地方紙の役割は各地の戦前70年戦後70年を総括することだ!
前回は全国紙を掲載しました。今回は現段階で公表されている地方紙を掲載します。本来であれば、それぞれ各地において戦争を視る視点があるはずです。しかし、それに基づいた「戦後70年」問題になっていません。前号でも強調したように、戦後70年を強調すればするほど戦前70年が強調されなければなりません。
その点、北海道は憲法平和主義を指摘してはいるものの、信濃毎日・中国・沖縄タイムスの視点は、地方の視点が欠落しているのは問題です。
北海道の近代史はどうだった。アイヌ問題、強制連行問題、旭川連隊問題があります。戦後は、ソ連「脅威」論の最前線基地としてどうだったか。いわゆる北方領土問題は、未だ「戦後が終わっていない」ことが浮き彫りです。
長野は満州移民問題と松代大本営と強制連行問題があります。
ヒロシマは戦前は西日本最大の軍事都市として、大陸侵略の出陣港があり、何より原爆投下がありました。戦後はアメリカの核兵器の傘との矛盾、日米の軍港が今もあります。
オキナワは、もはや言うことはありません!
以上の問題と課題が、未だ解決していないのは、ズバリ、侵略戦争の反省の上に制定された憲法を否定する勢力、戦争指導勢力・戦争犯罪人勢力を政権の座に座らせたアメリかの存在があります。と同時に、彼らを使って憲法違反の日米軍事同盟を、共通の「敵」であるソ連=共産主義への「抑止力」として位置付け、その拡大強化に努めさせてきたことが最大の要因であることを強調しないわけにはいきません。
その日米軍事同盟を使ってベトナム・インドシナ戦争に協力加担させ、無辜の民衆を殺害し財産を奪ってきたこと、国際法に違反したアフガン・イラク戦争の「後方支援」を担当させたことを視れば、この同盟を維持強化させてきたアメリカの意図は明らかです。しかも、その最大の出撃知基地はオキナワでした。
安倍首相は、戦後の平和国家としての位置付けを、この日米軍事同盟においていることは、様々な発言から明らかです。マスコミも、この点について批判をしていません。日米同盟を「公共財」日本の繁栄を築いた礎であることを強調しているのです。加害者意識は全くありません!
アメリカが、この軍事同盟を容認させる最大の口実は、朝鮮半島の分断や領土問題を未解決にしておくことでした。そのことで「危機」と「脅威」を創りだし、日米・米韓軍事同盟を正当化してきたのです。これは「逆コース」の中で片面講和として調印された、いわゆるサンフランシスコ平和条約を視れば明らかです。これがポツダム宣言とは真逆の方向に、その足を歩むための「合法的」策略でした。
こ子で示された戦略によって憲法9条の理念を使うことをサボってきたのです。憲法9条を使うということは、すなわち「平和外交」路線=「対話と交流」を中心にした国家間の関係づくりを日本の外交路線の中心とするということです。これこそが、「軍事抑止力」に代わる平和的手段(非軍事的手段=非軍事的抑止力)を駆使するということなのです。しかし、このことを一貫して形骸化してきたのです。このことは、現在のオバマ政権と安倍政権の手口を視れば一目瞭然です。
以上の視点に立って戦前70年と戦後70年を一括して捉えていくことが必要不可欠です。このことは外国がどのように言うからなどという問題ではありません!日本国民と日本国政府の課題です。そのことが憲法の条文の随所に書かれているのです。
ところが、現行憲法の第97条を削除している自民党の改悪改憲案を視れば、自民党が何を狙っているか、一目瞭然です。これを来年の参議院選挙をとおして改悪していこうとしているのが安倍政権です。戦後70年談話がどのようなものになるか、どのようなものにしようとしているのか、一目瞭然ではないでしょうか。国民が声をあげる時です。
以下、地方紙の社説が、以上のような視点に立っているか、ご覧ください。
憲法平和主義を否定しようと画策している安倍首相に期待できるか!
今後も憲法の平和主義にのっとった歩みを続けることを期待できるか!
