漫画にうとい僕でも名前を知っている「おそ松くん」の作者、赤塚不二夫さんが
亡くなった。まだ72歳の若さである。彼の作品に影響を与えたという手塚治虫
さんは、もっと若く61歳でこの世を去っている。調べてみると、僕と一緒に酒を
飲んだことがある「かっぱ天国」の清水昆(山冠に昆)さんも62歳、テレビで一
緒に仕事をしたおおば比呂司さんも66歳、みんな若くしてなくなっている。それ
だけ漫画家という仕事は厳しいのだろう。
赤塚不二夫さんは若い時、豊島区椎名町(当時)のアパートに住んでいた。昭和
28年に出来た木造二階建てで四畳半一間の家賃が3千円だったという。赤塚さん
は、このアパートで仲間の若い漫画家たちと梁山泊のような生活をしていた。師
の手塚治虫さんもここに住んでいた。その時代、僕の友人の家にも関西出身の漫
画集団の若い漫画家が居候同然の生活をしていた。僕は彼らが溜まりにしていた
渋谷の屋台でよく安酒を飲んだ。今モアイ像がある南口広場で、当時飲み屋の屋
台が夜通し店を出していた。
そんな関係でなんとなく無名だった赤塚不二夫さんの「ときわ荘」時代の生活がわか
るような気がする。テレビのアニメが人気になる前は漫画家の生活は苦しかった。
地方の新聞に漫画を連載していた、飲み仲間のKさんは中央で目が出ず、深酒に溺
れて身をくずしてしまった。
今でもわが家の近くには「ときわ荘」時代の木賃アパートが残っている。昔は作家や
若い俳優が住んでいた文化的なアパートだったが、今は出稼ぎにきた外国人が集団
で住んでいる。時代の移りを感じる。
亡くなった。まだ72歳の若さである。彼の作品に影響を与えたという手塚治虫
さんは、もっと若く61歳でこの世を去っている。調べてみると、僕と一緒に酒を
飲んだことがある「かっぱ天国」の清水昆(山冠に昆)さんも62歳、テレビで一
緒に仕事をしたおおば比呂司さんも66歳、みんな若くしてなくなっている。それ
だけ漫画家という仕事は厳しいのだろう。
赤塚不二夫さんは若い時、豊島区椎名町(当時)のアパートに住んでいた。昭和
28年に出来た木造二階建てで四畳半一間の家賃が3千円だったという。赤塚さん
は、このアパートで仲間の若い漫画家たちと梁山泊のような生活をしていた。師
の手塚治虫さんもここに住んでいた。その時代、僕の友人の家にも関西出身の漫
画集団の若い漫画家が居候同然の生活をしていた。僕は彼らが溜まりにしていた
渋谷の屋台でよく安酒を飲んだ。今モアイ像がある南口広場で、当時飲み屋の屋
台が夜通し店を出していた。
そんな関係でなんとなく無名だった赤塚不二夫さんの「ときわ荘」時代の生活がわか
るような気がする。テレビのアニメが人気になる前は漫画家の生活は苦しかった。
地方の新聞に漫画を連載していた、飲み仲間のKさんは中央で目が出ず、深酒に溺
れて身をくずしてしまった。
今でもわが家の近くには「ときわ荘」時代の木賃アパートが残っている。昔は作家や
若い俳優が住んでいた文化的なアパートだったが、今は出稼ぎにきた外国人が集団
で住んでいる。時代の移りを感じる。