愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

これが「敵基地攻撃」論を論じた朝日・毎日・読売・産経・中日・東京の社説だ!

2013-07-31 | 日記

以下、各紙の社説を証拠として掲載しておきます。

朝日 敵基地攻撃論/無用の緊張を高めるな 2013/5/22 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1?

 敵の弾道ミサイル基地などを攻撃できる能力を、自衛隊が持つことを検討する——。 自民党の国防部会・安全保障調査会が、こんな提言をまとめた。すみやかに結論を出し、政府が年内に策定する新防衛大綱に反映させたいという。 北朝鮮によるミサイル攻撃への対処などを念頭に置いたものだろう。 だが、これではかえって地域の不安を高め、軍拡競争を招くことにならないか。そんな危惧を抱かざるを得ない。

 日本の安全保障政策は、専守防衛が原則だ。自衛隊は「盾」として日本防衛に徹し、米軍が「矛」として攻撃を担うという役割分担を前提にしている。 安倍首相は「盾は自衛隊、矛は米軍で抑止力として十分なのか」と語る。米軍に頼るだけでなく、日本も「矛」の一部を担うべきだという主張である。

 北朝鮮のミサイル問題や核実験に加え、中国の海洋進出も活発化するなど日本を取り巻く情勢は厳しさを増している。そうした変化に合わせて、防衛体制を見直すのは当然のことだ。

 しかし、自衛隊が敵基地をたたく能力を持つことが、本当に日本の安全を高めることにつながるのか。 政府見解では「相手がミサイルなどの攻撃に着手した後」の敵基地攻撃は、憲法上許されるとしている。一方、攻撃の恐れがあるだけで行う「先制攻撃」は違憲との立場だ。 とはいえ、日本が敵基地攻撃能力を持てば、周辺諸国から先制攻撃への疑念を招くのは避けられない。 装備や要員など態勢づくりの問題もある。 自民党内では、戦闘機への対地ミサイルの搭載や、巡航ミサイルの配備などが検討されているようだが、それで済むほど単純な話ではない。 北朝鮮のノドン・ミサイルは山岳地帯の地下に配備され、目標の把握すら難しい。情報収集や戦闘機の支援態勢などを考えれば、大掛かりな「矛」の能力を常備することになる。 その結果、各国の軍拡競争が激化し、北東アジアの安全保障環境を一層悪化させる懸念すらある。財政的にも現実的な選択とは思えない。

 安倍政権は、集団的自衛権の行使容認や、憲法9条改正による国防軍の創設をめざす。敵基地攻撃論は、そうした動きと無縁ではあるまい。 いま必要なのは、ぎくしゃくした周辺国との関係を解きほぐす外交努力である。無用の緊張を高めることではない。 

毎日 敵基地攻撃能力/緊張高めず慎重議論を 2013/7/27 4:00
http://mainichi.jp/opinion/news/20130727k0000m070114000c.html

 防衛省は、防衛力整備の指針となる「防衛計画の大綱」(防衛大綱)の中間報告に、北朝鮮の核・ミサイル開発の進展を踏まえて、敵のミサイル発射基地などを攻撃する敵基地攻撃能力の保有検討を盛り込んだ。専守防衛を基本とする日本の防衛政策の転換につながる可能性があり、慎重な検討を求めたい。

 政府見解では、敵がミサイル攻撃に着手し、他に防ぐ手段がない場合に限り、発射基地を攻撃することを自衛の範囲として認めているが、日米安保体制のもと、自衛隊は「盾」(防御力)、米軍は「矛」(打撃力)を担う役割分担をしてきた。 しかし北朝鮮の相次ぐ核実験や事実上の弾道ミサイル発射を受けて、ミサイル防衛の強化だけでは不十分ではないかとの議論が、自民党を中心に活発化している。 攻撃前に敵の基地をたたくことは「専守防衛を逸脱した先制攻撃ではないか」との疑念が残る。何をもって敵がミサイル攻撃に「着手」したと判断するかが問題だ。敵がミサイル発射を宣言し、発射台にミサイルが据えられ、燃料が注入されれば「着手」と評価できる、という考え方もあるが、はっきりしない。拡大解釈されれば「先制攻撃」につながりかねない。その結果、地域の軍拡競争を招く可能性もある。 防衛上の有効性の問題もある。北朝鮮は、ほぼ日本全域を射程に収める中距離ミサイル「ノドン」200発を移動式発射装置に搭載し、山岳地帯の地下施設に配備しているとされる。位置や発射の兆候などの情報を正確に把握するのは簡単ではない。攻撃に必要な装備や部隊をどう整備するかも課題だ。

 防衛省は「費用対効果、地域の安全保障環境への影響、日米同盟との関係」を検討する必要があるとしており、議論すること自体が抑止力になることを狙った面もありそうだ。

 また中間報告は、沖縄県・尖閣諸島周辺での中国の海洋活動の活発化を受けて、離島防衛強化のため、自衛隊に機動展開能力や水陸両用機能(海兵隊的機能)を持たせることを検討すべきだと求めた。 南西諸島の防衛強化は必要だ。だが仮に尖閣諸島が相手国に一時的に占拠されたとしても、補給線を断てば、米海兵隊のような強襲揚陸能力は不要との指摘もある。「海兵隊的機能」という言葉も誤解を招きやすい。真に必要な防衛力整備は何か。財政事情が厳しい中で、国民が納得できる十分な検討と説明が必要だ。 年末の大綱策定に向け、安倍政権は周辺国の緊張を高めないよう留意しながら、有識者らの意見も幅広く聞き、冷静、慎重に議論を深めてもらいたい。 