北海道新聞 戦後70年談話/問われる有識者の姿勢 2015/2/26 10:00
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/594763.html
安倍晋三首相が8月に発表する戦後70年談話に関する有識者懇談会がきのう、初会合を開いた。今夏までに意見をまとめ、首相はそれを踏まえ談話を決定する。
首相は「未来志向」の談話とすることに意欲を示す一方、1995年の村山富市首相談話で明記された「植民地支配と侵略」などの文言をそのまま踏襲することには否定的だ。歴代内閣が継承してきた歴史認識の変質と受け取られれば、ただでさえ冷え込んでいる中韓両国との関係が一層悪化するだけでなく、日米関係まで損ないかねない。
有識者懇談会は、村山談話を政府の歴史認識の基礎と位置づけ、今後も憲法の平和主義にのっとった歩みを続けることを明確に打ち出すよう提言してほしい。
会合で首相は、70年談話の論点として、20世紀の教訓や戦後日本の国際貢献、戦後の日本とアジア諸国との和解、21世紀の世界ビジョンの在り方などを挙げた。歴史認識に関し、首相は国会答弁で「歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」とし、先のNHK番組では村山談話など過去の談話の表現を盛り込むかどうかは「こまごました議論」と述べた。
しかし「植民地支配と侵略」や「心からのお詫(わ)び」「国策を誤り」といった文言は村山談話の核心を成すものだ。それを軽々に変えれば諸外国は日本政府の歴史認識が変わったと受け止めるだろう。
70年談話に対しては既に米中韓各国から懸念が示され、中国の王毅外相は国連安保理の会合で、名指しこそ避けながらも「過去の侵略の犯罪を歪曲(わいきょく)しようとする者がいる」と首相をけん制した。公明党の山口那津男代表が「キーワードは極めて大きな意味を持っている」と、首相に表現を受け継ぐよう求めたのは当然である。
心配なのは有識者懇談会に首相の外交・安全保障観に近いと目されるメンバーが多くいることだ。特に座長代理の北岡伸一国際大学長は、安保法制に関する懇談会の座長代理として集団的自衛権の行使容認を主導した経緯がある。座長の西室泰三日本郵政社長は79歳と戦前、戦中を知る世代で、「新日中友好21世紀委員会」の日本側座長でもある。村山談話の歴史認識を後退させる提言にならぬよう、議論をリードしてほしい。首相は新談話の国会への事前提示に否定的だが、その内容は国益に関わる。有識者懇談会だけでなく、骨格や原案を国会に示して各党の意見を仰ぐべきだ。(引用ここまで)
自国民だけでなく、アジアを中心に他国に多大な損害を与えたのは何故か!
植民地支配や侵略に対する反省がしっかり引き継がれるかがポイントになるか!
信濃毎日 戦後70年談話/出発点を踏まえてこそ 2015/2/26 10:05
http://www.shinmai.co.jp/news/20150226/KT150225ETI090003000.php
安倍晋三首相が夏に発表する戦後70年談話に関する有識者懇談会の論議が始まった。首相は1995年の村山談話を継承する考えを示しながら、表現を変える可能性も示唆している。談話は過去の植民地支配と侵略を認め、アジアの人々に「心からのおわび」を表明したものだ。
日本は明治以降、朝鮮半島を植民地化し、中国では軍部の謀略で満州事変を起こし、支配地や戦線を拡大していった。そして第2次大戦に突入し、敗れた。自国民だけでなく、アジアを中心に他国に多大な損害を与えている。戦後はその反省に立ち、平和国家として歩むことを決意し、世界の中で存在感を示してきた。
首相は「未来志向」の内容にすると盛んに強調するけれど、過去を軽視して、未来を語るわけにはいかない。植民地支配や侵略に対する反省がしっかり引き継がれるかがポイントになる。村山談話の核心がぼやけぬよう、懇談会は慎重な論議を行うべきだ。
初回の会合は、座長に日本郵政社長の西室泰三氏、座長代理に国際大学長の北岡伸一氏を選んだ。夏までに報告をまとめる。懇談会は首相の私的諮問機関の位置付けで、メンバーは16人。多様な視点から議論してもらうため専門分野や世代などバランスに配慮したと説明されている。しかし、布陣を見ると、首相に近い人や保守派人脈に連なる人物が目立つ。ナンバー2を務める北岡氏は安全保障に関する有識者懇談会の中核で、懇談会は集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更を提言した。安保政策同様、首相の意向に沿う格好で、議論が進む可能性が否定できない。
