川崎大師平間寺へ、京濱急行線に乗って出掛ける。信州善光寺詣りと並んで今月に参詣したいと願ひ續けてゐて、ふうっと「今から行かう」と思ひ立つ。さう思った時が、御縁の結ばれた時なのである。境内に入ると、本堂の軒先に吊されたいくつもの風鈴が澄んだ聲で夏風に泳ぎ、参詣者に涼を送る。人災疫病禍の元年には不安ゆゑに何度も足を運び、二年目からは思ひ付ひた時に足を運び、いま三年目の半ばと云ふ節目に至 . . . 本文を読む
ラジオ放送で、寶生流の「千手」を聴く。源平合戰で源氏方に生け捕られ、出家の願ひも叶わず失意に沈む平重衡と、頼朝の命で慰めに訪れた遊女千手の、束の間の心の交流──かつて今回の放送と同じ寶生流の舞臺でこの曲を觀たとき、一度は平重衡との面會を拒否された千手が、いざ會へる段になり引き戸を開ける型をした際、面(おもて)がいかにも嬉しさうな表情を浮かべたのを、私は確かに觀てゐる。このあとで二人は、實はただ心だ . . . 本文を読む
師匠とも親しく、また同ひ年でもあった人間國寶が、今月二十三日に八十九歳で亡くなったと知る。私は“母校”において、その精力的且つ献身的な實技指導を受けてゐたが、私はそれに對し生意氣な態度を見せて不快にさせ、「あいつは扱ひにくい……」と嘆息させてばかりゐた。あの當時はまだまだ若かったとは云へ、いま思ひ返せば恐ろしいことをしたものだと思ふ。“若さ”と云ふことの怖さ──私はそのことを教へられてゐたことに、 . . . 本文を読む