読売 敵基地攻撃能力/日米連携前提に保有の検討を 2013/5/18 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130517-OYT1T01487.htm

 日米同盟の抑止力を強化する方向で、自衛隊と米軍の役割分担を見直すことが肝要である。 自民党が、年末に策定する予定の政府の新たな防衛大綱に関する提言案をまとめた。 自衛のために相手国のミサイル基地などを攻撃する「敵基地攻撃能力」の保持について、「検討を開始し、速やかに結論を得る」と明記した。北朝鮮の核・ミサイル開発を念頭に置いたものだ。

 北朝鮮の弾道ミサイル能力が向上する中、ミサイル防衛による抑止に限界があることは否定できない。同時に多数のミサイル攻撃を受けた場合、すべてを完璧に迎撃するのは困難である。 日米両国は長年、自衛隊は専守防衛で「盾」、米軍は「矛」の役割をそれぞれ担い、報復攻撃の打撃力は米軍に全面的に委ねる体制をとってきた。 この米軍の攻撃力の一部を補完する形で、自衛隊が敵基地攻撃能力を保有することは、日米の防衛体制の強化につながろう。 安倍首相も前向きな姿勢を示している。今月上旬の国会答弁で、日本へのミサイル攻撃が迫っている際に「米軍に攻撃してください、と日本が頼む状況でいいのか」と問題提起した。

 重要なのは、自衛隊がどんな装備を導入するのが良いのか、具体的な検討を進めることだ。 選択肢としては、攻撃目標の正確な位置を入力し、全地球測位システム(GPS)で誘導する巡航ミサイルの導入や、ステルス性を持つ最新鋭戦闘機F35などによる対地攻撃が想定される。 巡航ミサイルは、移動式発射台を使うノドン・ミサイルなどへの攻撃が難しい。F35では、相手国への領空侵入を支援する大規模な航空部隊の編成が必要となる。 どちらの場合も、日本が単独で攻撃するのは非現実的だ。攻撃目標の探知など情報面の協力を含め日米の緊密な連携と適切な役割分担を前提とせねばなるまい。

 提言案は、南西方面の島嶼(とうしょ)防衛のため、陸上自衛隊に「海兵隊的機能」を付与し、水陸両用部隊を新設することも求めている。 中国軍が尖閣諸島周辺での示威活動を強める中、島嶼防衛を強化する必要性は増している。陸自は既に米海兵隊と共同訓練を重ね、海兵隊的機能の保有を進めているが、新大綱では装備面を含め、その動きを加速させるべきだ。 新型輸送機オスプレイを自衛隊が導入することも、前向きに検討していいだろう。 

【主張】防衛大綱改定 敵基地攻撃能力の明記を2013.7.27 03:14 主張 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130727/plc13072703140005-n1.htm

 安倍晋三政権は防衛力整備の長期指針となる「防衛計画の大綱」を年末に改定する。 これに向けて防衛省がまとめた中間報告には、離島の防衛や奪回にあたる海兵隊の機能を自衛隊に持たせる方針を明記するなど具体的な抑止力強化策が盛り込まれた。 日本を狙う弾道ミサイルの発射元を無力化する、敵基地攻撃能力の保有にも含みをもたせた。安全保障政策の見直しを具現化しようとするこうした取り組みを評価したい。 大綱では保有を明記するなど一層の踏み込みが必要だ。 中間報告は、防衛省が国の守りには最低限必要だと判断した内容だ。今後の政府内での検討作業でさらに具体化を図り、日本の平和と安全を守り抜くことができる大綱を実現してほしい。

 北朝鮮の弾道ミサイル開発は、長射程化の技術を向上させるなど新たな段階に入った。北の核・ミサイルは、日本の安全に対する重大な脅威だ。現在は報復能力を全面的に米軍に頼っており、日本はまったく保有していない。自分の国を自分で守る抑止力を持っていないことが問題なのだ。 首相は5月の国会答弁で、「相手に思いとどまらせる抑止力の議論はしっかりしていく必要がある」と語った。公明党は敵基地攻撃能力の保有に慎重だ。

 相手の一撃を甘受する「専守防衛」に象徴されるように、防衛政策の基本的な方針により、十分な抑止力が働かない状況が作り出されてきた。日米同盟強化のため、集団的自衛権の行使容認も喫緊の課題となっている。

 尖閣諸島の奪取をねらう中国は、東シナ海から西太平洋への進出を図っている。中国軍の早期警戒機が24日、沖縄本島と宮古島の間の公海上を通過する「特異な行動」(安倍首相)をとった。中国海軍の艦艇が日本列島を1周する示威行動もした。 中間報告は離島防衛のため、機動展開能力と水陸両用機能(海兵隊機能)の確保を打ち出した。 日本が抑止力の強化に努めることにより、中国の高圧的な行動や、偶発的な軍事衝突など不測の事態を防ぐことができるとの考えは妥当なものだ。