安倍首相は第2次政権発足直後から新しい談話を出すことを表明してきた。中国や韓国は戦後50年の村山談話、同60年の小泉談話で示された歴史に関する日本政府の公式見解が後退するのではないかと警戒感を強めている。新談話によって東アジアの緊張がより高まることに神経をとがらせている米国も同様だ。
国内でも懸念する声が強まっている。河野洋平元衆院議長は村山談話の表現を踏襲することを求めた。自民党の高村正彦副総裁も村山、小泉両談話を明確に継承した上で、未来志向の内容にするべきだとの認識を示している。野党からも同様の声が相次いだ。懇談会は、戦後日本の出発点をきちんと踏まえ、国際社会から広く理解される内容にすべく、論議を深めてもらいたい。(引用ここまで)
「今度こそ『結論ありき』は許されまい」とは現実追随極まった!
何故原爆が投下されたか!議論すべきだ!
被爆都市ヒロシマの視点まるでなし!
「平和国家としてのスタンス」とは何か!明らかにすべきだ!
中國新聞 「 戦後70年」有識者懇/過去を直視した議論を 2015/2/21 12:00
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=132338&comment_sub_id=0&category_id=142
議論の行方が国内外から大きな注目を集めることになろう。戦後70年談話に関する有識者懇談会のメンバーが決まった。来週に初会合を開く。安倍晋三首相の私的諮問機関という位置づけである。先の大戦への反省に加え戦後の平和国家としての歩み、今後の世界への貢献を書き込む—。政府が掲げる基本方針を踏まえ、談話の中身を方向付ける重い役目を担うことになる。首相の思いにこだわらずに予断なく議論を重ね、遠慮なく直言していくべきであろう。16人のメンバーの人選については評価が分かれよう。首相に近い人物が入る一方、座長に就く予定の西室泰三日本郵政社長をはじめ、首相の政策ブレーンでない有識者たちも起用した。専門分野や世代などでバランスを取ったようにも見える。人選を前に、自民党の伊吹文明前衆院議長は「お友達ばかり集めただけではいけない」と注文を付けていた。ここは安倍カラーを抑えるよう配慮せざるを得なかったのかもしれない。
菅義偉官房長官は記者会見で「多様な視点から議論をいただく」と述べた。ただ過去の戦争や植民地支配についてどこまで突き詰めて論じられるかは必ずしも見通せまい。先の大戦を直接の研究テーマとする一線の研究者をもっと参加させる発想はなかったのだろうか。この談話次第では、冷却化する中国や韓国との関係をさらに悪化させる懸念が拭えない。後世にわたる対日感情を左右しかねないことを十分に認識してから議論を始めるべきだ。焦点はやはり1995年の村山談話で明記した「植民地支配」や「侵略」の扱いであろう。
首相は「村山談話を全体として継承する」と国会などで強調するものの、これらの文言をそのまま用いるかどうかはあいまいなままにしている。これに対して公明党の山口那津男代表は過去の談話と「意味が変わらないものにすべきだ」などと、繰り返しけん制している。
そうした状況だけに懇談会は過去とどう向き合うかはもちろん、平和国家としてのスタンスを論じ合う機会にすべきだ。進め方も考え直したい。官邸が用意したたたき台に沿って自分たちだけで机の上で話し合う方法では限界があるからだ。
メンバーには何より客観的な事実を追い求めるべきジャーナリストが2人いる。いっそ中国や韓国を含めた歴史家、あるいは戦争被害者からヒアリングしてはどうだろう。限られた期間とはいえ、海外での調査も選択肢の一つではないか。少なくとも過去の現実を直視する姿勢を大前提にしてもらいたい。
思い出すのは集団的自衛権の行使容認を検討した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)である。同じく首相の私的諮問機関であり、結果的には昨年7月に行使容認の憲法解釈の変更へと道を開く露払い役となった。しかし結論に至る経過は不透明なままで、密室で進めたという批判を浴びた。ここで座長代理を務めた国際大学長の北岡伸一氏は、今回も同じポジションに就く見通しである。今度こそ「結論ありき」は許されまい。談話自体に加え、そのプロセスが問われていることを忘れてはならない。(引用ここまで)
オキナワの現実を視れば安倍首相の歴史認識はあきらか!
