「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             二人の先輩の死と家族葬

2013-03-25 06:36:16 | Weblog
ここへきて二人の先輩の死が伝えられてきた。二人とも大正14年、昭和3年生まれと先輩だが、年賀状を頂いたばかりであった。やはり、この冬の厳しい寒さが影響したのであろうか。いずれの訃報も直接遺族からのものではなく、人を介してのもので、葬儀はすでに”家族葬”で終わった後であった。最近、都会では近親者のみの”家族葬”が多く、歳末の”喪中につき”の挨拶状を貰って、その人の死を知るというケースが多くなってきた。

昔は東京のような大都会でもお通夜こそ近親者だけで行われたが、葬儀告別式には隣近所の人まで参加して”野辺送り”をしたものであった。昭和44年に死亡した亡父の葬儀の葬儀委員長は町会長であった。それほど亡父が町会の事をしたとは思えないのだが、沢山の方が亡父を見送ってくれた。亡母は51年、僕の転勤先の札幌で亡くなった。亡母は北海道には縁者は一人もいないのだが、僕の仕事の関係もあって新聞に死亡広告が載り、葬儀は門前が花輪で埋まるほど盛大なものだった。

札幌には10年勤務したが、北海道の葬儀は東京に比べて会葬者が多かった。開拓時代の名残で”相互援助”の精神によるものだという人もいるが、例えば香典返しという風習はなく、その代わりに領収書を出していた。新聞に死亡広告を出すのも、言葉は悪いができるだけ多くの人から香典を集めようという意図もあるのだという。

葬儀のあり方については色々と意見がある。残された遺族にとっては”家族葬”は簡単で経済的な面倒もなくて済む。しかし、精いっぱい人生を生きてきた人のなかには、その最後の証が近親者のみの葬儀では物足りなさを感じるかもしれない。出来れば葬儀とは別に、故人を偲ぶ会があらまほしきかな、と僕は思う。