 日本を守れる実効性の高い防衛政策を確立し、それに基づいた防衛力整備を図ることが何よりも重要である。

中日/東京 敵基地攻撃能力/軍拡の口実与えるだけ  2013/5/25 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013052502000123.html

 自衛隊も敵の領土にある基地を攻撃できる能力を持つべし、との議論が自民党内で進んでいる。ミサイル開発を進める北朝鮮を念頭に置いたのだろうが、軍備増強の口実を与え、逆効果ではないか。 自衛隊は日本に武力攻撃があった場合、自衛のために必要最小限の武力を行使することができる。 ミサイル攻撃を防ぐ手段がない場合、発射基地を攻撃することは自衛の範囲だが、他国を攻撃する兵器を平素から持つことは、憲法の趣旨に反する。 これが自衛隊をめぐる日本政府の立場であり、国民にも広く受け入れられてきた考え方だろう。

 こうした原則を根本から変える動きが自民党内で出てきた。 安全保障調査会と国防部会の提言案に敵のミサイル発射基地などを攻撃する「策源地攻撃能力の保有」の検討開始が盛り込まれたのだ。速やかに結論を出し、政府が年内に定める新しい「防衛計画の大綱」に反映させるという。 背景には、北朝鮮によるミサイルの脅威が現実のものとなってきた、との危機感があるようだ。

 日本ではミサイル防衛システムの配備が進んでいるが、多数のミサイルが同時に飛来した場合、すべてを迎撃するのは困難で、日本を守るには敵の基地を攻撃するしかない、という理屈だろう。 敵の基地攻撃能力を持つには戦闘機の航続距離を延ばして空対地ミサイルを装備する、巡航ミサイルを配備することが想定される。 国民の生命と財産を守るのは政府の責務だが、敵の基地を攻撃するための武器を平素から持つことが憲法の趣旨を逸脱するのは明白だ。厳しい財政状況を考えても、多額の経費を要する攻撃的兵器の導入は非現実的である。

 自国民を守るために攻撃能力を持つのだと主張しても、それが地域の不安定要因となり、軍拡競争を促す「安全保障のジレンマ」に陥らせては、本末転倒だ。

 北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させ、拉致事件を解決するには「対話と圧力」路線を粘り強く進めるしかあるまい。関係国と協調して外交努力を尽くすことが重要なのは、軍備増強、海洋支配拡大の動きを強める中国に対しても同様だ。 安倍晋三首相は「集団的自衛権の行使」容認や憲法九条改正による国防軍創設を目指す。敵基地攻撃能力の保有検討もその一環なのだろうが、前のめりになることが問題解決を促すとは限らないと、肝に銘じておくべきである。(引用ここまで 

地方紙の検証は別項でおこなう予定です。

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朝毎読産東の「敵基地攻撃」「集団的自衛権行使」「憲法9条改悪」論を許す論理と思想を検証し、大喝を!

2013-07-31 | 日記

朝日毎日読売産経東京の社説に掲載された「敵基地攻撃」論について、以下問題点をまとめてみました。まず、いずれも、日本国憲法に違反しているとの厳しい見解が表明されていないことは、大変大きな問題と言えます。以下共産党の見解を掲載しておきます。 

主張/防衛大綱中間報告/「環境」変化で何でもありか  [2013.7.28]

主張/自民「防衛大綱」提言/何のための「強い軍隊」なのか  [2013.5.20]

集団的自衛権の行使容認へ/自民が野田内閣と共鳴/海外での武力介入に道 [2012.7.29]

日米安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるか 全国革新懇総会 志位委員長の記念講演 2012年05月12日 

愛国者の邪論が思うには、共産党の課題は、安倍自公政権の策略の口実である中国と北朝鮮の脅威を如何に取り除いていくかでしょう。そのためには、まず野党外交の徹底化から共産党が政権を取った時を想定した外交路線と政策の具体化が求められていると思います。「脅威」論と「抑止力」論を理論的実践的に論破することをとおして国民的共感をひろげていくことです。そのなかで、日米軍事同盟廃棄が現実のものとなるでしょう。 

そのためにも、その前段として、どのような国民的合意を構築するか、そのための政権構想論を提起できるか、です。70年代の、いわゆる革新三目標にもとづく政権構想論に到達できるか、その道筋を国民の前に明らかにしてはじめて、「自共対決」が鮮明になり、受け皿としての共産党の存在が輝いてくるでしょう。そのための知恵は、如何に!なのです。そのために愛国者の邪論が貢献ができればと思います。 

とうことを前提にして、以下検証してみます。 

敵基基地攻撃論賛成の立場について

読売

 日米同盟の抑止力を強化する方向で、自衛隊と米軍の役割分担を見直すことが肝要である。北朝鮮の弾道ミサイル能力が向上する中、ミサイル防衛による抑止に限界があることは否定できない。同時に多数のミサイル攻撃を受けた場合、すべてを完璧に迎撃するのは困難である。この米軍の攻撃力の一部を補完する形で、自衛隊が敵基地攻撃能力を保有することは、日米の防衛体制の強化につながろう。日本が単独で攻撃するのは非現実的だ。攻撃目標の探知など情報面の協力を含め日米の緊密な連携と適切な役割分担を前提とせねばなるまい。 

