四月の訪れと共に、それまでの櫻が散りはじめた。

今日の花が明日には緑の衣を纒ふ。

櫻はとくに、その変はり身が早いやうだ。
そして、入れ替はるやうに私の好きな櫻──牡丹櫻が咲き始める。

世では一般に“八重櫻”と呼ぶが、私は“牡丹櫻”と呼ぶはうが好きだ。
牡丹櫻をもって、私はその年の春を知る。
道に咲く菜も、いまが目に美しい。

浮世では、もはやどこが發祥地なのかすら不明な疫病が、ヒトを次々に時世狎れによる不感症へと陥れてゐる。
瞬く間の頭痛、惡寒、發熱、吐き気、それらによる全身の痛み、そして後遺症と云ふよりまだ病状の續きとしか思へない諸症状──
それらは充分に恐ろしいが、しかしこの疫病の本當の症状は、「自粛疲れ」とも稱する狎れに表れる、『不感症』なのではないか──?
もしこの疫病が本當に人工によるものだとしたら、かうした『不感症』にさせることが、本當の狙ひだったのではないか──?
“だった”と云ふのは、すでにその目的(?)は達せられてゐるからである!
近隣の町では、まう藤が咲き始めてゐる。

五月の樂しみが、ート月も前倒しになってゐる。
ヒトが疫病對策をなんでも前倒したことへの皮肉では、よもやあるまい……。