた。
民放最高の視聴率を得たテレ東の池上彰は、質問の多くをゲストに委ねたためか、やや迫力不足の印象。
緊張感がなかったのはNHKだ。
質問を投げかけるだけで、首相の答えを受けてそれを更にかみ砕き、深めようとしない。私が安倍さんだったら、NHKのインタビューは楽勝だ、と思うだろうな。(田玉恵美)(引用ここまで)
現行憲法と自民党の旧・新改憲案の比較
自民党の改憲案は、国民の批判を怖れて、第一項はそのままとしています。これは一つには、戦争放棄論は否定することができないことを示しています。二つ目は、一項と二項は、子どもが読めば、自衛隊は違憲になってしまうという中谷議員の言葉に象徴されているように、国語的には何ら問題のないものです。
しかし、アメリカによってつくられた警察予備隊・保安隊・自衛隊を合憲とするための詭弁を弄するための解釈改憲論によって「抑止力」論と「専守防衛」論がつくられ、日米安保条約改定によって、如何にして米軍駐留を合憲とするか、自衛隊を合憲とするか、詭弁と屁理屈によって自衛隊の既成事実化と世論誘導は行われ、今日日米軍事同盟廃棄論がタブー視されてるようになったのでした。
そうした世論の到達点をふまえて、戦争放棄論を踏まえた9条第二項の国家の交戦権の否定を否定する案がつくられたのです。その最大の根拠は、中国・北朝鮮の脅威、テロへの抑止力論、日米軍事同盟絶対化でした。
ここにトリックがあります。自民党案の第一項と第二項は矛盾しないのかどうか、です。ゴマカシです。「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」に、「国際紛争を解決する手段として」「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、「永久に」「放棄」するというのに、その「永久」をわざわざ削るところに自民党の意図が透けて見えてきます。その他、第二項や第三項を設け、詳しく書かなければならない、説明しなければならないところに、自民党の「苦悩」が見えてきます。総じて新改憲案が説明調になっているのは、自民党の確信のなさを反映しています。
そこで、以下の文言の意味を踏まえると、そんな説明をしなくても、現行憲法と国際法で十分足りてしまいます。わざわざ、「国防軍」などをつくらずとも充分です。
「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」
「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」
「主権と独立を守るため」
「領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保」するために、
軍事力が必要かどうか、必要と言う場合にはどのような軍事力が必要か、問い詰めていく必要があります。そこで愛国者の邪論の基本的な考えを述べておきました。
現行憲法第9条第一項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
自民党旧改憲案第一項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
自民党新改憲案第一項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
現行憲法9条第二項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
自民党旧改憲案9条第二項
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
2.自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3.自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4.二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
自民新改憲案第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
自民党新改憲案第9条の3(領土等の保全等)
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。
自民党の新旧改憲案に対する愛国者の邪論案
1.我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、第1項戦争放棄条項・2項国家の交戦権否認を具体化するため、非同盟・中立・自主独立の立場から、国際社会と協力して、あらゆる非軍事・非暴力の外交努力を行う。
2.自衛隊は、東日本大震災を教訓として、災害救助隊としての性格を強め、その編成を改めていく。
3.この災害救助隊は、国内・国外に貢献できるように改組する。そのための法律は別途で定める。(以上)
さて、もうひとつ、記事を掲載しておきます。この話は大変説得的でした。ま、朝日のバランス感覚でしょう!大変良い記事だったと思います。アッパレ!です。
朝日25日 オピニオン あすを探る 社会 9条の国、誇り高きやせ我慢 森 達也
アメリカでは銃の誤射や乱射事件が起きるたびに、銃規制についての議論が高まるが、結局は尻すぼみとなってまた事件が起きる。
昨年12月にコネティカット州の小学校で児童ら26人が殺害されたとき、全米ライフル協会(NRA)の副会長は記者会見で、「銃を所持した悪人の行為を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と述べて銃規制に反対し、アメリカ全土では銃の売り上げが急増したという。
アメリカの銃社会をテーマとしたドキュメンタリー映画『ボウリングーフォー・コロンバイン』でマイケルームーアは、黒人や先住民族を加虐してきた建国の歴史があるからこそ、アメリカ市民は銃を手放せないのだと主張した。報復が怖いからだ。つまり銃を手もとに置く人は勇敢なのではない。臆病なのだ。
こうしてアメリカの正義が発動し、正当防衛の概念が拡大する。丸腰の高校生を射殺した自警団男性の正当防衛が認められて、無罪評決になったことは記憶に新しい。
NRAの主張に同意する日本人は少ないだろう。頭の回路がどうかしていると思う人もいるはずだ。でも実のところこの思想と論理は、世界のスタンダードでもある。
核兵器や軍隊の存在理由だ。
我が国の軍隊は、他国に侵略する意図などない。でも悪い国が軍隊を持っている。だから攻められたときのために、国家は軍隊を常備しなくてはならない。つまり抑止力。理屈はNRAとまったく変わらない。
こうして誤射や過剰防衛が起き、それをきっかけに戦争が始まる。人類はそんな歴史を繰り返している。
しかし第2次世界大戦後にこの国は、新しい憲法で武力放棄を宣言した。その憲法が公布される前の衆院本会議で共産党の野坂参三議員が。
「侵略の戦争は正しくないが自国を守るための戦争は正しいのでは?」との趣旨で質問し、これに対して吉田茂首相は、「正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということが結局は戦争を誘発する」との趣旨で答弁した。記録ではこのとき議事堂では、与野党を超えた議員の大きな拍手が響いたという。
もちろん日本の背後には、世界最強の軍隊と大きな核の傘を持つアメリカがいた。だから不安や恐怖を押し殺して痩せ我慢ができた。極論すれば憲法9条の1項は、すべての国に共通する理念でもある。でも現行憲法には、軍事力と交戦権を放棄することを宣言した2項がある。アメリカに軍事的に庇護される国は数多いが、ここまでラディカルな宣言をした国はない。
その後に冷戦の時代が幕を開ける。ご近所はすべて銃を持っている。でも暴力に対して暴力の抑止は成り立だない。自衛の意識が戦争を起こすのだ。だから我が家は銃を持だないと決めた。アメリカからは何度も改正を要求されながらも、結果として日本は9条を60余年間にわたって守り抜いた。いろいろ妥協もしたけれど直接的な戦争には一度も参加せず、国民総生産(GNP)世界第2位を達成した。
改憲派は平和ボケなどと嘲笑するけれど、9条は抑止論にとらわれた世界への、とてもラディカルな提言となっている。スペインのグランカナリア島には、9条の碑が設置されている。戦争地域ではよく、「日本9条の国だ」と話しかけられるい世界に対して日本は、身をもって稀脊な実例を示し続けにいる。
この街から銃が消える日はまだ遠い。でもこの精神だけは手放さない。誰もが銃を持だない社会。その実現のために、我が家は街で最初に銃を捨てる宣言をした。怖いけれど高望みを維持し続けてきた。
自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味がわからない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う。(もり・だつや 56年生まれ。映画監督・作家。明治大特任教授。近著に『虚実亭日乗』)(引用ここまで)