産経

日本を狙う弾道ミサイルの発射元を無力化する、敵基地攻撃能力の保有にも含みをもたせた。安全保障政策の見直しを具現化しようとするこうした取り組みを評価したい。現在は報復能力を全面的に米軍に頼っており、日本はまったく保有していない。自分の国を自分で守る抑止力を持っていないことが問題相手の一撃を甘受する「専守防衛」に象徴されるように、防衛政策の基本的な方針により、十分な抑止力が働かない状況が作り出されてきた。日本を守れる実効性の高い防衛政策を確立し、それに基づいた防衛力整備を図ることが何よりも重要で 

疑問をなげかけつものの反対の立場を鮮明にしていない立場について

朝日

だが、これではかえって地域の不安を高め、軍拡競争を招くことにならないか。そんな危惧を抱かざるを得ない。日本が敵基地攻撃能力を持てば、周辺諸国から先制攻撃への疑念を招くのは避けられない。装備や要員など態勢づくりの問題もある。自民党内では、戦闘機への対地ミサイルの搭載や、巡航ミサイルの配備などが検討されているようだが、それで済むほど単純な話ではない。 北朝鮮のノドン・ミサイルは山岳地帯の地下に配備され、目標の把握すら難しい。情報収集や戦闘機の支援態勢などを考えれば、大掛かりな「矛」の能力を常備することになる。 その結果、各国の軍拡競争が激化し、北東アジアの安全保障環境を一層悪化させる懸念すらある。財政的にも現実的な選択とは思えない。 いま必要なのは、ぎくしゃくした周辺国との関係を解きほぐす外交努力である。無用の緊張を高めることではない。 

毎日

専守防衛を基本とする日本の防衛政策の転換につながる可能性があり、慎重な検討を求めたい。攻撃前に敵の基地をたたくことは「専守防衛を逸脱した先制攻撃ではないか」との疑念が残る。何をもって敵がミサイル攻撃に「着手」したと判断するかが問題だ。敵がミサイル発射を宣言し、発射台にミサイルが据えられ、燃料が注入されれば「着手」と評価できる、という考え方もあるが、はっきりしない。拡大解釈されれば「先制攻撃」につながりかねない。その結果、地域の軍拡競争を招く可能性もある。 防衛上の有効性の問題もある。北朝鮮は、ほぼ日本全域を射程に収める中距離ミサイル「ノドン」200発を移動式発射装置に搭載し、山岳地帯の地下施設に配備しているとされる。位置や発射の兆候などの情報を正確に把握するのは簡単ではない。攻撃に必要な装備や部隊をどう整備するかも課題だ。真に必要な防衛力整備は何か。財政事情が厳しい中で、国民が納得できる十分な検討と説明が必要だ。 年末の大綱策定に向け、安倍政権は周辺国の緊張を高めないよう留意しながら、有識者らの意見も幅広く聞き、冷静、慎重に議論を深めてもらいたい。 

東京

ミサイル開発を進める北朝鮮を念頭に置いたのだろうが、軍備増強の口実を与え、逆効果ではないか。国民の生命と財産を守るのは政府の責務だが、敵の基地を攻撃するための武器を平素から持つことが憲法の趣旨を逸脱するのは明白だ。厳しい財政状況を考えても、多額の経費を要する攻撃的兵器の導入は非現実的である。 自国民を守るために攻撃能力を持つのだと主張しても、それが地域の不安定要因となり、軍拡競争を促す「安全保障のジレンマ」に陥らせては、本末転倒だ。安倍晋三首相は「集団的自衛権の行使」容認や憲法九条改正による国防軍創設を目指す。敵基地攻撃能力の保有検討もその一環なのだろうが、前のめりになることが問題解決を促すとは限らないと、肝に銘じておくべきである。 

愛国者の邪論

どうでしょうか?共産党と比べると大変曖昧な表現になっていないでしょうか?根本は、日米軍事同盟が震源地であることを認めるか、認めないか、というところにあることは明らかです。日米軍事同盟は憲法とは絶対に相容れないものです。もはやゴカマシは効きません。以下の指摘が、そのことを雄弁に語っています。 

「日本の安全保障政策は、専守防衛が原則だ。自衛隊は『盾』として日本防衛に徹し、米軍が『矛』として攻撃を担うという役割分担を前提にしている。安倍首相は『盾は自衛隊、矛は米軍で抑止力として十分なのか』と語る。米軍に頼るだけでなく、日本も『矛』の一部を担うべきだという主張である」(朝日)。 

「攻撃前に敵の基地をたたくことは『専守防衛を逸脱した先制攻撃ではないか』との疑念が残る」(毎日)。 

「日本へのミサイル攻撃が迫っている際に『米軍に攻撃してください、と日本が頼む状況でいいのか』と問題提起した」(読売 

「相手の一撃を甘受する『専守防衛』に象徴されるように、防衛政策の基本的な方針により、十分な抑止力が働かない状況が作り出されてきた」(産経 

「自衛隊は日本に武力攻撃があった場合、自衛のために必要最小限の武力を行使することができる。ミサイル攻撃を防ぐ手段がない場合、発射基地を攻撃することは自衛の範囲だが、他国を攻撃する兵器を平素から持つことは、憲法の趣旨に反する。これが自衛隊をめぐる日本政府の立場であり、国民にも広く受け入れられてきた考え方=こうした原則を根本から変える動き」(東京 

