「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        昭和天皇が空襲被災地をご視察した時代

2013-03-19 06:42:05 | Weblog
10万人以上の犠牲者を出した昭和20年3月10日の東京大空襲の灰塵が残る下町の被災地を天皇陛下がご視察されている。大空襲から8日目の3月18日、天皇陛下は大元帥の軍服姿で深川の富岡八幡宮、錦糸町、上野、湯島などの被災地を見て回られている。中学2年生だった僕には全くこの記憶がないのだが、最近ネットの動画で当時のニュース映画の一部を見ることが出来た

昭和天皇のこのご視察の模様は翌19日の朝日新聞にもご写真入りで次のように伝えている。「今はただ伏して不忠を詫び奉り,立つはしこの御盾となり、皇国三千年の歴史を護りぬかんと誓うのみである。ああ、しかも、この不忠の民を不忠と思召されず、民あわれと思し召し垂れさせ給う大御心の畏しさである」今思うと随分大仰な文章である。しかし、僅か70年少し前の大方の日本人は同じような考え方をしていた。

明治17年生まれの亡父20年1月14日の日記にはこう書いてある。「B-29爆撃機60機、理不尽にも伊勢の豊受大神宮を爆撃。ああ何たる暴虐。言語同断、目視出来ざる敵の暴挙に対しては、必ずやこれを幾倍かの報復をなさではおかず、このことを永遠に忘れず日本史上の悲しい記録と言わざるを得ない。痛憤慨嘆」亡父は格別神がった人間ではなかったと思うが、当時明治生まれの日本人には毎月1日、15日には神棚を拝み、天皇陛下の新聞に載ったお写真でも神棚に載せていた。

戦前、戦中の日本はこういう時代であった。僕ら小学生も天長節(天皇誕生日)など学校の四大節の式典には天皇陛下の御真影(写真)を奉戴したものだった。戦後生まれの若い世代にはなかなか理解できないだろう。その是非は別として歴史認識の問題はこのようなことから始まる。今の視点だけでは「慰安婦問題」も正しく理解できない。