戦前戦後のオキナワに欠落しているのは憲法9条だ!
沖縄タイムス 戦後70年談話/過去と真摯に向き合え 2015/2/26 6:06
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=104693
戦後70年にあたり、安倍晋三首相が夏に発表する新たな談話について検討する有識者懇談会が初会合を開いた。安倍首相は談話について「先の大戦への反省」「戦後の平和国家としての歩み」「世界の平和と安定に向けた貢献」の3本柱で構成する意向を示している。安倍首相の談話をめぐっては、戦後50年の村山富市首相談話や戦後60年の小泉純一郎首相談話をどこまで継承するかが、焦点として浮上している。
村山談話は「植民地支配と侵略によってアジアの人びとに多大の損害と苦痛を与えた」と認め、痛切な反省とおわびを表明した。小泉談話もこれを踏襲した。
安倍首相は村山談話について「歴代首相の談話を全体として引き継ぐ」と述べる一方で、文言をそのまま継承するかは明らかにしていない。1月のNHK番組で「今までのスタイルを下敷きとして書くことになれば、『使った言葉を使わなかった』『新しい言葉が入った』というこまごまとした議論になっていく」とも語っている。
「植民地支配と侵略」「反省とおわび」は、村山談話の根幹をなす重要なキーワードである。その後の歴代内閣にも引き継がれ、日本の公式な歴史認識として国際社会でも高く評価されている。仮にそのキーワードを使わなかった場合、村山談話を骨抜きにし、その価値を台無しにする恐れがある。逆に歴史修正主義的なメッセージと受けとられれば、中韓との関係悪化は決定的になるだろう。
気がかりなのは、過去に安倍首相が、村山談話の見直しに意欲を示していたことだ。2013年4月の国会答弁では「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べた。さらに「侵略の定義は定まっていない」とも語った。
安倍首相が歴史問題でどのような立場をとるかは、中韓のみならず米国も神経をとがらせている。米国務省のサキ報道官は、村山談話と、慰安婦問題に対する反省と謝罪を盛り込んだ河野洋平元官房長官の談話を「近隣諸国との関係を改善する重要な区切りだった」と述べ、安倍政権が引き継ぐことが好ましいとの考えを示している。
中国の王毅外相は23日、国連安保理事会の公開討論会で「過去の侵略の罪のごまかしを試みる者がいる」と演説した。名指しはしなかったが、戦後70年談話を前に安倍首相をけん制したのは明らかだ。
有識者懇談会は、西室泰三日本郵政社長を座長に16人で構成する。西室氏は「新日中友好21世紀委員会」の日本側座長を務め、中国にパイプを持つ。北岡伸一国際大学長や中西輝政京大名誉教授など首相に近い有識者のほか、ジャーナリストも入る。多様な視点からの幅広い議論を望みたい。有識者だけでなく、各党の意見を聞く必要もある。
安倍政権がどのような歴史認識を持ち、どこに向かおうとしているのか、世界の注目を集める談話である。過去と真摯(しんし)に向き合う姿勢を示すことだ。(引用ここまで)
「小泉元首相の誇らしい一節」って褒めるが、言葉遊びは止めろ!
「わが国の戦後の歴史は、
まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります」と言っているが
この首相が国際法違反のイラク戦争を支持して自衛隊を派兵した!
名古屋地裁では違憲判決が出された!しかし政府は無視をしている!
国際法違反のアフガン・イラク戦争に協力加担して「平和国家」と言えるか!
西日本の地元は風船爆弾製造地だった!それが原爆投下予定地となったのだ!