愛国者の邪論

本来ならば「軍隊」であるはずの自衛隊を、憲法違反という追及からゴマカスために使ってきた「専守防衛」論、「集団的自衛権不行使」論、「武器輸出禁止三原則」論を塗り替えていこうとしているのです。もはや憲法あってもないようなものにしていく、空洞化していこうとしているのです。解釈改憲もここまできたのです。しかし、文言が残っていては正々堂々と海外に派兵できません。否認されている交戦権の行使もできません。それを可能にするためには、憲法を変えるしかないのです。 

すなわち憲法を否定する勢力が、その見解をハッキリさせてきているのです。もはや「疑念」の段階を通り越して憲法の平和主義の原則を否定しているのです。各新聞が憲法の平和主義を擁護するのであれば、「敵基地攻撃」論や「集団的自衛権行使」論、「武器輸出禁止三原則」など、憲法を否定する企みを徹底して批判し、その震源地である日米軍事同盟の廃棄を主張する以外にありません。 

そこまで「矛」「盾」が極まってきたのです。しかし、このことは逆に言えば、改憲派は清水の舞台から飛び降りるような冒険主義にかけているとも言えます。何故ならば、国民に命と財産・税金の負担を課すことを意味しているからです。それを正当化するために、利用しているのが、中国と北朝鮮の脅威です。この口実が口実でなくなることは、改憲派の存在そのものがなくなるのです。だから必死です。 

以下、各紙の「脅威」論を見てみます。

朝日

(1)北朝鮮のミサイル問題や核実験に加え、

(2)中国の海洋進出も活発化するなど日本を取り巻く情勢は厳しさを増している。

(3)そうした変化に合わせて、防衛体制を見直すのは当然

毎日

(1)北朝鮮は、ほぼ日本全域を射程に収める中距離ミサイル「ノドン」200発を移動式発射装置に搭載し、山岳地帯の地下施設に配備しているとされる。位置や発射の兆候などの情報を正確に把握するのは簡単ではない。攻撃に必要な装備や部隊をどう整備するかも課題だ

(2)南西諸島の防衛強化は必要だ。

読売

(1)北朝鮮の弾道ミサイル能力が向上する中、ミサイル防衛による抑止に限界があることは否定できない。同時に多数のミサイル攻撃を受けた場合、すべてを完璧に迎撃するのは困難である。(2)中国軍が尖閣諸島周辺での示威活動を強める中、島嶼防衛を強化する必要性は増している

産経

(1)北朝鮮の弾道ミサイル開発は、長射程化の技術を向上させるなど新たな段階に入った。北の核・ミサイルは、日本の安全に対する重大な脅威だ。

(2)尖閣諸島の奪取をねらう中国は、東シナ海から西太平洋への進出を図っている。中国軍の早期警戒機が24日、沖縄本島と宮古島の間の公海上を通過する「特異な行動」(安倍首相)をとった。中国海軍の艦艇が日本列島を1周する示威行動もした。日本が抑止力の強化に努めることにより、中国の高圧的な行動や、偶発的な軍事衝突など不測の事態を防ぐことができるとの考えは妥当なものだ。

(3)日本を守れる実効性の高い防衛政策を確立し、それに基づいた防衛力整備を図ることが何よりも重要

東京

(1)北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させ、拉致事件を解決するには「対話と圧力」路線を粘り強く進めるしかあるまい。

(2)関係国と協調して外交努力を尽くすことが重要なのは、軍備増強、海洋支配拡大の動きを強める中国に対しても同様だ。 

愛国者の邪論

北朝鮮には、「敵基地攻撃」論を、中国に対しては、「集団的自衛権行使」論と、分担しているかのように別けて書かれています。しかし、これらの政策が認められてしまえば、大手を振って中国にも、北朝鮮にも、さらにはアフリカにも、中東、中年米にも、適用されることは明らかです。そこに中国と北朝鮮の脅威を煽って、何とか既成事実化という解釈改憲と、条文改憲=憲法改悪を目論む意図が透けて見えてきます。 

その点で、国民の眼を中国・北朝鮮の「脅威」に向けさせるというとんでもないトリックがあります。朝日毎日東京は、その点については、いっさい不問です。 

しかし、以下の読売産経の指摘をよく読めば、中国・北朝鮮だけの問題でないことが判ります。まさに全地球的課題としての日米軍事同盟の本質的役割について語っています。 

「選択肢としては、攻撃目標の正確な位置を入力し、全地球測位システム(GPS)で誘導する巡航ミサイルの導入や、ステルス性を持つ最新鋭戦闘機F35などによる対地攻撃が想定される。 巡航ミサイルは、移動式発射台を使うノドン・ミサイルなどへの攻撃が難しい。F35では、相手国への領空侵入を支援する大規模な航空部隊の編成が必要となる。 どちらの場合も、日本が単独で攻撃するのは非現実的だ。攻撃目標の探知など情報面の協力を含め日米の緊密な連携と適切な役割分担を前提とせねばなるまい」(読売 

「相手の一撃を甘受する『専守防衛』に象徴されるように、防衛政策の基本的な方針により、十分な抑止力が働かない状況が作り出されてきた。日米同盟強化のため、集団的自衛権の行使容認も喫緊の課題となっている」(産経 

