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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          玄米を一升瓶に入れて精米した!

2013-03-24 06:59:59 | Weblog
若い頃大食漢で知られた僕だが、やはり加齢のせだろう。ここ数年食べる御飯の量がめっきり減ってきた。朝食時一回だけ、それも小さな茶碗に一杯だけだ。健康に人一倍気遣っている老妻がそれを心配してか、昨日玄米を炊いてくれた。しかし、玄米は”銀シャリ”と違って見た目も悪いし、固くて僕にはあまりおいしくなかった。

玄米というと、敗戦後の一時期、東京ではまったく精米されない玄米が配給された。もともと日本では昭和14年(1939年)の米穀搗精令という勅令で、お米は七分搗きとされていた。しかし、この時期配給になったお米は、まったく精米されていない玄米だった。亡父の昭和20年の日記にとると、この玄米は戦後になって配給されている。敗戦まもない8月25日初めて”夜、玄米を一升瓶にいれて搗く”という記述がある。戦中には、このような記述はない。僕も同じようにビール瓶の中に玄米をいれて「ハタキ」の棒で搗いた記憶がある。

原爆の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)の中にも、この米搗きの風景が出ているそうである。多分これから見ると玄米の配給は東京だけでなく全国的なものである。多分、極端な食糧不足から、コメの備蓄が底をつき、緊急的な措置として、この年とれた新米を精米する時間もなく、そのまま配給したものだろう。当時の日本人は玄米をそのまま食べる習慣はなく、どこの家庭でもビンに入れて精米し、出た糠も小麦粉に混ぜてパンにして食べたものだった。

老妻によると、玄米にはビターミンB,Eをはじめカルシウムが含まれていて食物繊維も豊富で老人食にもよいという。値段も普通のお米より高いのだという。しかし、これを毎日食べるのには僕は抵抗がある。余命が限られた老人である。やはり、食糧難時代、夢にまでみた”銀シャリ”をたとえ少量でも食べたほうがよい。