迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

跡のあと。

2020-08-04 20:53:00 | 鐵路
神保町へ資料探しに出かけたつひでに、御茶ノ水驛前の横に架かるお茶の水橋に行く。

橋の改修工事で路面を剥がしたところ、約5cm下から昭和十九年(1944年)に廢止された都電の軌道跡が現れたのは、今年の一月下旬のこと。

軌道跡は早々に撤去されたこともあって私は實見する機會を逃し、お仲間が撮った冩真や動画でしかその様子を知らないが、せめて現場だけでも……、と思った次第。



ブルーシートの掛けられた箇所が、件の軌道跡。

お茶の水橋は何度も渡ってゐるが、その足許には軌道跡といふ“遺跡”が眠ってゐたとは……。



戰後の昭和、喪はれるものばかりだった平成、そして改元して一年足らずで病菌に侵された令和──

その三つの時代を、かの軌道跡は約5㎝のアスファルトの下で眠り續け、そして目を覺まされた途端に撤去される──


(※御茶の水橋を路面電車が通ってゐた往年の様子)


澁谷驛前の“青ガエル”も、つひに秋田縣へ引っ越しといふ名目の、撤去となった。



いま、現代人が支那病菌に太刀打ち出来ないでいる理由のひとつとして、「歴史に對する視野の狭さ」があると、私はかうした事例から感じる。






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