橫須賀美術館で、「サルバドール・ダリ展─天才の秘密─」を觀る。

1904年にスペインの裕福な公証人の家庭内に生まれるも、自分の出生前に亡くなった兄の名を付けられたこと、母を幼くして亡くした後、父親が亡妻の妹と再婚したことなど、幼年期の複雑な家庭環境がこの後年の藝術家の心に深い傷と闇になって支配するが、その捌(は)け口を藝術に見出せた彼は幸ひだと思ふ。

そして、浮世に圧倒的多數の衆庶とは違ったおのれの感性を“異端”と決めつけられた人が、その屈託や鬱屈を作品と云ふものに表現し得る才氣、

(※案内チラシより)
そしてなにより運氣に恵まれた場合にのみ、その人は「天才」と浮世に持て囃される。

(※同)
しかしそれは、やはりどこかで“面白がられてゐる存在”であるところに、「天才を演じ續け」る者の宿命があるやうに思へた。
場内係に案内されるまま、在郷作家による収藏作品展も眺めて流す。
もしここに、サルバドール・ダリ作と札の付いた作品が掲げられてゐたら、たとえそれが凡庸なしろものであっても、われわれ衆庶は立ち止まってありがたく拝するはずだ。
會場外で、數名で訪れた高齢女性たちが、「……やっぱりダリって、難しいわネ」と話してゐた。
結局ヒトは、藝術作品を“名聲(ナマエ)”だけで觀てゐるのである。