ラジオ放送の觀世流「求塚」を聴く。
自分を愛した二人の男の命と、なんの關はりもない鴛鴦の命とを奪ふことになった女が、死後に壮絶な地獄の責め苦に曝される曲で、能樂はかういふ世界を扱ふのも好きである。

極樂浄土については、「めでたく成佛できました」と詞章で結んでその世界を匂はせはするが、實際にどれだけ“極樂”なのかまでは描かれない。
しかし地獄の話しになると、この曲でも鴛鴦の靈が鐵鳥と化して剱(つるぎ)のやうな嘴で激しく頭を突っついてくるだの、摑んだ柱が炎となって身を焼くだのと、これでもかとばかりの描冩が續いて、むしろ觀阿彌や世阿彌はそこに極樂の境地を見出して筆を進めたのではないかとさへ思へてくる。
彼らの生きた時代は、なほも權力者たちがいがみ合ふ決して泰平ではない時代で、極樂と云ふ憧れはするがあまりピンとこない世界より、いま目の前に見える現實世界に取材したはうが、當時の見物人たちに受け容れられやすかったのかもしれない。
だがそれは、現代人には好みの激しく分かれるところで、そこにこの傳統藝能が一部の人の愛玩物に留まざるを得ない原因がある。