「専守防衛」の名の下に軍備増強を謀ってきた自衛隊が、中国・北朝鮮の「脅威」を口実に、「盾」から「矛へ」突き進むことによって「専守防衛」論を否定しようとしているのです。しかも日米軍事同盟は90年代の日米安全保障共同宣言からイラク戦争への加担にみるように、地球規模の日米共同作戦に拡大しているのです。しかも「集団的自衛権行使」論によって、同盟国アメリカが「攻撃された場合」は、米海兵隊と共同訓練を重ね、海兵隊的機能の保有を進めている陸上自衛隊の水陸両用部隊、全地球測位システム(GPS)で誘導する巡航ミサイル、ステルス性を持つ最新鋭戦闘機F35新型輸送機オスプレイなど、アメリカの兵器を使った自衛隊(国防軍)が、米軍との共同作戦に突入することは明らかです。

こうした行動が、日本の戦争目的としてどのように説明されるか、国民は支持するか、戦争に勝利した後の対策は、或いは敗北した時は、国民の命と財産を浪費することに対してどのような説明がなされるか、などなど、多くの問題が想定されるでしょう。まともに説明できないことは明らかです。何故ならば、国家の政策としての戦争は、国際法で認められていないからです。戦争を回避するための政治・外交政策・経済・文化交流など、あらゆる対策が講じられなければならないからです。政治家は、戦争回避のために、あらゆる努力をしなければならないのです。 

以上のような戦争回避政策を模索・追求するのではなく、脅威と危機感を煽り、軍事行動と戦争を正当化することは、現代世界では認められていません。一時的に成功しているかのようにみられながらも、必ず失敗しています。アメリカがお手本です。 

憲法9条をもつ国である日本が、こうした努力を曖昧にできないことは明らかです。これは、あの戦争を引き起こした日本国と国民の責任でもあるし、戦争回避政策として国際的に公約したものです。このことを再度国民的に確認するときです。世界諸国民を敵に回すような政策転換は、必ずブーメランのように自分のところにやってくるでしょう。 

次の課題は、「日本が攻撃された場合」「アメリカが攻撃された場合」というゴマカシとスリカエについて、検証してみます。 

つづく

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佐藤正久・片山さつき議員の幼稚な戦争論・憲法観に大喝!戦争は政治の延長!政治家は戦争防止策を採れ!

2013-07-31 | 日記

今日の赤旗2面「小池氏 “集団的自衛権は日本防衛と無関係”/憲法9条 自共対決/TVタックル」に、「今の9条では国家・国民の命を守ることができない場合も出てきている」「憲法には国連憲章が認める自衛権も書かれていない。自分の国を守る基本原則がない」(自民党佐藤正久防衛政務官)と中国軍艦の海自護衛艦へのレーダー照射事案(1月)について「9条がなかったら撃っていますよ」「他の憲法上の制約のない国だったら、9条1項、2項がなかったら、(自衛隊が)撃っていますよ」(片山さつき総務政務官)との発言が出ていました。 

こんな政治家が、政務官として仕事をしているかと思うと、情けないというか、危ないというか、この二人は、この間も暴言を繰り返してきましたので、改めて辞職を要求すべきと思いました。 

ところで、その片山氏の発言そのものは、非常に子ども染みたもので、大竹氏が「じゃあ撃てばよかったの?」と質問すると、「今の(憲法の)状況では撃てない」と述べただけだったようです。これは一つには、憲法9条が武力行使を防止している規制装置であることが、改憲を進める自民党の議員によって明らかにされたことを意味していました。片山氏は「7年ぶりの自民党憲法改正案、今回は23人の起草委員の一人として積極参加!感慨!」と述べているように、自民党の最悪最低の改憲案をつくった一人でした。呆れるばかりです。 

二つ目は、だからこそ、片山氏など、戦争屋の改憲案は、道理もない子どもじみた屁理屈で憲法9条を改悪しようとしていることが判りました。中国の照射に対して反撃として武力行使をする。しかし、その後に起こるであろう事態などについては、全く考えていないという、およそ政治家として失格さを浮き彫りにしました。国民は、こんな無責任な政治家に国家の行く末を委任できるでしょうか?

三つ目は、政治家の最低の仕事は、国家国民の生命財産を守る、平和を享受できるようにすることです。それは戦争によって、武力行使によって実現するのではありません。徹底した話し合い・非軍事的手段によって実現するべきものです。それは国際法でも、憲法でも、その他の国内法で明らかなことです。そうした当たり前のことを無視して、テレビというメディアをとおして国民を扇動しようとしていることが、改めて浮き彫りになりました。 

次は、佐藤議員の発言です。この発言は、「戦力不保持を定めた現行憲法では、中国の海上民兵が尖閣に不法上陸した場合でも、自衛隊が十分な自衛権を行使できず、この固有の領土を奪われかねない。 9条で専守防衛を強いられていては、北朝鮮の核、ミサイル攻撃からも国を守れない」とする産経の【主張】憲法改正 首相は早急に行程表示せ 集団的自衛権で公明説得を7.23 03:12 そのものです。 

佐藤正久議員は防衛大学校出身です。この人は防衛大学で何を学んできたのでしょうか?またイラクに髭の隊長として「派遣」され、戦闘行為を回避できたのは、まさに憲法のおかげであったのですが、佐藤氏においては、全く教訓化できていないのです。呆れた政治家・軍人と言えます。軍の司令官は部下を死なせないこと、「敵」を殺さないで目的を達成することが最大の任務ではないのでしょうか?例えば、インパール作戦の佐藤幸徳第31師団通称号:烈)師団長のように「抗命撤退により多くの兵士たちの生命を救」ったことなど、学んでいないのでしょう! 

