「憲法を活かす!」とはどのようなことか!
国家の最高法規である日本国憲法の形骸化の象徴
日米軍事同盟優先政治によって
国民を思考停止に陥れた日米支配層のネライを打ち破れ!
日米軍事同盟を廃棄して
対等平等の憲法を活かす日米平和友好条約の締結だ!
平和五原則・バンドン十原則・TACの前例がある!
室伏謙一 9月2日によせて
ー日本の敗戦が確定した日から脈々と続く従属から脱するために
2015年09月02日 23:14
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大東亜戦争の終戦というと8月15日が想起されることが多いようであり、敗北を認めてこれが確定した日が9月2日であるということを思いつく人は、それ程多くないようである。
70年前のこの日、敵艦ミズーリー号の甲板で降伏文書に署名し、日本の無条件降伏が正式に確定した。「敗戦」、「敗北」を「終戦」と言い換え、9月2日ではなく、ポツダム宣言を受託することを通告した8月15日を「終戦の日」としたことで、戦後日本人の思考回路では、「戦争が終わってよかった」、「戦争が終わって平和になった」というように、「敗北」という不都合な真実から目を逸らすものに転換されてしまったように思う。
「敗戦」ではなく「終戦」としたのは誰か!韓国では「光復節」だ!皇軍占領地では「解放」です!
「一億玉砕」から「一億総懺悔」としてごまかしたのは天皇の戦争責任を免罪するためだったことをゴマカシてはなりません!
ポツダム宣言のスリカエが行われていた!何故か!天皇問題=「国体護持」があるからでした!
無論、戦争を継続しておけばよかったと言うつもりはないし、戦争の惨禍がそれ以上に積み重なることなく集結したこと自体を否定するつもりもない。また、戦争のない平和な状況は本当に望ましいものである。
しかし、敗北は敗北であり、本来であれば屈辱の日であるはずである。ちなみに、中国では9月2日は抗日戦争勝利の日であり、お祭りの日であるようだ。
ここにスリカエがあります!「屈辱」観は、「国民」ではなく、権力者と権力の一体となって大儲けしていた財閥など、戦争責任を免責する天皇=「国体護持」利権集団といえます!
これをゴマカス論調です!偏狭なナショナリズム扇動!このスリカエを丁寧に暴く必要があります!
国民は疲弊していた!戦争が終わってホッとしてたし、何よりも治安維持法違反で投獄されていた者たちのことを一言も言わないのは、人権・民主主義・平和主義・法の支配という点から視れば大問題ではないでしょうか!
その後、戦勝国による占領という更なる屈辱的な扱いを受けた。これもいつの間にか悪くはなかったことのように、サラッと扱われるようになった。(戦勝国アメリカ様に感謝する輩までいるようだ。また、従軍慰安婦の話では騒いでも、占領軍による婦女暴行事件が多発した話や吉田茂が進んで占領軍向けに日本人慰安婦を集めて慰安所を設置させた話で騒がれることは滅多にない。)
敗戦から70年経った今日でも占領軍の基地は各地に存在し、その規模は米国以外の海外にある米軍基地としては最大であるとされている。そればかりではない、東京の上空の空域は米軍に抑えられ、自由に飛行機を飛ばすことさえできない。(ところが、米軍基地があることをウリにするという、本末転倒、頓珍漢な地域まで出てくる始末。従属根性、奴隷の幸福ここに極まれり、ということか。身近な問題として、緊張感を持って考えているのは、沖縄の人々ぐらいだろうか。)
日米軍事同盟を一言も言わない!ここに偏狭なナショナリスト、偏狭な愛国者のスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソ・トリック・策略がある!国民の中に潜む「愛国心」を、ここでも悪用しようとしていることが判ります!
これは、安倍政権批判が日米軍事同盟批判に転換してきていることを利用して、憲法改悪後の「国防軍」化を謀る策略とみるべきです!
これは明治中期の自由民権運動の要求であった「不平等条約撤廃」の運動を、「国権」論にスリカエて、日清日露戦争を遂行するエネルギーに発展させていったことを想起する必要があります!
