「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            僕にとってのもう一つの3.11

2013-03-11 06:53:34 | Weblog
東日本大震災から早や2年である。テレビの画面をみると、被災地の瓦礫は一応片づけられているが、津波の爪痕は残されたままだ。特に福島の東京第一原発事故の周辺地区は痛ましい。除染されても中間貯蔵施設さえ解決されていない。避難地からいつ故郷に帰れるか、そのメドさえついていない。いまだに31万人以上の人が避難所暮らしをしている。

2011年3月11日に発生した、この大震災は日本人にとって永遠に忘れられない。しかし、僕にとっては、もう一つ忘れられない「3.11」がある。それは47年前の1966年(昭和41年)3月11日、ジャカルタで体験した「Superaemar」(3月11日付け大統領に対する権限移譲書簡)である。当時インドネシアはスカルノ初代大統領の外交政策、経済政策の失敗から混乱状態にあった。これを打開するためスハルト戦略軍司令官(のちに2代目大統領)が非常措置としてスカルノに権限を委譲するよう求めた書簡を送った。一種のクーデターみたいなもので、これによってインドネシアの政情は正常化し、脱退していた国連にも復帰、マレーシアなど近隣諸国との友好関係を取り戻し、ASEAN設立への道を開いた。

僕は新聞社の特派員としてジャカルタに赴任した直後に、この政変に遭遇した。前任者もなく現地の言葉も判らない。正式に取材を許されるプレスカードもない状態であった。臨時に支局にしていたホテルの前の大通りの前には連日、学生たちがデモを展開、中国大使館などが焼き討ちにあったりした。夜間は外出禁止令が出ていて一歩も外へ出られなかった。IT時代以前で、電話も英語で会話するよう制限されていた。「Supersemar」はインドネシア現代史では重要な事件で、中部ジャワのソロの大学は校名に「Supersemar」を冠している。