そこで、今日の朝日の経済気象台を読み、改めて佐藤氏のような軍人政治家(中谷元議員も防衛大学校出身)が無用な長物であることを強調しないわけにはいかないと思い、以下の朝日の記事「経済気象台」を紹介し、軍隊と政治について、考えてみることにしました。

ポイントは、以下のとおりです。

1.尖閣棚上げ問題や盗人発言などについては、ここでは問いません。

2.問題は、「戦争は外交の延長」としたクラウゼビッズの発言です。これについては、その部分を掲載しておきます。戦争は国家の政策貫徹の手段の一つであるということです。外交=政治の延長としての戦争をいう戦争の性格・本質を考えると、簡単に戦争などいうことはできないはずです。みんなの党の渡辺氏ではありませんが、「戦争の前にやることあるだろう!」ということです。

3.国内政治の失敗と国民の不満を逸らすために、国民の関心を近隣国に向けさせ、政権基盤のもろさを補おうとしているのは、何も中国だけではなく、アメリカも日本も同じです。中国・北朝鮮脅威論に対する抑止力論として敵基地攻撃論や集団的自衛権行使論、武器輸出禁止三原則規制緩和論などは、まさに、こうした政治の重要な政策です。こうした政策が、近隣国を刺激し、またこれが日本国内のナショナリズムを煽り、戦争状態を作り出していくのです。

4.その被害者は、国民です。本来国民に回されるべき血税が軍事優先主義政策によって回されるからです。これは何も北朝鮮だけの問題ではありません。中国だけの問題ではりません。アメリカや日本を観れば明瞭です。

5.だからこそ、戦争は政治の延長戦であるならば、その政治に対してあらゆる手段を講じて戦争につながるあらゆる可能性を断っていくのが政治家の仕事・責任であるはずです。クラウゼビッツの以下の指摘を、現在の日本に当てはめて考えてみる必要があります。

(1)戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為

(2)暴力…は手段であって、敵にわれわれの意志をおしつけるのが目的である。この目的に確実に到達するためには、敵の抵抗力を奪わねばならぬ。そしてこれが概念上戦争行動の本来的目標である。これが、敵にわれわれの意志をおしつけるという戦争目的にとってかわる。

(3)戦争とは単に政治行動であるのみならず、まったく政治の道具であり、政治的諸関係の継続であり、他の手段をもってする政治の実行である

(4)政治的意図は目的であって、戦争は手段であり、そしていかかる場合でも、手段は、目的を離れては考えることはできない

6.今、日本が中国や北朝鮮と戦争を起こすとすれば、

(1)戦争目的は何でしょうか?

(2)中国と北朝鮮に対して「暴力」である「戦争」によって「どのようにわれわれの意志をおしつける」のか、そうしてどのようにして「戦争目的」を貫徹するか、です。

(3)「この目的に確実に到達するためには、敵の抵抗力」をどのように奪っていくのか、です。米軍と自衛隊で可能でしょうか?

(4)更に言えば、戦争に勝利したからと言って、「われわれの意志をおしつけ」続けることは可能でしょうか?特に「その(戦争)本来的性格である暴力性、盲目的な自然的衝動とみなすべき憎悪及び敵愾心」を煽ってはじめて成り立つ戦争後の両国国民に、どのような感情がつくられるか、それは現在の両国民を観れば明瞭です。戦争屋の政治家は責任が持てるでしょうか?

7.以上のように、クラウゼビッツの「戦争論」を当てはめて考えると、佐藤議員や片山議員など改憲派の政治家たちの「戦争論」認識の貧困さが浮き彫りになります。

8.今、中国・韓国・北朝鮮・ロシア・アメリカの政治家たちが必要なことは、「北東アジアの人々をスパイラル的に不幸」に陥れていく戦争につながるあらゆる可能性を断っていく努力です。平和につながるあらゆる可能性を育てていくことです。

9.このことは、「人民間ニ現存スル平和及友好ノ関係ヲ永久ナラシメンガ為国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ率直ニ抛棄スベキ時期ノ到来セルコトヲ確信シ…国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言」した、現行憲法の原則の源である、あの不戦条約に立ち返って考えてみると、いっそう浮き彫りになります。

10.主権在民主義を採る日本にあって、国民は、こうした政治家たちを政治の舞台から引きずりおろすことです。更に言えば、中国・北朝鮮の国民との連帯を構築していくことです。そのことのみが、自らの幸福構築につながることを自覚し、行動すべきです。 

11.以上の可能性は、ネット社会の発展のなかで、大きく前進していくことでしょう。愛国者の邪論が少しでも貢献できることを願ってやみまんせん。

以下、記事を掲載しておきます。 

経済気象台 朝日2013年7月31日 17面  

海外の雰囲気がそうさせるのか、このところ、国外での政治家の口の軽さが目立っている。

 中国要人と面談した自民党の元幹部は、田中角栄元首相と中国側との間で尖閣諸島の領有権を棚上げにする密約があったと北京で述べた。香港のテレビのインタビューに民主党の元首相は「尖閣は日本が盗んだと思われても仕方がない」とまで述べた。国民感情を逆なでする発言をしてしまうのは中国人の絶妙な接遇力によるのかもしれない。

