東京の旧東海道品川宿のはずれにある”かまどの神様”荒神様(海雲寺)の春の例祭に昨日老妻とバスを乗り継いで出かけてきた。東京では70歳以上の高齢者には年、千円支払うと都内のバスと都営地下鉄が自由に使える。荒神様へ行くには、もっと早く便利な方法もあるが、時間がたっぷりある年寄りである。遠回りだが、往復タダなら昼御飯代ぐらい出る。
いつも公共交通機関に乗ってイヤに感じるのは若い世代の年寄りへの気配りのなさだ。昨日もほぼ満員のバスに腰の曲がった高齢の女性が乗ってきたが、だれも席を譲ろうとしない。同じ杖仲間の僕が”どうぞ”と立ちかけたが、女性は遠慮している。僕が声をかけたのは一つには気が利かない若い人へのデモンストレーションだったのだが、それでも反応がない。なんと僕の席の前にいた働き盛りの男は、次のバス停で降りて行った。
帰りのバスも満員だった。杖をついた僕が乗車すると、運転手さんが気をきかして”お年寄りに席を譲りください”とアナウンスしてくれた。お蔭で僕は優先席に座れたが、隣に座っている赤毛の若い西欧人の女性は、次々にお年寄りの女性が来ても立とうとはしない。僕が代わりに立てばよいのだが、ついに僕も見かねて西欧人に丁寧な英語を使って”代ってやって下さい”といったが無言で座り続けている。英語が理解できないのか知れないが、車内の状況をみれば判るはずだ。
車内道徳だけでなく、僕ら年寄りからみれば、昔では考えられないほど社会の秩序が乱れている。その原因の一つは物騒の世の中である。うっかり注意すると反撃を受けるから、皆知らぬふりをしている。もう80歳をすぎてあまり怖いものがなくなった僕である。もちろん、情勢を見ての話だが、もっと声をだしたほうがよいのかもしれない。
(写真は荒神様の本殿)昨日お年寄りが多かったのは目黒不動尊の縁日でもあった)
いつも公共交通機関に乗ってイヤに感じるのは若い世代の年寄りへの気配りのなさだ。昨日もほぼ満員のバスに腰の曲がった高齢の女性が乗ってきたが、だれも席を譲ろうとしない。同じ杖仲間の僕が”どうぞ”と立ちかけたが、女性は遠慮している。僕が声をかけたのは一つには気が利かない若い人へのデモンストレーションだったのだが、それでも反応がない。なんと僕の席の前にいた働き盛りの男は、次のバス停で降りて行った。
帰りのバスも満員だった。杖をついた僕が乗車すると、運転手さんが気をきかして”お年寄りに席を譲りください”とアナウンスしてくれた。お蔭で僕は優先席に座れたが、隣に座っている赤毛の若い西欧人の女性は、次々にお年寄りの女性が来ても立とうとはしない。僕が代わりに立てばよいのだが、ついに僕も見かねて西欧人に丁寧な英語を使って”代ってやって下さい”といったが無言で座り続けている。英語が理解できないのか知れないが、車内の状況をみれば判るはずだ。
車内道徳だけでなく、僕ら年寄りからみれば、昔では考えられないほど社会の秩序が乱れている。その原因の一つは物騒の世の中である。うっかり注意すると反撃を受けるから、皆知らぬふりをしている。もう80歳をすぎてあまり怖いものがなくなった僕である。もちろん、情勢を見ての話だが、もっと声をだしたほうがよいのかもしれない。
(写真は荒神様の本殿)昨日お年寄りが多かったのは目黒不動尊の縁日でもあった)