この事実を忘れるな!
西日本新聞 戦後70年談話/反省なしに未来は語れぬ 2015/2/26 12:00
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/148080
安倍晋三首相は今年の夏、戦後70年を迎えるにあたっての首相談話を出すことにしている。
「安倍談話」はどんな内容になるのか。これから夏に向けて、内外の関心が高まっていくだろう。
この談話について検討する「21世紀構想懇談会」の論議が、25日から始まった。懇談会は安倍首相の私的諮問機関という位置付けで、学者や経済人、報道関係者など16人がメンバーに選ばれた。懇談会が談話を書くのではなく、ここでの論議を参考にして、政府が談話の文面を作るのだという。顔触れを見ると、保守派の論客が多いが、それ以外のメンバーも含まれており、バランスには一定の配慮がうかがえる。活発で透明性の高い論議を期待したい。
安倍談話が注目されるのは、日本政府が日中戦争や太平洋戦争など、20世紀の歴史についてどのような認識を抱いているか、国際社会へ発信する機会となるからだ。安倍首相は、談話に「先の大戦への反省」「戦後の平和国家としての歩み」「今後のアジア太平洋地域や世界への貢献」を書き込むと説明している。全体としては「未来志向」を前面に掲げた談話を目指すとみられている。その中で「反省」をどんな言葉で表現するかが、談話作成をめぐる焦点となるだろう。
▼「こまごま」ではない
1995年夏、当時の村山富市首相が戦後50年の談話を発表した。いわゆる「村山談話」だ。この談話は、日本が過去の一時期「植民地支配」と「侵略」によって、とりわけアジア諸国の人々に多くの損害と苦痛を与えたとして、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明している。
村山談話ばかりが取り沙汰されるが、小泉純一郎首相(当時)による戦後60年談話も、この表現をほぼそのまま使っている。両談話の歴史認識は、その後の日本外交の基礎となり、国際社会における日本の信頼を維持してきた。
安倍首相は70年談話について村山、小泉両談話を「全体として引き継ぐ」と述べる一方で、「侵略」「植民地支配」や「おわび」などのキーワードを継承するかどうかに関しては明言を避けている。首相のこうした姿勢は、よほど「侵略」や「植民地支配」を認めたくないのだろう-という印象を内外に与えている。首相はこうした文言の議論を「こまごました議論」と評したこともある。しかし、本当にそれは「こまごまとした」ことだろうか。そもそも「侵略」や「植民地支配」という言葉を使わずに「反省する」と言ったところで、何を反省するのか分からないのではないか。
よく企業やタレントが会見で、不祥事の事実を認めないまま「世間を騒がせたことをおわびします」と頭を下げる場面を見る。首相の出す談話が、そんなずさんな論理展開になるようでは困る。
▼もっと戦後に誇りを
「歴史修正主義」という言葉がある。客観的な歴史学の成果を無視し、歴史を自分に都合よく書き換えようとすることを指す。中国や韓国だけでなく、米国の一部からも「安倍首相は歴史修正主義的ではないか」と疑う声が上がっている。首相がこうした疑念を晴らさなければ、日本は国際社会で孤立しかねない。
過ちを犯さない人間はいない。しかし「自分は間違っていない」と言い張る人より、過ちを率直に認め、二度と繰り返さないよう努力する人の方が信頼され、尊敬される。人間社会の条理である。過ちを犯したことのない国家もない。日本を批判する中国も韓国も、米国も欧州諸国も、歴史が長く力の強い国であるほど、他国に軍を送り、国内外で弱者の人権を侵害した過去を持つ。
その中で日本は、過去の反省の上に立って、戦後は一度も他国と戦火を交えず、途上国の経済発展と生活向上を支援してきた。それこそが、国際社会で尊敬と信頼を築いてきたゆえんであろう。いまさら過去の失敗を覆い隠すことに、何の意味があるのだろうか。
反省やおわびは決して「自らをおとしめる」ことではない。小泉談話にはこんな誇らしい一節もある。「わが国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります」
過去をしっかりと見つめなければ、未来も語れない。(引用ここまで)