「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          47年前、初めて外国へ赴任した時代

2013-03-04 07:27:01 | Weblog
1966年(昭和41年)3月4日、5日と二日連続してわが国で大きな航空事故が起きている。4日にはカナダ太平洋航のDC-8機が濃霧の羽田空港に着陸を失敗64人が死亡、翌5日には羽田発香港行きのBOAC(英国航空)機が富士山麓の山肌に激突124人が犠牲となっている。この年には2月4日にも全日空機が羽田空港着陸寸前、東京湾に墜落133人が死亡する事故も発生している。まさに日本の航空史上最悪の年であった。僕はこの2日連続の事故直前の2月28日、羽田から赴任地のジャカルタへ香港経由で出発している。

最近、書棚を整理していたら当時の事を記したノートが出てきた。生まれて初めての外国赴任とあって克明に出来事が書かれてあった。面白いのは、ジャカルタ赴任に先立ち4日間も香港に滞在していたことだ。滞在の目的は、当時インドネシアは天井知らずのインフレで、通常の為替レートでは生活できなかったため、東銀の世話で香港の華僑を紹介してもらい、インドネシアの華僑から闇ルピアを交換して貰う交渉であった。

1962年、僕は移動特派員として3か月欧州と中東を旅行したことがあるが、まだまだ日本人の外国旅行は珍しい時代であった。羽田出発に当たっては上司、同僚など10数人と友人など大勢の人が見送りに来てくれた。友人の中には餞別金までくれている。僅か半世紀少し前だが、まだ日本にはそんな風習が残っていたのだ。

香港の4日間の滞在中、僕は背広を一着作っている。当時日本人の間では香港で短期間で洋服を注文するのが流行していた。日記によると、2度の仮縫いがあり、値段は60米ドル(21600円)であった。今では身体にあった既製服がいくらでも入手できるのにやはり時代である。買い物した物の中にも、万年筆のインク、煙草のライター、香港シャーツ、靴べらなどがある。これも時代を感じさせる。当時香港は島と本土とを結ぶ交通手段はフェリーしかなかった。なんとはなく旅情があった気がするがー。