敗戦の日を終戦の日と言い換え、日付もずらすことで、敗北に対する屈辱意識を持てなくなったばかりか、自分達が未だに戦勝国によって縛られ、自由を制限され、従属状態にあるという認識も持てなくなった。(個別の問題では出てくることがあるが、多くの場合それが屈辱意識につながることはないように思う。)
「自分達」とは、誰か!全く曖昧です!スリカエが浮き彫りになります!「屈辱」は、血税を米軍のために支出させられている国民。米軍基地のある地方自治体の住民。沖縄を視れば明らかです。
「自由」を「制限」し、「従属状態」に置いているのは、戦後自民党政権であることを問題にすべきです。その自民党政権が、日米軍事同盟の深化のために、憲法を否定しようとしているのです。それが国民生活を「自由」を制限していることは、明らかです。
更に更に、このことは国民の安全保障観にも大きな影響を与えている。占領軍が居座り続けていることで、自らの手で自国を守ろうという意識が希薄になり、いつのまにか、戦勝国であり占領国に守ってもらおうなどという発想にまで屈折し、退化してしまった。(日本に自主防衛力を持たせないというアメリカの意図からすれば大成功であるが。)
これもスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソ・トリックです。憲法9条の平和主義と前文の国際協調主義を使ってこなかったことを、全く語っていません!
我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化してきている。中国の強大化と膨張政策がその際たるものであるが、今のまま守ってくれるかどうかわからない外国軍にべったり寄りかかり、自主防衛力の整備・強化を怠る国など、その中国からすれば相手にもならないだろう。
「脅威」論に基づく「軍事抑止力」論の破たんをゴマカシています。そもそも日米軍事同盟そのものが「軍事抑止力」論そのものです。また「安全保障環境変化」論こそ、「軍事抑止力」論です。日米軍事同盟を強化すれば、当然、それに対抗する「軍事抑止力」論の向上論が出てくることはイロハです。
自分だけが「被害者」ぶっているのです。それで軍備強化を正当化してきたのですが、今度は、「従属」論と合わせて「自立防衛」論を扇動する方向に、世論を誘導しようとしているのです。それを中国の責任に転嫁しているのです。中国との経済的関係をゴマカシて!
そんな折りも折、戦勝国への従属を強化しようとする法案を是が非でも通そうとする安倍政権。「日本を取り戻す」とは日本の自主独立を取り戻すことなのかと思いきや、日本の占領・隷属状態を取り戻すということだったようである。
日本の自衛隊をアメリカに売り渡し、領土領海を中国に売り渡す、安保法制政府案によって安倍政権が目指すものはそれにしか見えない。
9月2日は敗戦、敗北の日である。この認識を持つところから、日本人の意識を再構成し、独立国日本の国民としての意識を取り戻すところまでしなければ、2020年は東京オリンピックどころではなくなるかもしれない。(たかがエンブレム問題で大騒ぎしている場合ではないし、そんな姿は中国政府からすれば滑稽にしか映らないだろう。)(引用ここまで)
「独立国日本の国民としての意識を取り戻す」「日本の自主独立を取り戻す」ためには憲法を使うのです。憲法の平和主義・国際協調主義を使う!紛争は平和的手段、非暴力的・非軍事的手段しか使わない!紛争の火種を断つ!それが憲法の理念です。侵略戦争の反省の上に立った教訓です。
愛国者の邪論は、違憲の自衛隊は、災害救助隊・国境警備隊・紛争調停隊に改組することだと思っています。これこそが憲法を活かす道です。国民の中にある、自衛隊員の中にある愛国心・良心・正義感を、このような組織的改変で、活かしていくのです。
紛争解決と紛争の火種の鎮火は、政治的経済的文化的交流を多様に発展させることで解決できるはずです。
この憲法を活かす!論は、戦後自民党政権の憲法形骸化、ないがしろ政策によって、思考停止状態に落とされています。ここが最大のポイントです。使っていないツールを、使うこととで光輝かせていくのです。