戦争に負けた最初の日曜日の亡父の日記である。
昭和20年8月19日(日)晴
「戦争終了後最初の公休日である。外見的には未だ世相に変化はないが、自分の気
分には相当遷った(かわった)ものがある。即ち防空頭巾と巻ゲートルは廃止した。
防空態勢から再起建設への第一歩のつもりである。よく気をつけると、街頭人の服装
も国防色が次第にへりつつある。只(ただ)困るのは無智都民のつまらぬデマ流布で
ある。六時起床日課朝食。けふ(きょう)は床屋も湯屋も休みなので終日在宅して戦局
終結に関する記録を整理したほかは何もせず。
聖上陛下には、この日、東久邇首相宮を召され、灯火管制を解き街を明るく、娯楽を復
興せよ。文書の検閲を明朗にせよとの御言葉を賜った由。政府は臨時閣議を開き直ち
に実施を決定した」(注 湯屋は銭湯,お風呂屋)
亡父は明治17年生れ、当時63歳であった。敗戦僅か4日後の日記だが、都民が早くも
国防色(カーキ色)離れを始めているのが興味深い。僕も覚えているが、戦争末期には
いつ空襲があるかわからず、都民はゲートルをつけたまま真っ暗の中で就寝していた。
亡父の前日(18日)の日記の欄外には、赤字で警戒警報発令午前10時40分、同解除
11時20分とあるところをみると”戦後”でも一応臨戦体制にあったのだ
僕は中学3年だったが、動員先の工場を解除され家でブラブラしていた。学校が再開され、
焼跡の校舎で授業が始まったのは27日からである。家の庭の防空壕が壊されて、狭い
庭がやっと広く見えるようになったのは、30日であった。
昭和20年8月19日(日)晴
「戦争終了後最初の公休日である。外見的には未だ世相に変化はないが、自分の気
分には相当遷った(かわった)ものがある。即ち防空頭巾と巻ゲートルは廃止した。
防空態勢から再起建設への第一歩のつもりである。よく気をつけると、街頭人の服装
も国防色が次第にへりつつある。只(ただ)困るのは無智都民のつまらぬデマ流布で
ある。六時起床日課朝食。けふ(きょう)は床屋も湯屋も休みなので終日在宅して戦局
終結に関する記録を整理したほかは何もせず。
聖上陛下には、この日、東久邇首相宮を召され、灯火管制を解き街を明るく、娯楽を復
興せよ。文書の検閲を明朗にせよとの御言葉を賜った由。政府は臨時閣議を開き直ち
に実施を決定した」(注 湯屋は銭湯,お風呂屋)
亡父は明治17年生れ、当時63歳であった。敗戦僅か4日後の日記だが、都民が早くも
国防色(カーキ色)離れを始めているのが興味深い。僕も覚えているが、戦争末期には
いつ空襲があるかわからず、都民はゲートルをつけたまま真っ暗の中で就寝していた。
亡父の前日(18日)の日記の欄外には、赤字で警戒警報発令午前10時40分、同解除
11時20分とあるところをみると”戦後”でも一応臨戦体制にあったのだ
僕は中学3年だったが、動員先の工場を解除され家でブラブラしていた。学校が再開され、
焼跡の校舎で授業が始まったのは27日からである。家の庭の防空壕が壊されて、狭い
庭がやっと広く見えるようになったのは、30日であった。