今年のお盆は鐵道會社も大苦戰云々。
その様子は、五月の大型連休の時を思ひ出させる。
ちなみに私は父方も母方も東京者ゆゑ、“故郷(クニ)へ帰る”と云ふ感覺はない。
先日も、東北の“クニ”へ帰省したら翌日に苦情をしたためた紙が置かれてゐた、とその現物が報道屋を通じて公開されてゐたが、さうなってくるともはや、その土地は“故郷”ではない気がする。
故郷とは、「心」の帰る場所であらうから。
ただはっきり言えることは、一日も早く安心して“クニ”へ帰りたければ、今はまだ確かな治療藥が無い以上、各々の自覺力でこの人災を終熄させるほかに術はない、と云ふことだ。
そして今夏は、東海道本線の東京~大垣間を結ぶ夜行快速「ムーンライトながら」の運転を行はない云々。
「ムーンライトながら」と云へば、青春18きっぷに象徴される節約鐵道旅行の王道。
私も大阪に住んでゐた時代に二度上り(東京行き)に乗ったが、なんとなく好きになれず、それよりちゃんと横になれる寝台急行「銀河」のはうにむしろ魅力を感じてゐた──たぶん「銀河」と云ふ響きの良さもあったと思ふ──。
それきり無縁となった列車ゆゑ、かの「ムーンライトながら」には何の気持ちも無い。
むしろ、今夏の運転中止と云ふ決定そのものに、私はこの病菌騒動の“重さ”を感じる。
この時期は上りも下りも、終点まで乗り通す“お仲間”と俄か旅行者とで満席状態なのだらうから、當世流行りの“集團感染”となる可能性はとても高い。
電車内での感染の可能性について、浮世ではまだ黙殺傾向にあるが、この長距離長時間列車が“感染経路”と確認されたら、さすがさうもいかなくなるだらう。
とにかく多種雑多、何だかわからん者同士で過密化する列車なのだから。
かつては辛うじてそれらしい風情のあった普通列車の旅も、地方車輌の通勤型化、また第三セクター化によってかつての樂しさはどんどん喪はれ、本數が少ないゆゑに都會モノがひとつの列車に大挙するあまり、トウキョウと変はらぬ混雑ぶりを呈するやうになったことにすっかり閉口した私は、昨夏よりこれまでの形態を改めた。
要は臨機應変、工夫次第である。
その新しい形態も決して惡くないことが確かめられたところへ、この病菌騒動である。
ままよ。
旅は、なにも遠くへ行くばかりではない。
さう。
要は臨機應変、工夫次第だ。