「戦争は外交の延長」という趣旨のことをプロイセンの戦略家クラウゼビッツは述べている。外交の失敗は、戦争に結びつく。国権の発動としての戦争を憲法で放棄した我が国の政府は、この大切な外交戦略も放棄したかに見える。

 尖閣諸島で「領土問題は、わが国には存在しない」と国内向けに声高に叫んでも、諸外国には犬の遠吠えとしか聞こえない。それを見越した隣国の政治家たちは、政権基盤のもろさを補うために、日本たたきを繰り返してきた。最近はそれが行き過ぎて、日本の右傾化を促すという逆説の構造も出てきている。

 日本国民は平和を愛好する民族であるが、政権がそうだとは限らない。先の無謀な戦争でも、軍部や一部の好戦論者が先導していった。

景気回復を追い風に、安倍内閣は参院選で圧勝し、久しぶりの長期政権になりそうだ。今後、右傾化の動きが加速することも予想される。これが隣国をいら立たせ、その結果、我が国の国民を更に不安に陥れ、一部を偏狭な国家主義に走らせる。国民主権を制約するような改憲論議も加速化するかもしれない。これが北東アジアの人々をスパイラル的に不幸にさせていく。(匡廬)(引用ここまで 

クラウゼビッツ『戦争論』(徳間書店昭和40年刊)より

2 定義

 ここではいきなり戦争についての面倒な公法上の定義に入りこむことをしないで、戦争の内在的本質である決闘的性格について考察しようと思う、戦争とは、要するに、決闘の拡大されたものにほかならない。われわれは、個々の決闘が無数に集まり、それが一つの統一ある全体をなしたものが戦争であると考えようとするものであるが、その場合、二人の格闘者の姿を思いうかべるのが便利である。格闘者はそれぞれ、自分の意志をつらぬくために、互いに物理的な暴力を用いて、相手を屈服させようとする。その当面の目的は、相手をやっつけ、それによって、それ以上のいっさいの抵抗を不可能ならしめるにある。

 つまり、戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である。

 暴力は、敵の暴力に対抗する必要上、いろいろな技術上、科学上の発明を利用する。国際法上の慣例という名目のもとに、この暴力の行使にいろいろな制限が課されることは事実であるが、それらの制限は、ほとんどとりたてていうに値しないほどささやかなものであって、暴力の効果をいちじるしく弱めるものではない。かくて暴力、つまり物理的暴力(というのは、国家及び法律の概念以外に、精神的暴力というものは存在しないからである)は手段であって、敵にわれわれの意志をおしつけるのが目的である。この目的に確実に到達するためには、敵の抵抗力を奪わねばならぬ。そしてこれが概念上戦争行動の本来的目標である。これが、敵にわれわれの意志をおしつけるという戦争目的にとってかわる。戦争目的の方は、戦争自身に直接関係ないものとして、多かれ少なかれ後方におしのけられてしまう。 

 24 戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない

 要するに、戦争とは単に政治行動であるのみならず、まったく政治の道具であり、政治的諸関係の継続であり、他の手段をもってする政治の実行である。戦争に固有のものとしては、その手段の特性に由来するもの以外にない。政治の方向及び意図をこれらの手段と矛盾させないようにしようというのは、一般に兵学の要求しうる権利であり、個々の場合に将軍が要求しうる権利である。そしてこの要求は決して無視していいものではない。とはいえ、たとえ個々の場合、こうした要求が政治的意図に及ぼす反作川がどんなに強かろうと、この反作用は、常に政治的意図の修正の範囲外に出るものではない。というのは、政治的意図は目的であって、戦争は手段であり、そしていかかる場合でも、手段は、目的を離れては考えることはできないからである。 

 28 本章の結論

 要するに、戦争とはまったくカメレオンのようなものである。個々の具体的な場合についてその性質に幾分かの変化が生ずるだけでなく、その現象の全体についてそれを支配している諸傾向を見ると、それが奇妙な三位一体をなしていることがわかる。第一に、そこには、その本来的性格である暴力性、盲目的な自然的衝動とみなすべき憎悪及び敵愾心がある。第二に、蓋然と偶然の働きがある。それは、戦争を一つの自由な精神活動たらしめる。第三に、戦争は、政治の道具としての従属的性質をもっている。これによって戦争は、もっぱら理性の活動舞台となる。

 これらの三方面のうち、第一のものは、主として国民と関係があり、第二のものは、将軍およびその軍隊と関係がおり、第三のものは、政府と関係がある。戦争中爆発すべき激情は、すでに戦争に先立って国民のなかに存在していなければならない。偶然の支配する蓋然性の世界において勇気と才能がどれほどの役割を発揮しうるかは、将軍やその軍隊がどういう性格をもっているかに関係かある。

最後に政治的目的についていえば、それは、もっぱら政府の仕事である。

 戦争の三つの要素を構成するこれらの傾向は、戦争の本質に深く根ざしているものであるが、それが演ずる役割は、常に同一ではない。そのいずれかを無視したり、あるいは、それらの傾向のあいだに勝手な関係を設定しようとするような理論があれば、このような理論は、たちまち現実世界と衝突し、それだけでも無用なものとなってしまう。引用ここまで

コメント (1)
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